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「蓮……っ」
その日、15年振りに姉は俺の名前を呼んだ。
「おーい蓮、お待たせ。帰ろうぜ」
春の夕方の教室。友達の昴の声で俺は目を覚ました。なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。思い出そうとしても思い出せないけど。
「蓮、寝てたのか?昨夜寝てないのか?」
いつの間にか教室の入口から、窓際の俺の席まで来ていた昴が俺に問いかける。
「いや、寝たけど」
「ふぅん。ま、今日は確かに眠くなるような、ちょうど良い気温だよなぁ」
昴の声を聞きながら、俺は伸びをして、机の横のフックに掛けておいた鞄を持って立ち上がった。
そういえば、今日はあのバンドの最新シングルの発売日だったな。
「なぁ、今日帰りにCDショップ寄っていいか」
「おう、良いけど。お前が好きな歌手のCDの発売はもうちょっと先じゃなかったか?」
「いや、俺じゃなくて」
姉さんの方だ。
俺がそう言うと、昴は「あぁ」と何か悟ったような声を上げる。
俺が実は姉さんのことを嫌いじゃない、ということを知っているのは、保育園時代からのこの幼馴染、長崎昴くらいだ。
俺こと市原蓮と、三学年年上の姉さんこと市原莉央は、ご近所親戚友人方には”お互い嫌い合っている”と認識されている。
半分は間違いでは無いのかもしれない。確かに姉さんは、なぜか俺に対して俺の名前を呼んでくれることはないのだ。その理由は今も、わからない。
子どもの頃は一度聞いたことはあるけれど、姉さんは酷く淋しそうな顔をして、教えてくれることは無かったから。
なんとなく段々姉さんに近寄りがたくなり、小学生に上がった頃には実は姉さんが好きなんて気付かれるのも小っ恥ずかしくなったのも相まって、いつの間にか周囲からは、俺は姉さんが嫌いという共通認識が生まれていた。
昴がなぜ知っていたのかと言えば、保育園時代から一緒で、かつ俺の嘘を見抜くのが上手かったからに他ならない。
昴と並んで、正面玄関から学校を出ると、野球部の掛け声、叫び声が響くグラウンドの横の道を通る。
「お前のお姉さん、まだあのバンド好きなの?」
「今でもリビングのテレビに、バンドが出てる番組が録画されてるから、たぶん」
「へぇ。でもお前がCD買わなくても普通にお姉さん自分で買いに行くんじゃ?」
「母さんから聞いたんだけど、姉さん学校終わった30分後から夜10時までぶっ通しで塾あるんだって。しかも週5日。そんな時間からじゃ買いに行けないだろ?」
は!?と驚く昴に思わず頷く。
それに、このやりとり。
俺の誕生日、部屋の前に置かれたプレゼント。
姉さんの好きなバンドのCDを買って、姉さんの部屋の前に置いておくこと。
このやりとりは、俺と姉さんの唯一の会話の仕方だ。