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第199話 ジャバ再来
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
旧学園跡地を囲む光具の線が、ほぼ一周を終えようとしていた。
森の外周に沿って、白い小さな光が点々と並んでいる。
その光は強くない。
けれど、森と現実の境目を少しずつ浮かび上がらせていた。
日下部は端末を見つめる。
「外周光具、九割設置完了」
「校舎棟、体育館、校庭、外周の四区画反応、上昇」
「異世界側の名前確認とも同期が取れ始めています」
城ヶ峰は地図から目を離さない。
「試行に入れるか」
「まだです」
日下部は即答した。
「外周の南西が弱い。そこが開いたままだと、帰還時に学園の一部がずれます」
木崎は森の奥を見た。
「南西って、校庭の裏側か」
「はい」
「異世界側では、校庭から外周へ抜けるあたりに対応しています」
「前回ジャバが出た場所とも近い」
木崎の目が細くなる。
「嫌な場所だな」
その時、森の奥で、校舎の影がまた揺れた。
窓のような四角い影。
廊下のような細長い暗がり。
体育館の壁らしき輪郭。
一瞬だけ、それがはっきり見える。
そして、すぐに木々の影へ戻る。
日下部の端末に警告が出た。
《SOUTHWEST BOUNDARY / FLUCTUATION》
《SHADOW PRESSURE / RISING》
日下部の顔が強張る。
「南西境界に黒影圧」
「何か来ます」
城ヶ峰が即座に無線を開いた。
『南西班、警戒態勢』
『外周線から離れるな』
『見えたものに近づくな』
『名前確認を徹底しろ』
木崎がカメラを構える。
「また向こうから来るか」
森の奥で、低い音がした。
獣が喉を鳴らすような音。
木が軋む音。
それに混じって、誰かが笑うような声。
日下部は息を呑んだ。
「ジャバ反応です」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
校庭の空気が、急に重くなった。
ハレルは主鍵を握り直す。
リオも右腕の副鍵へ手を添えた。
体育館では、サキと先生たちが名前確認を続けている。
ダミエは、撤収したレアの箱の残響を封じたあと、学園結界の線を調整していた。
まだ帰還試行には入っていない。
だが、準備が進むほど、学園全体が薄く震えているのが分かる。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『校庭南西側、黒影反応!』
『現実側の旧学園跡地にも同じ圧が出てる!』
『気をつけて、ジャバかもしれない!』
その直後だった。
校庭の端に、黒い亀裂が走った。
地面ではない。
空気が裂けた。
その裂け目から、黒い腕が出る。
次に、肩。
太い体。
荒々しい笑い声。
ジャバが、亀裂の中から姿を現した。
「よお」
「帰る準備なんかしてんじゃねえか」
ハレルは前へ出る。
「また来たのか」
「当たり前だろ」
ジャバは肩を鳴らした。
「戻すだの帰すだの、こっちが黙って見てると思ったか?」
リオが冷たく言う。
「前は途中で帰っただろ」
ジャバの目が鋭くなる。
「あれは呼び戻されただけだ」
「逃げたんじゃねえ」
「じゃあ、今回は呼び戻される前に押し返す」
リオの副鍵が光る。
ジャバは笑った。
「いいねえ」
「その顔、嫌いじゃねえぞ」
黒い亀裂の奥から、影獣が這い出してくる。
狼型。
猪型。
小型の犬のような影。
そして、以前よりも大きい、角のある獣。
校庭の地面が黒く染まる。
ノノの声が飛ぶ。
『ハレル、リオ!』
『学園帰還の外周線を壊されるとまずい!』
『南西側へ行かせないで!』
『現実側の外周光具と対応してる!』
ハレルは頷く。
「リオ、南西を守る」
「ああ」
ジャバは、それを聞いて笑った。
「そこが大事なんだな」
ハレルの表情が変わる。
しまった、と思った時には遅い。
ジャバが大きく手を振る。
「だったら、そこから壊す!」
角のある影獣が、南西外周へ向かって走り出した。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館にも衝撃が伝わった。
床が揺れる。
生徒たちがざわつく。
サキがすぐに声を上げた。
「名前確認を続けて!」
「立たないで!」
「隣の人の名前を呼んで!」
先生たちも声を重ねる。
「三年二組、そのまま座って!」
「二年一組、列を崩さない!」
「先生の名前を確認して!」
生徒たちが震えながら返事をする。
「小森ハルカ、います!」
「内田ソウタ、います!」
「青山先生、います!」
名前の声が体育館に重なる。
ダミエは床に走る結界線を見た。
揺れている。
ジャバは体育館を直接狙っていない。
今度は、学園帰還の外周線を狙っている。
「学習しているな」
ダミエが低く言う。
サキが聞く。
「ジャバが?」
「いや」
ダミエは外の気配を見る。
「ジャバだけではない。誰かが、どこを壊せば帰還が崩れるか見ている」
サキの顔が強張る。
「パイソン……?」
ダミエは答えない。
だが、その沈黙が答えだった。
