「ハンジさんっ!!」
私を古井戸に突き飛ばす副官の手。
超大型巨人の爆風は、すぐそこまで迫っている。
掴めそうで掴めない、もどかしい距離感の手。
兵士にしては華奢で白い、だが書類をまとめる際紙で切ってしまった傷跡や
長時間物書きをさせられ出来たペンだこが目立つ、私の大好きな手。
掴み損ねるもんか、掴んでやる。
お前ひとりじゃ逝かせない。
私は覚悟を決め、せっかく彼が命を賭して私を守ろうと突き飛ばした古井戸から
上半身だけ這い上がる。
彼の細い手首を掴み、古井戸の中に引き摺り込む。
だが、間に合わなかった。
命は助けられたが、モブリットはもろに爆風を受け
そのあまりの熱さにまともな声も出せず、ただ苦しそうな呼吸を繰り返すだけだ。
私も片目が飛んできた瓦礫で潰れた。
彼の死に場所はここだったのかもしれない。
けど、私は彼を助けたことを後悔なんてしない。
そう考えながら、モブリットの身体を抱き寄せ背中を撫でる。
「ごめんねモブリット…君の心臓は、私にとって大切なもの…なんだ…」
薄れゆく意識の中で、彼が小さく私の名前を口にした。
ああ、ひどい火傷だ。
君の綺麗な顔も、手も。
しばらくして、私は意識が戻った。
少しの間状況が掴めず呆けていたが、すぐに全て思い出す。
モブリットは?どうなった?そう思い、私は慌てて近くを見る。
良かった。ちゃんと生きてる…よな?
恐る恐る脈を測る。大丈夫だ。本当に良かった。
私は肩の力が抜ける。
途端に、遠くから鎧の巨人の咆哮が聞こえた。
そうだ。安心してる場合ではない、ここは戦場だ。
私は気絶しているモブリットを抱え、立体機動装置で援護に向かった。
:
:
:
:
:
:
:
:
:
ウォール・マリア奪還作戦は、成功した。
とても多大な犠牲が出たが。
生存者はたったの10名。
成功はしたが、それだけだ。
私達調査兵団は、失ったものと得たものの大きさに
ただ足取りを重くするばかりだった。
私は、ベッドで眠る包帯をでたらめに巻かれたような姿をしたモブリットを見て
自分がした行いは本当に正しかったのかを考える。
後悔などしないと思っていたが、意識を取り戻したモブリットが
この現状を知ってどう思うだろうか。
兵士として戦えるかも分からない。まともに普通の生活を送れるかすら分からない。
死に損なったと思うかもしれない。
私の独断で、彼の死に場所を変えてしまった。彼はあそこで死ぬ気だったのに。
何日か経ち、彼が目を覚ましたと報告をもらう。
団長の任もほっぽって、私は風を切って彼の元へと走る。
「モブリット!!!!」
「…ハンジさん」
私は彼の目を見て、ああ、これはやってしまったという思いに駆られた。
包帯と乱れた前髪の隙間から覗く、彼の目。
優しく柔らかい印象だった彼の目に光は無く、
冷たく虚ろな目で私の顔を見つめる。
「…ごめん」
「もう何も言わなくていいですから」
予想に反して、彼の第一声は明確に否定的なものでは無かった。
もっと罵られるものかと、無意識に身構えていた身体の強張りが解ける。
彼は私から視線を離すことなく、こう続けた。
「あの状況なら、助けたとしても私がこんな重傷を負うことは明白です」
「それは…私の判断ミスだ。任務に私情を挟み…」
「もうそういうのいいです」
冷たい声が耳に入って、そのまま脳を刺すように響く。
変な汗が頬を伝い、そのまま床にぽたりと滴った。
「こんなになった私を憐れんで介抱して、
愛玩人形みたいに扱いたかっただけじゃないですか?」
「違う…人形なんかじゃ」
「手足もまともに動かせないんだから、人形と同じですよ」
心があるから人形じゃない、そう喉まで出かかったところで言葉を飲み込む。
身体だけじゃない、もう心もぼろぼろなんだろう。
私は一言、もういいと言われた謝罪の言葉を述べその場を立ち去る。
愛とは時に、相手をひどく傷つける凶器になる。
その言葉の意味を頭の芯まで思い知った。
:
:
:
:
:
:
:
:
:
:
「どうしたハンジ、仕事もしないで出ていって浮かない顔で戻ってきやがって」
「リヴァイか…いや、もうモブリットとは目を合わせて喋れる気がしない…
そもそも、もう会って話すということさえ出来る気がしない。」
彼は呆れたようにため息をつきながら、腕を組む。
返答を考えているのか、切れ長の目を伏せ静かに佇んでいる。
「そうだな…お前が出来ないと思うなら、可愛い副官との関係もそれまでってわけだ。」
「だって…!モブリットは私をひどく拒絶してるように見えたし」
「外面だけならどうとでも見える。本当に大事なのは本心だろ。」
ムキになって反論しようとする私を制すように、こう付け足す。
「人の心っていうのは、そう簡単に変わりゃしねぇ。
完全に心変わりしてしまう前に、あの頑固な副官を説得してみろ」
「…なんでそんなこと言ってくれるんだい?」
私がそう聞くと、彼はいつもの仏頂面のまま
フッと鼻で笑う。
「あいつ以外に、誰がお前の面倒を見る」
彼のアドバイスは良いと思うが、私には実行に移す勇気が湧かなかった。
リヴァイが言った通り、モブリットとの関係もこれまでというわけなんだろうか。
一応部屋に行くだけ行ってみようと思い、私はのろりのろりと牛のような速さで歩く。
部屋に着き、それでも勇気のかけらすら湧かなかった私は
もう彼のことは諦めようと思った。
死に損なわせた責任も取らずに諦めるなど、クズのすることだとは思ったが。
くるっとさっき来た方向を向き、戻ろうと一歩足を踏み出したところで
モブリットの部屋から話し声が聞こえた。
盗み聞きなど趣味が悪いとは分かっているが
ついつい私は部屋の扉に耳を当てた。
「ハンジさんは、来たんですか」
「ああ…来たけど…」
中から聞こえたのは、ミカサの声だった。
彼女がモブリットの見舞いに来るとは、とても意外だ。
エレンかアルミンあたりに促されたのだろうか?
