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三人は門を通り抜け、疎らな林に入り、四阿を横目に庭を回り込む。未だにワーズメーズに残っている魔性の者がユカリたちを仲間か何かと勘違いしたが、そうでないと分かると理不尽に怒って、再び僅かな不思議がまだ残っていないかと街を彷徨いに行った。
屋敷の玄関前にはあの五台の厳めしい馬車が駐まっていた。しめて十頭の馬が時折、尾を振りながらも大人しく主人の帰りを待っている。
ユカリは出来る限り、声を潜めて【笑う】。三人は迷わずの魔導書の力でもってユカリに目覚めた霊感の導きに従い、幽霊のように密やかな笑い声に率いられて屋敷を回り込み、クチバシちゃん人形のあった部屋の窓の外にたどり着く。蔦の覆う窓には板状の硝子がはめ込まれている。
ユカリは何の曲でもない【口笛を静かに吹き】、人形遣いの魔法を窓の向こうのクチバシちゃん人形にかける。
するとユカリ自身とは別の希薄な存在が人形のそばに現れる。クチバシちゃん人形の後ろ、少し上の方に自分の幽霊が浮かんでいるような感覚を得る。
ビゼ、パディアと実験して分かったことは多い。例によって例の如く、魔導書にはこの魔法の全てが記述されている訳ではなかった。例えば、この魔法をかけた人形はかけた本人からどれほど遠く離れても操ることが出来る。また自分自身の体の感覚はそのままに、人形の周囲の状況をも感じ取ることが出来る。
ユカリは人形にあるはずのない視覚でもって、窓の外から見えない死角に誰もいないことを確認する。この部屋には誰もいない。それにユーアの居所の手がかりになりそうなものも何もない。三人でこの人形を発見した時に開いた扉の他にはどこにも通じていない。
ユカリは幽霊の手を伸ばしてクチバシちゃん人形を掴み、引っ張り上げる。すると人形ははたから見ると一人でに立ち上がった。くるりと人形を振り返らせると窓の閂を外す。同時に外にいるユカリ自身が蔦を千切りつつ窓を開いた。
人形遣いの魔法を解くとクチバシちゃん人形は力が抜けたように倒れ、ユカリの胸の中に納まる。そこにユーアの温もりなど残っていない。ずっと前に引き離されたのだ。
「次はショーダリーさんですね」とユカリは呟く。「どこにいるのでしょうか?」
「とりあえず、この部屋から侵入しましょうか」とパディアが提案する。
ユーアがこの邸にいるかどうか分からない以上、魔導書の確保を優先するべきだということになっていた。その後、ユーアについて尋問する手はずだ。
その時、静まり返った夜の向こうからひそひそと話し声が聞こえた。
「何でしょう?」ユカリは呟く。「二人、誰かいますね」
「僕らに言えたことじゃないが、こんな時間に怪しいね。確認しておこうか」とビゼは答えた。
三人は忍び足で屋敷の裏手に回る。
そこは昼間に屋敷の中から眺めた古代の戦場を模した庭だった。気高き誇りを胸に抱いた英雄と聖なるを貶めんとする怪物が月光を浴びて、躍動感にあふれた巨大な影で、まだ神々がご照覧なさったという古の戦場を庭に映し出している。
そこに石像とは違う二つの影が邸の窓の側に立っていた。生垣の陰から顔だけ見えているが、尊大な雲に陰りつつある月光だけでは薄暗くて、ユカリたちには何者なのか分からなかった。三人は気づかれないようにすぐそばまで忍び寄る。
一人はショーダリーその人だった。もう一人は外套の頭巾に隠れていて顔がよく見えない。
「まさか一人で来るとはな」腕を組んでそう言ったのはショーダリーのようだった。「まあ、引き渡した後のことなど知ったこっちゃないが。確実に街から連れ出せよ」
