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昭和初期に建設されたこの建物は
外観はそれこそ今にも倒れそうな
劣化された所が数々見れたが
内装はここの学園長が
あちこち長年かけて
手作りで丁寧に補修されてあり
大勢のそれこそなんらかの理由で
親と暮らせなくなった子供達が
集団で生活していくには
申し分ないくらい快適に
過ごせるようになっていた
あたしは太陽学園の前に立ち
ここを出て行ってから
まだ一年ほどしか経っていないのを
嘘のように感じていた
今の午後の時間は
子供達は学校へ行っている時間だ
あたしはそっと
本館の横手にある礼拝堂に足を運んだ
そこはとても静かだった
天井が高いゴシック様式の
礼拝堂に入っていくと
懐かしいステンドグラスの光に包まれた
祭壇の前に目を向けると
僧衣に身を包んだ男性が片膝を折り
祈りに没頭してた
その後ろ姿を見た途端
あたしは涙が溢れるのを
ぐっと我慢した
「学園長!」
あたしの声に学園長が
はじかれたように立ち上がった
大きな瞳があたしを上から下まで
確認する
「おおっ!なんとっ!
ユカではないか!! 」
「学園長!!」
あたしは学園長に飛びついた
お父さんのように親しんでいた
大好きだった彼の僧衣にしがみついた
涙が溢れてくる
ああ・・・・
なつかしい学園長の匂いを吸い込んだ
学園長は力いっぱいあたしを
抱きしめてくれた
「なんてことだ!
神が祈りに答えてくださった!
ああっ!ユカ!今までどこにいたんだ
心配したんだぞ! 」
「ごめんなさいっ!
学園長!ごめんなさい・・・・ 」
しばらくあたし達は
抱き合って泣いた
礼拝堂では日中の忙しい脈動は消え
こうして学園長と抱き合っていると
今まで何もなかったような
気がしてくる
そう・・・あたしは普通の高校生の
ユカで・・・
でももう知ってしまった
ここではない外の世界を
出会ってしまった運命の人に
いろんな事があった
でもそれを乗り越えた自分を信じていた
そしてここに来た本当の理由を
学園長に話さなければいけない
彼は瞳を涙で濡らし
あたしを歓迎してくれた
その目じりに大きな疲れと皺を見た
学園長はあたしを見てうなずいた
「美しく成長して・・・・
しかも健康そうだ
本当に・・・・
積もる話があるようだね
一からすべて話してくれるな
ユカ・・・・ 」
「はい・・・・学園長
すべて・・・・
すべてお話します
でも・・・・
まずはこの人を紹介させてください 」
あたしが礼拝堂の入り口に目線をやった
それと同時に学園長も同じ目線を
入り口に向けた
午後の日の光を背中に受けて
ジョージが立っていた
ぎこちなく伏し目がちで
手を前に組んで緊張しているのか
体が強張っているのが目に見えてとれる
あたしと学園長を見据えていたが
彼が学園長に小さく会釈した
「この方は?・・・・・」
学園長も小さく会釈して
あたしに聞いた
「佐野ジョージさんよ 」
「はじめまして 」
ジョージがあたし達の前にきて
深々とお辞儀をした
「おお!
これはこれは!ご丁寧に・・・・・
失礼ですが外国の方ですか? 」
「残念ながら生まれも育ちも日本です
ですが・・・
母がイタリア人で父が日本人です 」
ジョージが用心深く学園長を
観察しながら言った
学園長はこのジョージの話に深く
感心をよせて笑った
「そうですか
てっきり私はあなたを一目見た時
聖書から飛び出してきた
大天使ガブリエルかと思ってしまいましたよ 」
学園長が明るく笑ったので
あたし達の緊張が少し緩んだ
もっとも学園長を嫌う人なんて
あたしは見たことがなかった
ここにジョージを連れてくるように
彼を説得するまでとても時間がかかった
彼はあたしが大阪に戻ることを
とても危険だと言った
でも
カトリックの学園で育った
あたしはどうしても譲れないものがあった
あたしはジョージが嫌っている
自分は外国人とのハーフの
話題をそらすために学園長に言った
「ねぇ 学園長・・・・
あたし この人と結婚します・・・・ 」
ジョージは学園の周りを落ち着きなく
散歩していた
ユカはもうずいぶん長い間
園長室で彼と話し込んでいる
おそらく彼女の性格だから
家出して今まであった出来事を
洗いざらい話しているのだろう
今更今までの事をユカの口から聞いて
復習する気にもなれず
ジョージは二人の話が終わるまで
外で待つことにした
ジョージ自身はロベルト以外
人を信頼して自分をさらすこと
など考えたこともなかった
世の中敵だらけが当たり前の世界で育った
しかしユカの話を聞いて
彼女を育ててくれた
学園長は信頼に値する人物だと理解した
そして彼女は厳粛な
カトリックのここで育ったんだ
どんな無茶をしていても
彼女の原点の思想はここにある・・・
だがいつまでもここにいると
落ち着かなく危険な気分になっていた
ロベルトの植物図鑑の
印税が今だに入ってくる
死んでもロベルトはジョージに色々
残してくれた
そして癌治療に当てていた
ジョージのホスト時代の貯えも充分ある
早く島根のロベルトの家に帰りたかった
あそこでユカと二人で
豚を育てたり農業で生計をたてて慎ましく
暮したかった
ロベルトに育てられたおかげで
植物についての知識は沢山ある
ひそかにジョージは
ロベルトの植物図鑑の
第二弾の出版を考えていた
良い天気の学園の庭を散策していると
少し心が落ち着いてきた
ここがユカの育った所か・・・・
図書館
礼拝堂
薬草園・・・
温室はとても小さかったが
手入れが行き届いていた
ブラブラと散歩しているうちに
どうやら学園長は
何でも大きく育てるのが得意らしい
あとで学園長と菜園について
議論を分かち合いたいと考えていた
許されるならば
庭の金魚がゆったり泳ぐのが見える
ベンチに腰掛け水圧ポンプの
心地良い音に耳を傾けていた時
「うわっ!」
小さな手がジョージの膝に振れて
ジョージはハッとして
ベンチから転げ落ちそうになった
目の前に大きな目をした小さな女の子が
ジョージを見上げていた
手も足も小さい
こんなに小さいのに動いているのが不思議だ
女の子は目を皿のようにまん丸にして
ジョージを凝視して言った
「天使さま?」
「人を外見だけで判断するのはよくない」
むっとして方眉を上げて言った
「金髪の外人だからといって
中には悪党もいるさ
ここの牧師は誰でも愛せと言う
かもしれないけどな
現実を見るに早いに超したことはない
ああ・・・
あっちの部屋におもちゃが
あるんじゃないかな?
