テラーノベル
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※二次創作小説です。
『文豪ストレイドッグス』の世界観をもとにした創作となります。
横浜の夜は、いつも少しだけ湿っている。
潮の匂いと、行き場をなくした光が、波止場のコンクリートに滲んでいた。
その日も、私は入水自殺の下見に来ていた。
——ああ、なんて美しい夜だろう。
こんな夜に死ねたら、さぞ詩的だ。
「またですか、太宰さん」
背後から呆れた声がする。振り向かなくてもわかる。
それは、武装探偵社の虎——中島敦の声だ。
「敦君、これは下見だよ。芸術的な死には、入念な準備が必要なのだ」
「その情熱を仕事に向けてください!」
私は軽く笑った。
若い彼の怒声は、夜の冷たい空気を少しだけ温める。
「君は優しいね、敦君。優しい人間ほど、この世界では苦しむ」
彼は言葉に詰まる。私はその横顔を見つめながら、ふと思った。
昔の私も、こんな顔をしていたのだろうか、と。
——あの人に拾われる前は。
港の向こうに見える倉庫街。その闇の奥に、かつての自分がいる。
冷酷で、計算高く、血の匂いに慣れきった少年。
太宰治。
かつてはポートマフィアの最年少幹部。
そして、あの男の部下だった。
「太宰」
低く響く声が、幻のように耳に蘇る。
黒いコート、鋭い眼光。
世界で一番信頼できて、世界で一番恐ろしかった男。
織田作之助
「人を救う側になれ」
あのとき、彼はそう言った。
血に濡れた路地裏で、最期の息を吐きながら。
——どうして、そんなことを言うんだい。
私は救われたい側なのに。
敦が隣で海を見ている。
彼の白い髪が、月光を受けて淡く光る。
「太宰さん」
「うん?」
「あなたがここにいる理由……なんとなく、わかる気がします」
私は目を細める。
「ほう。私の崇高な芸術性を理解したと?」
「違います。……あなた、死にたいんじゃなくて、確かめたいんですよね」
波が、岸壁に砕ける。
「自分がまだ、生きていていいのか」
その言葉は、あまりにも真っ直ぐで。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
ああ、困ったな。
若者の言葉は、ときに凶器だ。
私は、何人もの命を奪う決断をしてきた。
冷たい理屈で、人を切り捨ててきた。
正義でも悪でもなく、ただ合理的に。
その果てに残ったのは、空っぽの心だ。
織田作は言った。
「お前は、人を殺すには向いていない」
あのとき初めて、私は泣いた。
泣き方を忘れていたはずなのに。
「敦君」
「はい」
「もし私がいなくなったら、君はどうする?」
彼は即答した。
「探します。絶対に」
「どうして?」
「あなたは——僕を見つけてくれた人だから」
夜風が、強く吹いた。
ああ、まいったな。
私は人を救う側になったつもりでいた。
だが本当は、救われていたのかもしれない。
この少年に。
この街に。
あの男の、最期の願いに。
海を見下ろす
黒い水面は、どこまでも深く、優しい。
すべてを受け入れてくれそうな顔をしている。
だが、その底には何もない。
救いも、赦しも。
「敦君」
「はい」
「今日はやめておこう」
「何をですか?」
「入水自殺の下見だよ。どうも今夜は、潮の流れが悪い」
敦は大きく息を吐き、肩を落とした。
私はくすりと笑う。
「君がいると、死ぬのも難しい」
「迷惑ですか?」
「いや」
私は少しだけ、本音を混ぜた。
「ありがたい」
遠くで汽笛が鳴る。
夜が、ゆっくりと明け始める。
東の空が、わずかに白む。
私はコートのポケットに手を入れ、歩き出した。
** 織田作**
君の言葉は、まだ私を縛っている。
だがそれは、鎖ではなく——
細い、光だ。
私はまだ、罪を抱えたままだ。
過去は消えない。
血の匂いも、夜の冷たさも。
それでも。
もしこの少年が、明日も笑ってくれるなら。
この街が、今日も無事であるなら。
もう少しだけ、生きてみよう。
——人を救う側として。
夜明けの横浜は、ほんの少しだけ暖かかった。
そして私は思う。
死にたいと願うたびに、
誰かの声が、私を引き止めるのだと。
それならば。
その声が尽きる日まで、
私は生き延びてやろうじゃないか。
それもまた、
ひとつの反逆なのだから。
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