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翌日の朝9時。
会社の始業のベルに合わせるかのように、鈴奈のスマホがけたたましく鳴り出した。
向かいの席から、見た目も性格もまさに「お局様」と呼ばれるに相応しい漆原(うるしばら)さんが鈴奈をきっと睨む。
「す、すみません!」
鈴奈は席から飛び上がるように立ち上がると、漆原さんや周りの人たちにペコペコと頭を下げて、足早にオフィスを出た。
人気のない廊下でスマホを耳に当てるなり、黒崎の大声が耳に飛び込んでくる。
「おい、カモは見つけたか!」
「あの、今、仕事中なんです……」
「そんなこたあ、こっちには関係ねえ。俺が命令したとおり、とびっきりダサい男をふたり選んだだろうな!」
とびっきりのイケメンふたりに、いいねを返してしまいました。
などと正直に、とても言えるはずもない。
ここはごまかすしかないだろう。
「は、はい。人間というよりは、カバとかオラウータンに近いような顔をしたふたりを厳選しました」
「それでいい。で、どうなった?」
コウは今のところ反応がないが、サルからは、すぐに「会わない?」とメッセージが来た。
イケメンの押しに弱い鈴奈は、サルにリードされるがまま、気づくと今日の夜に会う約束をしてしまったのだった。
「ええと……オラウータンのほうと今夜接触します」
サルもオラウータンも、似たようなものだろう。
「ほう。なかなか仕事が早いじゃねえか。俺が見立てた通り、やっぱりおまえは婚活サギ師の素質がありそうだ。いいか、最初が大事だから、これから俺の言うことをしっかり頭にたたみこめ。まずひとつ目はな……」
やっとのことで黒崎との電話を終え、急いでオフィスに戻ると漆原さんが狐のように細い目を吊り上げて鈴奈を睨みつけた。
「ちょっと、幸手さん! 業務時間中に私用電話なんて、どういうつもりっ!」
「すみません……」
「社会人としてありえないでしょう! 常識をわきまえなさい、常識をっ!」
「はい……」
「ほんと、今の若い子って仕事と遊びの区別もつかないのかしら。やる気がないなら、今すぐどうぞ辞めてください。周りが迷惑ですっ!!」
金切り声の漆原さんの説教は延々と続く。一度、火が着いたら止まらなくなることは周りの誰もが知っているが、お局様であるがゆえ、口出しする者はいない。皆、あーまた始まった。けど我関せず、とばかりに顔をそむけている。
漆原さんはここ、大手不動産会社の営業支援としてもう長いあいだ派遣リーダーを担当していた。
鈴奈の派遣契約期間は来月までだが、その後どうなるかはまだ決まっていない。噂によれば、派遣メンバーの人事権すら漆原さんが握っているらしい。こうやって目を付けられた以上、期間延長は無理だろう。
鈴奈は絶望的な気持ちになる。自分の不幸を呪う。
消えた彼氏に多額の借金を背負わされ、仕事まで失った私は。
やはり、婚活サギしか残された道はないのだろうか……。
◇
夜になってしまった。
サルとの待ち合わせ場所である新宿駅は、鈴奈の会社の最寄駅から数駅離れている。
帰宅時間帯ということもあり、混雑した車内で鈴奈は縮こまりながら、電話で黒崎から言われたサギ師としての指南を思い出していた。
「まずは最初のステップだ。カモを値踏みしろ。どれだけカネを持っていそうか、会話しながらさりげなく調べるんだ。いいか、ごくさりげなくだぞ。会ってすぐに、貯金はいくらありますかなんて聞いたら相手は引いちまうからな。そう、例えばだ。カモがブランドものの腕時計やバックを身につけていたら、おまえはどう思う?」
「それは、お金持ちではないかと」
「バカだな。普通の会社員で身のたけに合わない高級品を持ってるやつなんざ、ただの浪費家でカネなんざ持ってない。そんな奴はすぐに見限れ。仮に資産家の息子かなんかで本当に金持ちだったとしても、今回のターゲットからは外す」
「なぜですか?」
「ホンモノの金持ちはやっかいだ。下手に突っついたら手痛いしっぺ返しに会う。だから俺たちもなるべく相手にしないんだ。あくまで狙いは、カネだけは溜めこんでいるクソ真面目でモテない男だ。そういう男かどうかを、しっかりと見極めるのが先決だ」
考えるだけで憂鬱だった。
サルは黒崎の言う条件に当てはまるだろうか。少なくともイケメンの時点で、モテなくはないだろう。
電車が新宿駅に到着し、鈴奈は重い足取りでホームに降りて繁華街のある東口出口へと向かった。
ターゲットと会う際は、偽名を使うように黒崎から言われている。もちろん、身元がバレないようにするために。