あっち行けよ! 」
女の子はジョージの言葉を聞いて
一度は立ち去ったが
どうやらおもちゃよりもジョージの方が
面白そうだと思ったらしく
小さな人形を二つ持って
ちょこちょことそばに歩いてきた
一つをジョージに差し出す
ジョージは人形を受け取った
困った
生きているように動かせばいいのだろうか
それともしゃべればいいのだろうか
ジョージの人生で子供と接する
機会などまったくなかった
どうすればよいか分からず
固まっていた時
女の子の方がジョージの
ジレンマを解決してくれた
自分で手に持った人形を
ジョージの人形に押し付け
硬いプラスチックの人形の手を動かし
抱き合うような格好をさせた
「抱っこ」
女の子が笑って言った
胸に温かなものがこみあげてジョージは
落ち着かない気持ちになった
どうにかその奇妙な感覚を飲み下し
女の子の人形の抱擁に応えた
「抱っこ」
ジョージは素直に繰り返した
今度は女の子はハッとするほど
かわいい笑顔で報いてくれた
今度は人形達の
顏と顔をくっつける
「ちゅ~っ 」
ジョージは女の子の求愛に口元を
ほころばせた
「おいおい・・・
まだ知り合ったばかりだよ
何しろ照れ屋なんでね
友達から始めたらどうかな?」
女の子は顔をしかめ
きっぱり言った
「ちゅう!」
ジョージはため息をついた
「わかったよ・・・・
ほら・・ちゅーだ 」
おとなしく従った
女の子は楽しそうにキャッキャッ言った
今や人形達はジョージが少々戸惑うほど
熱烈なキスを始めている
「いいか!くれぐれも言っておくが
俺の方からしたんじゃないからな!
されたんだぞ!
俺は潔白だ! 」
女の子はまぶしい笑みをジョージにむけた
「ダメだ こりゃ・・・」
ジョージはあきれた
懐かしい学園長が入れてくれた
お茶を飲みながらあたしは
学園を飛び出してからの事を
ゆっくりとだけど確実にすべて話した
悲観的でもなく同情をかうような
話し方でもなく
ただ事実だけを話した
それはあたしがジョージに救われてから
自分の身に何が起き
かつ客観的に自分のしてきたことを
受け入れられていたからだ
もし警察に事情聴取をされても
誠実に事実だけを話そうと
ジョージと約束していた
最初園長は信じられないという顏を
していたが
学園長は一つ一つあたしの言葉を
卒倒しないように意識を
集中させて聞いてくれていた
気まずく・・・
言いづらい事も沢山あったけど
あたしは小さい頃から
すいぶんの人が彼に懺悔するのを
この目で見てきた
そして学園長はあたしの
願いを聞き入れてくれた
あたしはジョージと結婚する条件に
ここで結婚式を挙げたいと学園長に言った
学園長はしばらく色々言っていた
若すぎるとか
学校はどうするとか
でもあたしの決意は変わらず
どうしてもジョージと結婚したいことを
彼に話した
離れ離れになりあれほどのことがあって
生きていられるのが不思議なぐらいだ
これからの人生ジョージなしでは
考えられない
それに無理にここに連れ戻されても
どのみちあたしはジョージのもとへ
行くだろうから
共に人生を歩んでいく・・・・
あたしの決意は変わらなかった
長い時間学園長と話していたから
ジョージが心配になってきた
そして
「彼を呼んできなさい」
と学園長がためいきまじりに言ったのを合図に
あたしは立ち上がり
ジョージを探しに行った
長い廊下の庭の端で彼を見つけた
「ジョージ!」
あたしの言葉に彼が振り向くと
あたしは驚いた
ジョージが小さな女の子を胸に抱えていた
2歳ぐらいだろうか・・・・
はじめて見る子だ
多分あたしがここを出てから
連れてこられたのだろう・・・
ジョージがあたしを見つめてしかめっつらをした
「何してるの?ジョージ?」
ジョージと小さい子供ほど
似つかわしくないものはない
あたしは首をかしげて言った
「おしっこって言うから・・・
ここは迷路みたいだ!