ノノの声が入る。
『体育館側、名前確認を絶対に止めないで』
『ジャバは外周を狙ってる』
『でも中の名前固定が切れると、外周を守っても意味がない』
サキは強く頷く。
「続けます!」
そう言いながら、サキは一瞬だけ、撤収されたレアの箱があった場所を見た。
もう箱はない。
でも、そこにレアがいたことは記録されている。
「レア」
サキは小さく呟く。
「今は、こっちも守るから」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
角の影獣が、南西外周へ突進する。
ハレルは主鍵を構えた。
全部は止めない。
正面だけ。
足元だけ。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が、角の影獣の前脚の着地点に立つ。
影獣の巨体がずれ、土を削る。
だが、完全には止まらない。
「重い!」
リオが横から副鍵を放つ。
「〈光刃・第三級〉!」
光刃が影獣の首筋を切る。
黒い影が飛び散る。
だが、影獣は倒れず、また外周へ向かう。
ジャバが笑う。
「そいつは硬いぞ!」
「帰還用の線を食わせるために出したからな!」
ハレルは歯を食いしばる。
「食わせるって……」
ノノの声が叫ぶ。
『その影獣、外周線の光に反応してる!』
『光具を壊すんじゃなくて、帰還用の線そのものを噛もうとしてる!』
リオが低く言う。
「面倒なものを出してくるな」
「褒め言葉か?」
ジャバが踏み込む。
リオが前へ出ようとした瞬間、ハレルが叫ぶ。
「リオ、外周!」
リオは一瞬だけ迷った。
ジャバを止めるか。
影獣を止めるか。
その迷いを、ジャバは見逃さない。
「迷うなよ!」
拳がリオへ迫る。
リオは副鍵の光で受ける。
「〈光盾・第二級〉!」
衝撃で、リオの体が後ろへ滑る。
ハレルは外周へ向かう影獣を見た。
自分が動けばジャバが抜ける。
リオが動けば影獣が抜ける。
守る場所が多すぎる。
その時、空から炎が落ちた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭外縁・朝】
炎の壁が、角の影獣の前に立ち上がった。
影獣が足を止める。
続いて、鋭い風の槌が横から叩き込まれた。
「おらあっ!」
聞き慣れた荒い声。
ヴェルニが校庭外縁に着地した。
「遅れて悪いな!」
その後ろから、王都の兵士たちが走り込む。
さらに、アデルが左腕の副鍵を淡く光らせながら現れた。
「南西外周を支える」
アデルが言った。
「ハレル、リオ、正面を任せる」
ハレルは息を呑む。
「アデル!」
リオもわずかに表情を緩める。
「来たか」
ヴェルニが笑う。
「来たか、じゃねえよ」
「もうちょい歓迎しろ」
ジャバの顔が歪む。
「増えやがったか」
ヴェルニは拳を鳴らす。
「今度はこっちが人数増やす番だ」
ジャバは口元を吊り上げる。
「いいねえ」
「まとめて潰しがいがある」
アデルは南西外周の光線へ手をかざした。
左腕の副鍵が、薄く白い線を伸ばす。
現実側の旧学園跡地と対応する外周線が、わずかに安定した。
ノノの声が入る。
『アデル到着確認!』
『南西外周、安定上昇!』
『ヴェルニ、影獣を外周から離して!』
ヴェルニが叫ぶ。
「任せろ!」
炎と風が、校庭の土を巻き上げる。
角の影獣が突っ込む。
ヴェルニが真正面から受ける。
「重っ……!」
足が沈む。
だが、退かない。
「こういう馬鹿力は嫌いじゃねえ!」
ヴェルニの両手に炎が集まる。
「〈爆炎壁・第四級〉!」
炎の壁が影獣の腹を押し返す。
リオの光刃がそこへ重なる。
ハレルの固定界が足元を止める。
三つの力が重なり、角の影獣がついに横へ倒れた。
黒い影が校庭に散る。
ジャバの笑みが少し消えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
現実側でも、変化ははっきり出ていた。
南西外周の揺れが、一度大きく跳ねた。
その直後、白い線が持ち直す。
日下部が声を上げる。
「異世界側、アデルさんが外周を支えました!」
「南西線、安定回復!」
城ヶ峰が頷く。
「現実側も合わせろ」
「南西班、光具を半歩外へ」
「布紐の張りを緩めるな」
無線越しに返事が来る。
『南西班、了解』
『光具、半歩外へ調整』
『外周線、維持します』
木崎は森の奥を見ていた。
そこに、一瞬だけ校庭のような広がりが見えた。
炎が走る。
白い光が立つ。
黒い獣が倒れる。
「見えるな」
日下部も画面を見つめる。
「学園の投影が強くなっています」
「異世界側と現実側の外周が近づいている」
「それは良いことか」
「良いことです」
日下部は答えた。
「でも、近づくほど敵も干渉しやすくなります」
木崎は小さく息を吐いた。
「つまり、ここからが本番か」
「はい」
森の奥で、黒い影がまた揺れた。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/薄い演算空間】
パイソンは、学園の盤面を見ていた。
ジャバが突っ込む。
ハレルとリオが守る。
アデルが外周を支える。
ヴェルニが影獣を押し返す。
南西外周は、壊れなかった。