考えに考えた挙句の偽名が、「前橋リサ」。
前橋は鈴奈の出身地、群馬県前橋市から。
リサは、小学校の時にトラウマになるほど酷くいじめられたクラスメートの名前から取った。本人もまさか大人になって詐欺師の名前に使われるとは思ってもいないだろう。それは鈴奈の時を経た精一杯の仕返しでもあった。
人の波に押されながら東口改札を出た途端に、いきなり声をかけられた。
「りんさん?」
はっとする。まだ、心の準備が整っていないというのに。どうしよう。
おどおどと目を向けるとそこにはとびっきりのイケメン_____ではない男が立っていた。
写真どおりシルバーアッシュの短髪ではあるものの、その下にあるのは強いて言うならば、じゃがいもである。
ちっちゃくて離れた目に低くのっぺりとした鼻、突き出た唇といったひょっとこのようなパーツを貼りつけた、じゃがいも。他に表現のしようがない。
「サルさん_____ですか?」
「うん。今日はよろしくね」
じゃがいもが軽薄そうに笑う。
写真と全く違うではないか。どれだけ加工したらこれがあれになるのか。
黒崎に言われた通り、じいっと観察してみる。
腕時計は_____していない。かばんも持っていない。手にしているのは画面がバキバキに割れた古いスマホだけだ。
「猿の惑星」と書かれた大きなロゴが目立つよれよれの赤Tシャツに、これまた着古したであろう薄汚れたジーンズ姿。
確かに黒崎が言っていたカモの条件には合ってそうだが、どう見てもお金がなさそうな雰囲気を全身から醸し出している。いや、でもまだわからない。こういったタイプが実は、溜め込んでいる可能性だって否定できない。
「なになに? じっと見られると照れるんだけど!」
「あ、ごめんなさい」
「りんさんって、すっげえ美人だな。俺、めっちゃテンション上がってる」
サルはにたにた笑いながら、無遠慮にじゃがいもの顔を近づけてきた。
鼻息が荒い。それになぜか、本当に肉じゃがのにおいがする。
「ちょっと……近いです」
「ああ、ごめんごめん。こんな美人に会うことなんて滅多にないからさ。マッチングアプリの写真なんざ加工だらけだから、あれ、この子かわいいじゃんと思って実際会ってみると、ブッサイクな女ばっかでよ。でもりんさんは、写真どおりのイメージでマーベラス!」
「はあ」
言った言葉を、そっくりそのまま返してやりたい。
「ところで名前、なんて言うの?」
さりげなくもいきなり名前を聞いてくる。
ニックネームじゃなく、会ってすぐに名前を教え合うのが一般的なのだろうか。マッチングアプリのルールをよく知らないから、わからないけど。
とりあえず、偽名である「前橋リサ」を口にしようとしたその時、サルは驚いたように「あーっ!」と叫んで鈴奈を指差した。
「もしかして、幸手!? 幸手……ええと名前は確か、鈴奈だっけか!」
心臓が跳ね上がる。
じゃがいもは、どうして私の本名を知っているんだろうか。
「え、あのっ!?」
「前橋の桜中出身だろ。どこかで見かけた顔だと思ったんだよな」
「サルさんって、同じ中学なんですか?」
「そう。クラスは違うけどね。俺、学校のかわいい子を全員チェックしてた。顔と名前は今でもしっかり覚えてるんだぜ。あと、胸の大きさも。鈴奈って、確か78のBカップだったよな。今は成長して82のCってところか」
「そうだけども……って、どうしてそれを!」
「俺の特技は、見るだけで女子の胸のサイズを正確に測定できることなんだ」
全身に鳥肌が立つ。
当時、見ず知らずの男子に顔や名前を覚えられ、さらにはバストサイズまでチェックされていたと思うと、ぞっとする。
それにしても、どうしよう。
出身地や本名がバレている相手に、婚活サギを働くことなど果たしてできるのだろうか。
そんな鈴奈の困惑など知るはずもなく、じゃがいもはにやりと笑う。
「俺は、曽根孝(そねたかし)。よろしくな。じゃあ、偶然の再会祝いも兼ねて、とりあえず飲みに行くか!」
コメント
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ふう、やっと読み終えた……って、これはけっこう強烈な展開ですね。主人公・鈴奈の置かれた八方塞がり感と、じゃがいもことサル/曽根との再会が同じ中学って——しかもバストサイズまで覚えられてるって、ただただ鳥肌ものです。偽名を「前橋リサ」にした皮肉も、あとで効いてきそう。漆原さんの説教シーンは、本当に派遣あるあるで胃が痛くなりました。サギ指南の黒崎の警戒セリフも、妙にリアルで震えます。次、どうなるんだろう。