トイレはどこだ? 」
ブスッとしかめっ面をして
ジョージが言った
「え?ああっ・・・
トイレは向こうよ 」
右の奥を指さした
ジョージはさっと踵を返し
女の子を抱きかかえたまま
トイレに向かった
「まったく・・・・
漏らされたら
俺のせいにされてしまう 」
女の子はくるんとした巻き毛で
ジョージの首にしがみついている
背中のジョージの肩越しに
目元だけがのぞいていた
しっかり目が合った
あたしはニコリと頬笑んだ
「マリアさま?」
「ああ?ちげーよっっ!」
そのままジョージは女の子を
トイレに連れて行った
不思議な感覚にあたしは
笑い出したくなった
心が弾んでいた
ジョージがどんどん
人間らしく変っていっている
でもそれは生まれた時から
もともと彼の中にある気質で
情に厚く優しい心根が
ここにきて彼のひどい環境から
牽制された防御を脱ぎ捨て本来の彼が
表れているのだろうか
今や彼の周りを取り囲む空気は
やわらかな優しさで包まれて
彼はそれだけの事を
あたしにしてくれた
法律上のことが残っているだけで
あたし達はすっかり夫婦だった
彼はあたしを養い
あたしは彼を支えた
あとは神様の前で誓うだけ
もう彼なしの人生は考えられないから
きっと思いは同じだと信じている
そう・・・・・
この時は・・・・
何もかもが上手くいくと信じていたの・・・・
「とっても綺麗よ!上出来ね!」
以前学園の汚職がばれて
クビになった職員の高木の後に
新しく就任された葉山先生は
ほっそりした丸メガネの奥から
目を輝かせてそう言った
葉山先生はあたしの髪をつかみ
後ろの高い位置でまとめて
ティアラをかぶせ
ところどころ引っ張ってゆるめ
耳の前には巻き毛を垂らした
礼拝堂は町の若者が挙式を上げる時には
小さなチャペルに変わる
今はあたしはそのチャペルの奥の
貸衣裳部屋件花嫁控室で
結婚式の身支度をしていた
間もなく学園長司祭の
あたし達の結婚式が始まる
まさにあたしの願いが叶った
襟ぐりの深いパールがちりばめられた
パフスリーブの純白のウエディングドレスは
少し古風だけととても気に入った
そこから微かに湧き立つ
少しかび臭い匂いでさえあたしを幸福にした
今の時期は庭に花が沢山咲いてるので
髪に花を飾ろうかどうしようか
先生と話していると
控室の扉が勢いよく開いた
「ユカちゃん!!」
なんと麻美があたし目がけて
飛んできた
「ああ!
麻美ちゃん!!無事だったのね!
ああっ! よかった 」
麻美があたしの胸に飛び込んできたので
あたしはしっかり彼女を受け止めた
あたし達はしばらく声を上げて泣いた
「ユカちゃん!ユカちゃん!
あたし・・・
何て言ったらいいか・・・ 」
「そんな麻美ちゃんあたしこそっ!」
二人はお互い涙で濡れた顏を
拭きあいながら訳の分からない
言葉を言い合った
そしてその次には爆笑し出すという
なんとも周りから見たら
おかしな光景だった
ひとしきり笑いが収まった頃に
ようやくまともな会話が出来始めた
黒の礼装用のワンピースに
身を包み麻美が嬉しそうに言った
「今日の事知らせてくれたのは
ジョージなの!
猛とあの二人
密かに連絡とりあってるのよ!
いやらしいわよね!男同士のくせに 」
「え?じゃぁ!麻美ちゃんは猛と? 」
嬉しそうにウインクして言う
「今は猛と一緒に住んでるの
っつーかあたしが勝手に彼の家に
転がり込んでる感じだけど
あれから猛は土木建築の仕事を辞めて
知り合いの空手道場で師範として
教えてるのよ! 」
「まぁ!それじゃ麻美ちゃん達って・・・・」
麻美の顔に満足そうな笑顔が広がった
「あたしは猛のそばを離れないつもり
それにもう一回高校をやり直そうと思って
今は通信で勉強してるの
ママとの事も・・・・・
猛がちゃんとしろって言ってくれて
お前が話しにくいなら
俺もいてやるって一緒に会いに行ってくれて」
「すごいわっ!麻美ちゃん!!」
あたし達は手を握り合って喜んだ
「ずっと・・・・あやまりたくて・・・
ごめんね・・
あの時・・・あたしだけ逃げてしまって・・・
ユカちゃんが辛い思いしてるの
あたし知らなくて・・・ 」
その言葉でまた涙の箍が外れた
「ううん!
麻美ちゃん!言わないで!
あたしこそっ!
それに猛と一緒になって助けに来てくれて
どんなに嬉しかったか・・・・ 」
「ユカちゃん!」
「麻美ちゃん!」
二人で泣き笑いが止まらなかった
かけがえのないあたしの親友・・・
そこに後ろから男性が静かに入ってきた
「よぉ・・・・
涙の再会は終わったか? 」
「猛っ!」
目の前にいるこれまた
スーツ姿の猛の目には
あたしを頭から爪の先まで眺めまわし
賞賛のまなざしを送った
「ああ・・・・
綺麗やな・・・・
結婚おめでとう 」
麻美がぷくっとほっぺたを膨らませた
それがおかしくてあたしは
思わず笑ってしまった
笑いながら涙が出てくるから
本当に困ってしまった
どんなに感謝してもこの二人には
感謝しきれない
猛が頬笑んで言った
「色男が首を長くして待ってるぞ 」
その言葉を合図に
痩せこけた葉山先生が手をならして言った
「あら嫌だ もうこんな時間!
さぁさぁ!式が始まるわよ!
行きましょう 」
もうすぐ冬が来るというのに
とても暖かい日差しが降り注ぐ午後だった
教会のステンドグラスが幾重もの光の
コントラストを作り上げていた
式場には麻美や猛ほか
下校した学園生たちが集まっていた
葉山先生は小さく微笑んで自分の
努力の賜物に満足そうにうなずいていた
隣りにはショージと先ほど一緒にいた
小さな女の子がバージンロードに花を
撒いていた
厳粛なパイプオルガンの鳴り響く中
バージンロードをあたしは静かに
歩いていた
マリア様の祭壇の前には笑顔で学園長が
白い僧衣に金の縁かがりの袈裟を
付けあたしを見て微笑んでいる
そして・・・・
あたしの歩くバージンロードの先には・・・・
あたしを麗しい花嫁というならば
花婿はまちがいなく
目もくらむような閃光だった
あたしはぽかんと口を開け
そのまま閉じるのを忘れた
正装したタキシード姿のジョージは
実にみごとだった
彼の金髪は水に濡れると
濃淡の筋を描き
今はブラシをかけられすっきりと
オールバックにまとめられている
そのせいで
きわだったハンサムな顔立ちが
本当に天使かハリウッド俳優のようだった
がっしりした肩幅
目を見張るほどの容姿
真っ白なタキシードの内ポケットには
小さな鈴蘭のブーケが刺さっている
またそれがジョージの肌に
とても映えていた
あたしが知っているホスト時代の
彼でさえこんなに艶やかな姿は
見たことが無かった
「どうかな?」
彼はスーツの襟を小さく正して
うやうやしくあたしの手を取ると
非の打ちどころがないエスコートで
いたずらっぽく目を輝かせた
麻美と濱田先生がほぉっ・・・と
ため息をついたのがわかった
きっと猛はさぞ苦虫をかみつぶしたような
顔をしている事だろう
そう思うとおかしくなった
厳粛なカトリックの結婚式が始まった
学園長がかなでる
聖書の詩編がここちよく響いてくる
園長の言葉が誓いの指輪の時になって
はじめて指輪を用意してなかった
事に気付いた
するとジョージが
ポケットから小さな指輪を取りだした
信じられない
いつのまに?