「追い返したんですね」
「…勘がいいね。」
「私も、あなたの立場ならそうする。ので。」
相変わらずぎこちない敬語で、ミカサは話す。
少し気まずそうな間が開いたが、彼女はそのまま話し続ける。
「後悔しているなら、早めに本当のことを言うべき…です。」
「けど、ハンジさんはきっとひどく傷ついただろうし…今更何を言ったって」
「本当のことを言えないなら…ハンジさんとの関係はそれまでです」
彼女は聞き覚えのある台詞をモブリットに言い放つ。
やはりあまりというか、普段全く話すことのない2人だからか
相手の出方を伺い、会話の間には長い間が生まれる。
「ハンジさんは、実際とても傷ついていると思います。
けど…本当のことを言ってもらえさえすれば、けろっと元に戻るタイプだと。」
「……分かった、せっかく君がそこまで言ってくれたんだ。今度言ってみるよ」
椅子がキィ、となる音が聞こえた。
まずい、もうすぐ出てくるか?
遮蔽になるものを探し周りを見ていると、ミカサがこう言った。
「では、ハンジさんを呼んできます」
「ちょっと待ってくれ…今なのか…」
「なら今度」
「それも…待ってくれ」
モブリットも恐らく、私と同じ気持ちなのだろう。
しばらく沈黙が続き、ミカサが喋る。
「臆病で…腰抜け、ですね。」
「……はぁ…?」
流石というかなんというか、やはりアッカーマンだ。
上官に対してそうそう言える言葉ではない。
モブリットも何か言いたげな語気だったが、この状況では反論することも出来ず
また黙ってしまい沈黙が続く。
「じゃあ、ハンジさんを呼んできます…うじうじ考えていても、何も始まらない。ので。」
足音が扉に近づいてくる。これでは隠れられない。
古い金具が不愉快な音を立てながら、扉が開く。
「ハンジさん、どうぞ」
「…え?」
「ずっと何かの気配を感じていました。扉に近づいて、ハンジさんだと気づきました。」
気配で分かるものなのか…やはり彼女を常人のものさしで測ってはいけない。
私はそろりと廊下と部屋の境界を跨ぐ。
モブリットの目は先程とは違い、光が灯っており優しさと柔らかさが感じられた。
私はぐるぐると言いたい言葉を頭の中で巡らせ、文章を組み立てる。
「あの…私、私がモブリットの腕になる。足になる。だから…」
私はベッドに歩み寄り、モブリットの手を優しく握る。
「モブリットは…私の目になってくれないか」
プロポーズじみた文章になってしまい、私は思わず顔を赤らめる。
やってしまった、絶対こんなことにさせておいて呑気なこと言うなとか思われる。
今言った言葉を取り消そうと慌てていると、モブリットが私の手を握り返す。
「………はい」
包帯のせいで見えなかったが、きっと彼の顔も赤くなっていた。
私は安堵のため息をつき、彼と他愛のない話をする。
アルミンが、海について熱弁してくれた時の話。
巨人を駆逐して、一緒に見に行こう。
その時は、私が馬で荷馬車を引くよ。
そんな夢のような、だけどもうすぐ掴めそうな未来の話を
モブリットは小さく相槌を打ちながら聞いてくれた。
ふと視線を感じて目だけを後ろに向けると、
開いたままの扉の外にはミカサとリヴァイが立っていた。
彼らのおかげで、私達の仲直りはすぐに終わった。
一体どうして私達にそんなに良くしてくれたのかは…本人達にしか分からない。
私は視線をモブリットの方に戻し、また手を握る。
やっと掴めた手を、私はもう二度と離さない。
コメント
1件
サムネ暗い感じになっちゃった… 大火傷リットは良いと思う。とても。 けど普通に足も腕も動かせるようになって、マーレ編の頃にはもう 新型立体機動装置でビュンビュン飛んでザクザク削いでそう。 ハンジさんが足とか腕になる必要無い件。