外套の人物は黙って、ずっしりとした重さを感じる革袋をショーダリーに渡す。ショーダリーが中身を確認する。
いかにも怪しい取引だ。ユカリたちはお互いに目配せを行い、この取引を調べることにした。
「あんたも品数を確認しろ。後で文句をつけられても困るからな」ショーダリーにそう言われて、外套の人物は生垣の陰に隠れている何かを数え始めた。先にショーダリーが数え終わる。「よし、毎度あり。と言っても大口を失ってから後、久々のこの取引で足を洗うことになるが。知っての通り、迷いの呪いが失われて商売あがったりだ」
外套の人物に比べて、ショーダリーの声は張りがあってよく通る。
ユカリはパディアとビゼをその場に残して、その品を確認しようと回り込む。生垣の端から背を低くしたまま慎重に覗き込む。目の前にあったのは、いたのは三十人ほどの子供だった。男女がおおよそ半々、十歳前後の子供たちが英雄や怪物の彫像の間で立ち尽くしている。綺麗に整列し、微動だにしない。
ショーダリーと外套が何やら話している。ユカリの位置からは聞こえない。そのまま二人はどこかに去っていった。
ユカリが子供たちの様子をよく見ようと身を乗り出した矢先、何者かに背後から組み伏せられる。
「グリュ……」と言い切らない内に手で口を塞がれ、短剣の腹が喉元に押し当てられた。
瞬時に魔法少女に変身し、体が縮んで生まれた隙間から這い出す。ユカリはどこからともなく現れる魔法少女の杖で、振り返りざまに相手の横っ面を張り倒す。しかしさらに加えようとした追撃は不思議な現象に妨げられてしまった。突然にユカリの全身が震え、縮み上がったのだった。心の中に燃え立っていた火が消え、冷たい水の中に落とされたように体が硬直する。それは恐怖と呼ばれる感情に違いなかったが、ユカリが最も恐れる蜘蛛でさえ、これ程の恐怖を呼び起こすことはない。
直接害をなすような呪いは変身によって身につけた魔法少女の服が弾くはずなのに、とユカリは取り留めのない想念のなかに思い浮かべる。今、確かに魔法少女ユカリは呪われている。だとすればそれは同じ魔導書の魔法の力に違いない。震える足で立っていられず、ユカリは膝をつく。
殴り倒した外套がゆっくりと立ち上がり、ユカリと距離をとる。
代わりに視界の外からショーダリーが現れた。ショーダリーは涙を流していた。
「そう、恐れるな」とショーダリーは震える声で呟いた。「見たまえ。私が涙を流す姿などそうはお目にかかれないぞ。滑稽なものだろう。知っての通り勇気を操る魔法の呪文が泣き声なのだ。泣かなくては勇気を奮えないなどという皮肉な魔法だよ。大方この魔導書を盗みに入ったか? ああも宣戦布告しておいて、もっと工夫があるものと思っていたが。ん? 誰だお前は。昼間のガキとは違うのか? まあ、子供はともかく、ビゼ、お前には裏切られた思いだ」
パディアとビゼもまた存在しない恐怖に怯えて震えている。勇気を与える魔法なだけではなく、勇気を奪うことも出来たのだ、とユカリは思い知らされる。よくよく見ると整列した子供たちも小刻みに震えているようだった。
「ああ、本当に痛い。随分煌びやかな杖に殴られちゃったよ。もっと早く魔法をかけてよね」と外套が言った。女だ。ユカリは我が耳を疑う。その声はネドマリアのものだった。
「すまんな」というショーダリーの声音は本当に申し訳なさそうに聞こえる。「楽しい気持ちに比べて、悲しい気持ちになるというのは存外難しいんだ」とショーダリーは答えた。
「ユカリ、でいいんだよね? 変身したんだね、別の誰かと入れ替わったとかではなく」とネドマリアが言った。
「ネドマリアさん。何で?」と掠れた声でユカリは呟いた。
ネドマリアが外套の頭巾を上げて、三日月のような微笑みを浮かべてユカリを見下ろしていた。