「・・・間に合わなくて・・・・
ロベルトの指輪なんだけど・・・・ 」
「こんなに嬉しい事はないわ 」
指輪はぶかぶかだったけど
分厚いシンプルなシルバーの指輪があたしを
現実に引き戻してくれた
だってさっきから
夢をみているような感じ
がずっと離れなかったから
サイズはあとで直せばいいという
ジョージの囁きをぼーっと
しながら聞いていた
「わたしは汝・・・清水ユカを妻にめとり・・・」
誓いの宣言の時
ジョージの声は震えていなかったが
あたしの手は震えていた
「お互い愛し・・・・敬い・・・・
良い時も 悪い時も・・・・
病める時も・・・健やかなる時も・・・」
あたしは彼の手をぎゅっと握った
二人の指は磁石のようにくっついた
いろんな事があった
こうして横にいるジョージを見つめていると
初めて心斎橋で彼に声をかけられてから
もう何年も経ったような気がしてくる
思えば初めて会ったその瞬間から
あたしはジョージに
まいっていたのかもしれない
そして平凡なあたしを行動に
突き動かしていたパワーは
いつだって彼への想いからだった
あたしは今全身でどうしようもない
彼への愛で震えていた
こんなに美しい彼が
あたしを妻にしてくれるなんて
今まだに信じられない
ジョージがこっちを見つめていたので
あたしも彼を見つめた
そして彼があたしを誘うように目を動かす
「・・・今日この日よりいつまでも・・・」
二人で同時に囁く
「共に死が二人を分かつまで・・・ 」
あたし達はコットンキャンディみたいな
キスをした
抱擁のあたたかさ
聖域
会場がさわめき
次の瞬間おめでとうの拍手に変わった
あたし達は照れながら体を離した
「これからよろしく奥さん」
ジョージが笑ってあたしに言った
「おめでとう~~~!ユカちゃん!」
麻美が大声で叫んだ
小さな女の子は奇声を上げ
そこらじゅうに花をまき散らしていた
大勢の人が笑顔で拍手をしていた
その時何かがおかしいと気づいた
いったい何がおかしいのだろうと思ったけど
すぐにはわからなかった
はっとしてジョージをもう一度見上げた
「ジョージ!!それっ!!!」
「うん? 」
ジョージの鼻から一筋の血が流れた
彼がふらついたから
あたしは両手で彼をあわてて支えた
「なんだ?」
おどろいた表情の彼が片手で
鼻をおさえた拍子に
鼻から口から血が噴き出した
「キャァァァァァ!!」
会場が一気に騒然となった
「ジョージッ!ジョージっ! 」
あたしは血でほとばしる
彼の鼻を押さえた
そんなことで止められるわけないのに
あたしの顔に胸に血しぶきが飛び散り
ウエディングドレスを
文字通り血で染めた
「だいじょ・・・・ぶ・・・ 」
今や彼の手もどこもかしこも血だらけだった
グレー色だった彼のタキシードの胸の
ネクタイも真っ赤に染まり
必死で支えるあたしの腕をとり
やがて彼は白目を向いて後ろに倒れた
支えきれずあたしも同時に倒れた
彼の後頭部が地面とぶつかる
鈍い音を立てた
「救急車」
と学園長が叫ぶ
猛の手があたしを引きはがす
あたしはそれに全力で抵抗する
タオル・ハンカチ・テッシュ
大勢の人の声と手があたしとジョージを囲む
やかましいざわめき
事はいきなり起こった
なにもかもがあまりにも急だったので
実際に何が起きているのか
わからなかった
早くなんとかしないといけないのに
何をどうすればいいのか分からなかった
冷水を浴びせられたかのように
体は冷たく腕が重く
ジョージを抱きしめているのに
温かみはなく
感覚はゴム人形を抱いているようだ
水中でただよっているかのように
音が二重に聞こえ
最後は混沌の渦に呑み込まれた
病院のスタッフがあたしを患者に
近寄らせようとしないのも無理もない
救急車で一緒にジョージに
付き添ったあたしは
血まみれのウエディングドレスで
囚われた動物のように
病院の受付をウロウロ徘徊していた
暫くして学園長や麻美と猛がやってきた
紙袋に着替えを持ってきてくれた
あたしはトイレですばやく
血で染まったウエディングドレスを脱ぎ捨て
麻美のトレーナーとGパンに着替えた
洗面所で手と顏を洗い
目の前の鏡に写る自分を見た
剥がれ落ちた化粧と
葉山先生の努力の賜物の
髪型だけが浮いておかしくなった
やっとこの格好になって受付けを通り
ジョージのいるICUの前の
廊下に行くことが出来たのは
もう深夜だった
廊下のプラスチックの椅子に腰かけている
学園長と麻美と猛三人が
同時にあたしを見た
猛があたしに向かって言った
「出血が多かったから輸血の必要があるらしい・・・
その為には家族の同意書にサインしないと
いけなくて
今で言う・・・家族は・・・ 」
「あたしよっ!」
すばやく言った
学園長があたしの手を握り目を覗き込んだ
「病室に入る前に
担当の先生から話があるって・・・・ 」
薄暗い診察室でパソコンの画面だけが
やたらと眩しく光る
そのパソコンの前に座る