パイソンは静かに言う。
「力押しだけでは、やはり崩れませんか」
その声に、ジャバの怒鳴り声が遠く重なる。
『うるせえな! まだやれる!』
「やれることと、崩せることは違います」
パイソンは盤面の上に、細い文字列を流した。
校舎棟。
体育館。
校庭。
外周。
名前確認。
教師。
生徒。
主鍵。
副鍵。
それぞれの役割が、線で結ばれている。
「役割を名前と結びつける」
「悪くない対策です」
パイソンは目を細める。
「なら、次はその結び方を変えましょう」
白い線の一部に、黒い構文が差し込まれる。
if。
else。
return。
break。
意味のない文字列ではない。
命令の形をした影だった。
パイソンは静かに言う。
「まだ、私は出ません」
「まずは、条件を書き換える」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
サキは、名前確認を続けていた。
だが、途中で違和感が出た。
「高橋先生」
「はい。二年一組担任、高橋です」
その声に、床の光が少し揺れる。
サキは眉をひそめた。
「もう一回お願いします」
「二年一組担任、高橋です」
また揺れる。
ノノの声が入る。
『サキ、待って』
『役割ノイズが混じってる』
『“担任”のところが変』
「担任が?」
『うん』
『先生の名前は合ってる』
『でも、役割の結び方がずらされてる』
サキはすぐに言い直した。
「高橋先生」
「役割じゃなくて、名前から言ってください」
「高橋先生は、高橋先生です」
「二年一組の担任というのは、そのあとで」
高橋先生は戸惑いながらも頷く。
「私は、高橋真理です」
「二年一組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
床の光が落ち着いた。
サキは息を呑む。
「今の……」
ダミエが低く言う。
「始まったな」
「何が?」
「名前と役割の結びつきを、誰かがずらしている」
ノノの声が硬くなる。
『パイソンかもしれない』
『まだ姿は見えないけど、構文みたいな黒い線が入ってきてる』
サキは拳を握った。
ジャバが校庭を襲っている。
アデルたちが外周を支えている。
その裏で、パイソンが名前確認の仕組みそのものに触ろうとしている。
サキは紙を持ち直した。
「みんな、確認の仕方を変えます」
「役割からじゃなくて、名前から」
「先生も、生徒も、まず名前」
「そのあとに、クラスや役割を言ってください」
体育館に緊張が走る。
サキは大きく息を吸った。
「名前を、先に」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
ジャバは、ヴェルニと正面からぶつかっていた。
拳と炎。
影と風。
校庭の土が跳ね、黒い霧が散る。
ヴェルニが笑う。
「お前、力だけなら分かりやすくていいな!」
ジャバが怒鳴る。
「誰が分かりやすいだと!」
「褒めてねえよ!」
ヴェルニの爆炎が、ジャバの足元を焼く。
ジャバは影で炎を割り、拳を振るう。
アデルは外周線を支えながら、兵士たちへ指示を飛ばす。
「南西を空けるな」
「術師二名、体育館側へ補助」
「槍列は影獣を外周へ近づけるな」
リオは副鍵で校舎側を支える。
ハレルは主鍵で中心を保つ。
ようやく、守りの形ができ始めていた。
だが、ハレルは気づいた。
ジャバの攻撃が少し雑になっている。
それなのに、学園全体の揺れは止まらない。
「ノノ」
『分かってる』
ノノの声が返る。
『ジャバだけじゃない』
『別の干渉が入ってる』
ハレルは校庭の奥を見た。
黒い亀裂の向こう。
まだ見えない誰か。
パイソン。
その名が、胸の奥に浮かんだ。
ジャバは笑う。
「よそ見すんな!」
拳が迫る。
ハレルは一点固定で受ける。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が拳を止める。
だが、その光の端に、黒い細い文字列が絡みついた。
if。
else。
break。
ハレルの固定界が、一瞬だけずれる。
「っ!?」
ジャバの拳が、ハレルの肩をかすめた。
リオが叫ぶ。
「ハレル!」
ハレルはよろめきながらも踏みとどまる。
「今の……固定先がずれた」
アデルの声が飛ぶ。
「パイソンだ」
「術式の意味を書き換えられている」
ヴェルニがジャバを押し返しながら叫ぶ。
「面倒なのが出てきやがったな!」
ジャバはにやりと笑った。
「さあな」
「俺は知らねえよ」
だが、その顔には明らかに楽しそうな色があった。
◆ ◆ ◆
ジャバは再び学園を襲った。
だが、今度はハレルとリオだけではない。
アデルとヴェルニ、王都の兵士と術師たちが学園に到着し、南西外周を守った。
力押しのジャバは、少しずつ苦戦し始めていた。
しかし、その裏で別の脅威が動き出した。
名前と役割の結びつきをずらす黒い構文。
固定界の意味をずらす干渉。
戦場そのものの条件を書き換えようとする力。
パイソンは、まだ姿を見せていない。
だが、すでに学園の中へ入り始めていた。
3
橘靖竜
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