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静かな夜。 さっきまでの異様な気配は、もうない。
手が震えている。
でも、今度はちゃんと動く。
スマホを取り出す。
さっき送ったメッセージ。
——既読、ついてる。
でも。
返信は、まだ来ていない。
深呼吸する。
怖い。
さっきみたいに、都合よくはいかないかもしれない。
でも。
それでいい。
画面を見つめる。
数秒後。
通知が鳴る。
『久しぶり。ごめん、今気づいた』
その一文が、やけに現実的で。
さっきの“完璧さ”より、ずっと安心した。
少しだけ笑う。
指が、また動く。
今度こそ、本当に。
ちゃんと会いに行くために。
帰り際、もう一度だけ振り返る。
路地の奥。
暗闇の中。
一瞬だけ、白い光が見えた気がした。
そして。
誰もいないはずのそこから、声がした気がする。
——次は、ちゃんと選んでね。
待ち合わせは、あの駅前にした。
何度も通った場所なのに、今日はやけに現実味があった。
人の話し声、電車の音、コンビニの光。
全部がちゃんと「普通」で、少し安心する。
ベンチに座って、スマホを見る。
『もうすぐ着く』
たったそれだけのメッセージ。
さっきの“完璧な再現”とは違って、短くて、少し素っ気ない。
でも、それがいい。
ちゃんと人間っぽい。
ふと、胸の奥を確かめる。
あのとき感じた“勇気”の熱は、まだ残っている。
でも同時に、別の違和感もあった。
うまく言葉にできない、小さな引っかかり。
「……なんだろ」
考えようとすると、少しだけ頭が重くなる。
思い出せそうで、思い出せない何か。
そのとき。
「……あ」
顔を上げる。
少し離れたところに、見覚えのある姿。
こっちに気づいて、軽く手を上げる。
その仕草は、さっき見た“あれ”とは違う。
ちょっとぎこちなくて、少し照れてて。
ちゃんと、現実だった。
「久しぶり」
「うん、久しぶり」
距離は、今度はちゃんと縮まる。
沈黙が落ちる。
でも、嫌じゃない。
「さっきさ」
相手が、少し困ったように笑う。
「急に連絡きたから、びっくりした」
「……ごめん」
「いや、いいけど」
少しだけ視線を逸らす。
「俺も、ちょっと気になってたし」
その一言で、胸が少しだけ軽くなる。
でも、それ以上に。
変に期待しすぎない自分がいた。
さっき“あれ”を見たからかもしれない。
完璧な再会なんて、どこにもないって知ったから。
「話、あるんでしょ?」
そう言われて、頷く。
今度は逃げない。
ちゃんと、自分の言葉で。
「……あのとき」
少しずつ、話す。
逃げた理由。
本当はどう思ってたか。
全部、綺麗には言えないけど、それでも。
ちゃんと伝える。
相手も、途中で何度か言葉を返してくる。
食い違いもある。
勘違いもあった。
でも、それも含めて現実だった。
話し終えたとき、少しだけ息が楽になる。
「そっか」
相手は、少し考えるようにしてから言った。
「俺もさ、言えてなかったことある」
そこから、また言葉が続く。
さっきの“完璧な会話”とは違う。
詰まるし、言い直すし、変な間もある。
でも、その全部がちゃんと本物だった。
少しだけ笑う。
たぶん、これでよかったんだと思う。
結果がどうなるかは、まだわからない。
でも、逃げなかったことだけは確かで。
それだけで、十分だった。
別れ際。
「じゃあ、また」
その言葉は、軽くて、でもちゃんと未来があった。
「うん、また」
手を振って、背中を向ける。
少しだけ、名残惜しい。
でも、振り返らなかった。
今は、それでいい。
帰り道。
あの路地の前で、足が止まる。
暗い。
何もない。
……はずなのに。
視界の端で、白い光が揺れた気がした。
ゆっくり、顔を向ける。
そこに。
——やっぱり、自販機があった。
「……まだ、あるんだ」
さっきと同じ、無機質な光。
近づく。
ラインナップが、少し変わっていた。
『安心 100円』
『後悔 50円』
『勇気 売り切れ』
『忘却 500円』
『再会 1000円』
そして。
新しく増えていた文字。
『真実 1500円』
「……なにそれ」
小さく笑う。
でも、目が離せない。
“勇気”は、もう売り切れだった。
さっき、使ったからかもしれない。
じゃあ、“真実”は?
これを買ったら、何がわかる?
さっきの違和感の正体?
それとも——
「……」
ポケットの中の小銭を握る。
冷たい感触。
でも、もうさっきみたいに衝動では動かない。
しばらく考えて。
ゆっくり、手を離した。
「……いいや」
呟く。
全部を知る必要なんて、ない。
知らないままでも、進めることはある。
それに。
少しだけ、思う。
もし“真実”を知ったら。
さっきの再会すら、壊れてしまう気がした。
それは、たぶん。
望んでない。
一歩、後ろに下がる。
その瞬間。
自販機の光が、わずかに揺れた。
まるで、何かを言いたげに。
でも、何も起こらない。
そのまま、暗闇に溶けるみたいに消えた。
家に着いて、ベッドに倒れ込む。
スマホが震える。
メッセージ。
『今日はありがと。ちゃんと話せてよかった』
少しだけ、間を置いて返信する。
『こっちこそ』
それだけ。
それ以上は、今はいらない。
画面を閉じる。
目を閉じる。
ふと、あの自販機のことを思い出す。
最後に見た、『真実』。
もし買っていたら、何が起きていたんだろう。
……いや。
考えても、たぶん答えは出ない。
ただ、ひとつだけ。
なぜか、妙に引っかかることがあった。
今日、話した内容。
言葉の流れ。
相手の反応。
——どこかで、一度体験した気がする。
「……気のせい、か」
そう呟いて、目を閉じる。
そのとき。
頭の奥で、微かに何かが弾けた。
知らないはずの記憶が、一瞬だけよぎる。
白い光。
別の選択。
『真実』のボタンに伸びる、自分の手。
そして——
そこで、ぷつりと途切れた。
それ以上は、思い出せない。
思い出してはいけないみたいに。
夜のどこかで。
誰もいない路地に、また光が灯る。
静かに並ぶ、いくつもの選択肢。
その中で。
『真実 売り切れ』
の表示だけが、やけに新しかった。