年老いた担当医の説明をあたしは
不安な気持ちで聞いた
その担当医は自分のことを
薬物乱用患者専門医だと説明し
冷たく淡々と語りだした
まず
ジョージの症状の大量の吐血と鼻血の原因は
ある種の薬物で鼻腔と喉の細胞が犯され
今は口腔に穴が開いてしまっていること
そして血液検査
CTスキャンで脳を検査した所
今の彼の状態は脳細胞が破壊され
具体的には脳内の血管収縮が始まり
血管が収縮すると同時に大量の出血
免疫力の著しい低下
脳の機能が弱まり
歩行困難やあらゆる後遺症の可能性
今は大量出血のため
極度の貧血できわめて危険な状態で
こういう状態の末期の患者は
担当医は何度も見てきたこと
担当医はあたしを睨んでこう言った
「彼は過去に覚醒剤を大量に
摂取していたんじゃないのかい?」
あたしは背筋が凍った・・・・
ロベルトの家で暮らしている時は
彼はそんなそぶりは一つも見せなかったし
3食二人できちんと食べて
とても健康的な生活をしていた
でも・・・・
それ以前は?・・・・
あたしは彼のマンションで彼が
薬物を摂取する所を何度も見ていた
時は鼻から・・・
時には注射針で
何度も
何度も・・・・
担当医はどのみち全力を尽くすが
万が一の時には覚悟をしてくれと言われた
ICUに戻ると疲れた顔の3人に
これ以上心配かけられないと悟った
とりわけ今日は
あたしが付いているからと
学園長と麻美と猛を玄関まで送り出し
ジョージが寝かされている処置室に向かった
一晩はここで過ごすらしい
止血剤が効いているのか
鼻血は止まっていて
綺麗にしてもらったのだろうが
鼻や口の周りにはまだ
血の跡が生々しくついていた
ベッドで寝かされている
ジョージは青白い顔に
金髪だけは艶めいていて
マネキン人形の様だった
たくましい体がぐったりと
横たわっている光景に胸が痛んだ
点滴チューブには
輸血の真っ赤な血が流れている
なんともボロボロに見える
いつの間にこんなになったの?
さっきの幸福の絶頂から
地獄の底につき落とされたみたい
あたしは彼の手を取った
ジョージの手は冷たくじっとりしている
あたしはそれをきつく握りしめた
無重力の空間にいて
この手を離したら宇宙空間へくるくると
吸い込まれてしまうといわんばかりに
他にあたしをつなぎ止めてくれるものはない
他に帰順するものはない
彼が死ぬはずがない
そんなことになったら
大事なものは何一つ無くなってしまう
冷たく空ろな虚無が残るだけ
彼が死ぬなんて考えたくもなかった
彼がよく眠っているのを見届け
少し外の空気を吸うためICUを出て
廊下のプラスチックの椅子に座り込んだ
時計の秒針が進んでいく
時間はゆがみ
潤んだ目でぐるぐると乱れ舞う光が
奇妙なかたちに見えた
瞼が重い
足も
心も
ずっしりと重い
「清水ユカさんだね?」
胸についていた顎がぱっとあがった
うなだれていたせいで首が痛む
いつの間にか
眠っていたのだ
あたしは目をこすり
目の前にいる一分の隙もなく
装った服装のずんぐりした
中堅男性に目の焦点を向けた
コーヒーを二つ持っている
「私は少年犯罪科の三俣刑事と申します」
あたしはうなずいた
このタイミング?
言いたいことは何もない
好奇心も恐怖も希望もない
あたしは生気の無い目で男性を見つめた
彼が言った
「田村慎二が経営していたストリップショー
の婦女暴行及び未成年人身売買事件
さらに秋田県のとある風俗店放火事件
の一件で証言していただきたく来ました」
あたしはじっくり考えた
しばらく見つめあった
「あたしは逮捕されるんですか?」
「現時点では違います 」
刑事は優しい目で
でもすべてを見透かすような
口調で言った
今はジョージのそばにいたかった
でも その時が来たらやらなければ
いけないことだともわかっていた
二人で何度も話し合った
けじめをつけないと行けない
自分のしたことには責任を
持たないと
「コーヒーはいかがですか?」
あたしは刑事が差し出した
コーヒーを受け取った
目をしばたかせると
少しだけコーヒーに口をつけた
だが熱さにむせて咳き込み
やがて落ち着きをとりもどすと
あたしはうなずいた
「いいわ・・・ 」
物憂げに言う
「証言します」
ジョージが病院の中庭を車いすで
一周するのはこれで3回目だった
初めて倒れてから
いくら彼がリハビリに熱をあげても
どんどん痩せ衰えていく姿を見るには
本当に耐えられないものがあった
そして今・・・・
彼は二足歩行で歩く事が出来なくなっていた
免疫力が低下しているので
すぐに疲れてしまうのだ
息を喘がせ彼が車輪を回して
ベンチにいるあたしに近づいてきた
「よしっ・・・・
それじゃ 1Fのカフェテリアに行こう!
コーヒーを飲むんだ 」
あたしは彼の肩に
ショールをかけた
「そんな・・・・・
少しベッドで休んだらどう?
また無理したらこの間みたいに熱が出るわ!」
彼が顏をしかめて言う
「大丈夫だ!!
