朝。
ひろは、窓の外を見ていた。
光はまぶしくない。目が慣れてしまったのか、視界がぼんやりしている。
右耳は、相変わらず静かだった。
でも、左耳に届いた声が、すべてだった。
「恒が、職場に戻ってくるらしいよ。」
その言葉を聞いた瞬間、
ひろの中で何かがゆっくり動き出した。
全部どうでもよかった。
恒がいないなら、何もいらなかった。
でも、恒が戻ってくる。
それだけで、“行く”という選択肢が生まれた。
髪は、あの夜に切れていた。
自分で切った記憶はない。
ただ、気づいたら短くなっていて、
鏡の中の自分は、誰かに似ていなかった。
声も、少し低くなった。
でも、それももう慣れた。
ひろは、静かに立ち上がった。
体は重い。でも、恒がいる場所へなら、動ける。
恒は、自殺未遂のことを知らない。
それでいい。
知ってほしいわけじゃない。
ただ、隣にいてくれれば、それでいい。
ひろは、玄関に向かって歩き出した。
靴を履く手が少し震えたけど、
それも、恒の声を思い出すことで止まった。
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