心なしか治ってきているような気がするんだ
退院したらロベルトの庭も手入れしないと
いけないし本も執筆したい
だからこの間の薬物患者がみごと生還して
人生を謳歌しているといった話をしてくれないか
お前がインターネットで
見つけたそのブログの話を 」
「ハイハイ
じゃあ行きましょう・・・・ 」
言い出したら聞かない頑固な性格だけは
体が衰えても変わらないものだ
彼が病床についてから
あたしの世界はまったく新たな形に変化した
ジョージは重症の脳性麻痺患者と診断され
しかもあたしの証言からも影響して
彼も薬物所持乱用で逮捕されないかわりに
大阪でも都心にある警察病院に
入院し治療することになった
もっとも警察の監視下のもとで・・・・
ときどき刑事がきて
ジョージの部屋で事情聴取を
長い間とる事があった
それは数十分で終わることもあれば
まる一日かかることもあった
その時は決まってあたしは
病室に入れず時には病室に行っても
会えないまま帰る日もあった
刑事たちは疑いをかけ時には
ハッタリをかまし
証言の寸分の狂いを見つけ出し
そしてまた最初の尋問に戻る
忍耐力のいる仕事だなと
つくづく思った
彼もあたしと同じく何日もかかって執拗な
尋問に辛抱強く答えた
時には同じ事を何度も言わされた
でも二人とも真実しか語るつもりもなく
彼自身も自分のしてきたことにけじめを
付けるべく包み隠さず話して
一生懸命勤めを果していた
しかし月日が流れていくにつれ
彼はやせ細り
髪の艶は消え・・・
鎖骨のくぼみはどんどん深くなっていく
その症状が進んでいることは
誰の目から見ても明らかだった
あたしは毎日ジョージの見舞いに行っていたので
島根のロベルトの家には帰らず
夜は学園で以前住んでいた
あたしの部屋に下宿させてもらい
日中はほとんど病院で彼と一緒に過ごした
あたしがいつ帰ってきてもいいようにと
あたしの部屋をそのままにしてくれていた
学園長の気持ちが身に染みた
「彼の病状は回復する見込みはあるの?」
麻美が学園の夕食の
テーブルを挟んであたしに問いかけてきた
最近麻美はここのボランティアで
子供達に折り紙や手遊びを教えに
来てくれていた
将来は保育士になりたいという新たな
目標を持った麻美はとても生き生きしていた
今日は学園長の好意から麻美は
あたしやみんなと一緒に夕食を食べていた
あたしはサーモンを小さく切り分けながら
返事に困ってしまった
でも信頼のおけるみんなだからこそ
不安も打ち明けられた
「うん・・・・実の所
あんまり良くはないの・・・ 」
学園長が同じくパンをちぎりながら
あたしに言った
「そうですか・・・・・
でもユカ
時に神は奇跡を起こします
最後まであきらめてはいけません 」
学園長が言った
横にいる葉山先生も
そのほっそりした手をあたしの
右肩に置き微笑んで言った
今やあたしはこの人が大好きになっていた
「週末には私も
お見舞いに行ってもいいかしら」
「あら!それなら私も行くわ!ユカちゃん 」
麻美がサーモンを口に運びながら言った
みんながジョージに
気づかってくれているのが
とても嬉しく心が温まる
「そんなに大勢で押し寄せたら
ジョージが固まってしまうわ
彼照れ屋だから 」
「それは言えるわね! 」
麻美がもう一口サーモンをほおばって言った
それから麻美は昔のジョージが
いかに傲慢でナルシストだったかを
ホスト時代の彼のエピソードを語り
夕食を盛り上げた
あたしはおかしくて笑って
笑いすぎて最後は切ない涙に変わった
「死ぬには・・・・・・
彼は若すぎるわ・・・・ 」
葉山先生が目頭を押さえながら
ポツリとつぶやいたのを
あたしは聞き逃さなかった
ある日の夕方
彼は病室のベッドに腰かけていた
あたしはベットの脇の丸椅子に座り
彼の右ひざに頭をもたせて
彼の膝にゆったりおさまっていた
二人して長い間
病室の大きな窓から日が
ゆっくり沈んでいくのを見守った
ここからは山や緑は見えないけど
目の前に大阪の街並みが広がっている
小さな軒並み・・・
マンションの一室・・・・
あの中で
様々な人が毎日の暮らしを慌ただしく
こなしている
何も話す事はなく
身動き一つしなかったけど
あたしはとても幸福な気持ちに包まれていた
顎をあげてジョージをうっとりと見つめる
昨日の夜に発生した熱のせいで
こけた部分が際立っているように思えたし
部屋の乾燥で唇がひび割れていた
目は乾いて充血気味だ
実際ジョージは辛い治療を辛抱強く受けていた
毎日の点滴・・・・
検査・・・・検査・・・
何十種類の薬・・・・
本当にあたしなら泣きごとの一つでも
言ってるはずだ
彼はあたしの髪の毛を
もてあそんでいた
ひとつまみ持ち上げては
指の周りにくるくる巻きつけたり
4本の指を髪の毛の中に差し込んで
持ち上げてみたり
やさしくひっぱったりしていた
「昨日学園長が来て
あることを頼んだよ・・・・ 」
「うん・・・・ 」
彼は話しながら
同時にあたしの頭の地肌を少しづつ摩擦した
こうして同じ時間をあとどれぐらい
過ごせるだろうと感じていた
彼はもう車いすにも乗れなくなっていた
彼の手はあたしの頭を何度もゆっくりと行き来した
「・・・・俺が死んだら・・・・」
ザバンと冷水をあびせられたように
あたしは体をひきつらせた
「聞かない」
あたしは声をこわばらせた
パニックがおさまると
彼の呼吸を意識できるようになった
彼は落ち着きゆったりと構えている
「言っておかなければならないんだ」
やさしい口調だった
「お前に残したいものがある・・・
家の金庫に俺の株式のポートフォリオや
ロベルトの印税財産を記帳したものが入ってる
俺のクローゼットの奥だ
先日学園長のじいさんが来た時に
すべて彼に話してる
俺がもっているものすべてお前が財産受遺者だ
じいさんが腕のいい弁護士もつけてくれるそうだ」
「いつの間に・・・・」
不意に彼に目を向けた
あたしをじっと見つめる目にあたしと同じ
悲しみが見えた
そう・・・・・
彼も感じているのだ
もうすぐお別れの時が来るのを
顎の先が震えはじめた
ああ・・・・だめ・・・
胸がしめつけられる
「ジョージ・・・・
あたし・・・・
嫌だから 」
あたしの目にかかる髪を彼が優しく払ってくれた
「言いたいことはわかるよ
ユカ・・・・ 」
頬を流れる涙を
彼が指先で受け止める
「・・・できなから
絶対できないから
あなたなしで生きていくなんて絶対にできない!」
彼は何もいわず
口を閉じて頭を降った
すっかり細くなった首に喉仏だけが
やたらと大きく上下した
落ちくぼんだ目でも瞳は優しく輝いてた
「軽くじいさんに懺悔したよ
おれは嘘をつき
人を騙し
信頼を傷つけ
そして・・・・・人を殺した 」
「あれはあなたのせいじゃないわっ!ジョージ 」
彼が深呼吸をしてあたしを見た
アーモンド色の瞳は暗く真剣だった
「ユウコは俺が殺したも同じだよ
ああ見えて 昔は優しい女だったんだ
どこかで狂ってしまったんだろうけど
全く俺が関係ないとは言いにくい
今ではすべてがむなしく思う
慎二のことでさえも・・・ 」
伸ばしたあたしの手を彼が握った
「最近よく考えるんだ
だが・・・
それらの罪に釣り合うものがあるとすれば
死んでお前の所の牧師が言うように
神の前に立つことになったとき
俺はひとつの事を言うつもりだ
数々の罪悪にまみれた俺でもこれだけは
胸を張って言える 」
涙でぐしゃぐしゃのあたしにキスをして言った
「俺は一人の女を愛した」
両手であたしの顔を包んだものだから
ジョージしか見えなくなった
彼もまっすぐあたしを見つめる
「真実の愛を見つけた
彼女のために生き
俺は持てるものすべてを与えた
充分ではなかったかもしれない
でも それが俺のもてる全てだ 」
あたしは身じろぎひとつできず
心が引き裂かれるようだった
涙で彼の顔が滲む・・・・
彼の頬に一筋の涙が流れた
「・・・できるなら
一緒に年を重ねたかった・・・
でも悔やんでもどうしようもない
最後に俺がしてやれることをお前に
残してやりたい悔いのないように 」
あたしは彼に飛びついた
「ああ・・・・
ジョージ!
ジョージ!
愛してるわ
愛してる!! 」
どうて神はあたしからこの人を奪うの?
この先どうやって生きていけばいいの?
心が引き裂かれる
「ああ・・・ユカ・・・・
お前を残して逝くことが
これほど辛いことだとは・・・・
もう俺は十分罪を償ってるよ 」
ジョージの声は切迫していた
あたしは彼の言葉を一言も漏らさず
心に刻みつける
「楽な役割を引き受けるのは俺のほうだ
おまえが来るまであの世で待ってるよ
待つのは得意なんだ 」
彼があたしの髪をなでる
彼はすっかり冷たくなった
あたしの指先にキスした
次に手の甲に
髪に・・・・・
それから顎・・鼻の先
瞼・・・
まるで唇でその形 一つ一つの
感覚を記憶に止めておくように
あたしも同じことを返した
もはや言葉では何も伝えられない
顏に肩にキスした
忘れられない一生忘れられるわけがない
たとえ肉体はなくなっても
今この瞬間の彼の温かさや形を
記憶に刻みつけたい
あたしは彼にむしゃぶりつき
喉のくぼみに隠れた所ひとつひとつに
キスをしていった
そして徐々に這いあがっていき
最後に深く深く彼にキスをした
しばらくして
彼の手があたしの下半身にのび
ズボンのファスナーを開けた
彼が何を考えているかすぐにわかった
でも できるの?
「まぁ・・・・ダメよ
ジョージ・・・・
誰か来るわ 」
「ああ・・・だから
そっとやろう・・・・ 」
「でも・・・・
あなたの体にさわるわ・・・ 」
「ああ・・・
だからお前が上で動いてくれ 」
狭いベッドの中で出来るだけ奥に詰めると
二人とも上半身は服を着たまま
下半身はすっぽんぽんだった
あたしは今すぐ看護婦さんか誰か来て
布団をめくりあげられたら
どう言い訳しようかと考えた
「ああ・・・・
ユカを抱くといい気分だ 」
彼はあたしの胸に顏を埋めて言った
あたしはゆっくり入念に
上になって動いた
リズムを決めたのは彼だが
動きの力はあたしにゆだねられた
彼に気を使い息づかいだけが聞こえる中
彼が疲れてきたのを感じ
彼をしっかり引き寄せ
もっと深く腰を沈み込ませた
そして
あの突然の目を見張る瞬間が二人に訪れ
あたしたちはひとつに溶けた・・・・
つかの間の危うい瞬間
あたしたちは満足で
しばらくじっとしていた
動いたら儚いつながりが
壊れるのではないかと恐れていた
しばらくして彼が笑った
「ここまで出来たのは奇跡だ」
あたしは途端に心配になった
「大丈夫?無理させたかしら? 」
しばらくして彼が身じろいだ
あたしの肩に顔をうずめ
口元がほころんでいる
彼は優しく言った
「たとえ今死んだとしても
俺は幸せに死ねる 」
暁の陽光がほのかに窓を照らす頃
あたしは三度目を覚ました
最初は悲しくて
孤独が身に染みて
身を切られるような枯渇感が全身を襲う
ぬくもりが足りない冷えた体
濡れた枕に顏を埋め
彼の体の断片に胸を焦がせ
また眠りの深みにへと沈んで行った
次に目覚めた時は
荒々しい悦びの中
体を結び合う幸福に背中を弓なりにそらせ
肌に残る生々しい彼の手の
感覚があたしを濡らし
愛する人の力強い腕の中で
再び眠りについた
三度目に目を覚ました時
あたしは暗い部屋に一人だった
あるのは感覚の愛の手触りだけ
最初は嬉しくて
そして二度と味わえない
現実を受け入れられなくて
自分の人生を呪った・・・・・
一週間前の朝方・・・・
彼は病室で静かに息を引き取った
学園長の好意で教会でミサをやり
彼の遺骨は学園の裏山にある厳粛な
墓地に安置された
あたしは最後の数週間の壮絶な
ジョージの死との戦いを
目の当りにし共に苦しみ
彼を見送った後
看病疲れからか数日高熱を出した
自分の部屋のベッドに寝たまま
あたしは何も考えられず
何も感じないようになっていた
魂の半分を引きちぎられたかのよう
学園長や先生達はあたしに
やさしく語りかけるように努め
食事と飲み物を運んできてくれるが
あたしには悲嘆と恐怖以外
何も残されていなかった
ショージは死んだ
会えるのは夢の中でだけ
眠りに落ちれば最初に決まって
ジョージの優しい顏から
それがコケ落ちた骨だらけの彼の顔に変わり
幻覚症状で訳のわからないことを叫ぶ彼になり
それを取り押さえる病院の医師
慎二やユウコも出てきてあたしを責め苛む
ジョージを殺したのはあたしだと
どうして彼が覚せい剤をやっていた時
もっと強く止めなかったんだろう
あれを捨ててしまわなかったんだろう
夢の中での叫び声と混ざり合い
悲鳴をあげ目覚めると
学園長や先生のなだめる声がして
何を言われているかまた分からなくなって
また眠りに落ちる
最後に見たジョージの顔と
彼が手に残した熱い感覚だけを抱きしめて・・・・
心が折れてしまったのか
はたまた 本当にジョージがあたしの
魂の半分を引きちぎって逝ってしまったのか
熱が下がってからもあたしは
ベッドから起き上がれない程衰弱し
食事をとるのに起き上がる以外
ほとんどの時間を眠って過ごした
食事は受け付けなくなり
水を飲んでも吐く時もあった
でもおかしな夢にうなされることは無くなり
眠りは深く黒い湖のようだった
あたしは揺れる水草のように
ただのんきに漂い
思い出と忘却の時を生きた
熱が下がって
少し日中は起きていられるようになったが
まるで生霊のように弱々しく支えがないと
座っていられなくなった
少し動いただけでふっと眠りに引き込まれる
でもここ最近は
夢の中でお腹の周りに星が見える
ーなんだか変だー
夜の星空ではなく
子供の頃に持っていたお人形の
スカートに描かれていた
ピンクの星模様のような・・・・
その星がグルグルお腹を巡っている
すごく不思議な感覚だった
夢見ごこちで部屋には一人でベッドに
横たわっているのに一人ではない
感覚におそわれる
誰かいるの? ジョージ?
「ヒトリジャナイヨ・・・・・ 」
どこからか声が聞こえた
ああそうね
あたしは一人じゃない
でもジョージを失ってしまったの
あたしはジョージがすべてだったのよ
この気持ちわかる?
彼なしでは
どうやって生きていけばいいかわからないの
「ヒトリジャナイヨ・・・・・ 」
だから無理なのよ
あなたは誰?
次に目を覚ました時に気分はいくらか
良くなっていた
ベッドの横に葉山先生が座っていた
「気分はどう?ユカ」
心配そうにあたしの顔を覗き込む葉山先生
痩せ細った顏は下から見ると
目の細い狐に見える
今のあたしも先生にひけを取らず
痩せているのだろうか
「食事を持ってきたわ
少しでも何か口にしないと・・・ 」
彼女がトレーに持ってきていたのが
少しのおかゆと
オレンジを切り分けた物だった
今日は起きて感覚が違うような気がした
おなかが空いている感覚がする
そうね今なら少し食べられそう
「ありがとうございます
少し頂きますね 」
おかゆを少し食べた
美味しい
おかゆがゆっくり食道を降りていき
胃袋に落ち着いた
むかつきがだんだんおさまり
内蔵がようやく落ち着いた
すると突然胃が上下左右に動き
体を引きつらせてせり上がってきたものを
あたしはかろうじてお椀で受けとめた
間一髪でシーツにぶちまけずに済んだ
「口をこれですすいで・・・・
でも飲みこまないでね 」
葉山先生がコップを差出し
あたしの背中をさすってくれている
それからだらしない子にするように
あたしの口を拭いてくれた
まわりに吐き散らした飛び散りが
ないか確認してから
ゆっくりとあたしをベッドに寝かしてくれた
心配そうに眉を寄せて見下ろしている
「ねぇ・・・・ユカ
一度 お医者様に
診てもらうもらう必要があるわ」
「わたしなら・・・・大丈夫 」
再び襲ってくる吐き気と戦いながら
弱々しく微笑んだ
葉山先生がそっとベッドの脇に座った
寝具が大きくたわんだ
「つかぬことを聞くけど・・・
あなた月のものはちゃんと来てるの?」
そんなことを彼女から聞くまで
考えたこともなかった
彼を失った悲しみに体が
まいってしまったと思っていたからだ
まさか・・・・・
そんな・・・・・
でも まだわからない・・・・
でも楊貴館から救い出されて
ジョージと規則正しい生活を
するようになって
すぐに生理が来た
彼はインターネットでトイレットペーパーと
ナプキンを大量に購入してくれた
山積みにされた商品を見て
二人で笑ったっけ
また壊れた涙腺から涙が溢れる
ああ・・・・
ジョージ・・・・
まだ思い出が生々しすぎる・・・
そっとお腹に手をあてる
心の中で聞いてみた
ねぇ・・・そこにいるの?
:*゚..:。:. .:*゚:.。:
「本当?」
「3ヶ月ですって」
あたしは嬉しそうに麻美に微笑んだ
麻美は目を丸くして驚いた
視線があたしのお腹をさまよった
そして麻美の顔になんとも言えぬ
表情が浮かんだ
おなかに当てていた視線を
麻美にあわせると目と目が会った
昼の午後まだ学園生は近所の
学校に行っているので
就学していない小さな子供が
数人中庭で遊んでいた
あたし達は中庭のベンチで子供達を
見守りながら見つめ合った
打ち明け話をするには持って来いの天気だ
あたしはハッキリと言った
「産むわ 」
「ええ・・・わかってる」
麻美が静かに言った
「でも・・・・
もしもよ・・・・
ゆかちゃん考えてみて?
あたし達まだ18になったばかりだし
これからユカちゃんにも誰か素敵な人が
表れるかもしれないでしょ? 」
「麻美ちゃんあたしにおろせって言うの?」
「そうとは言ってないわ
でも・・・・ 」
「あたしがそのことを考えなかったとは
思わないでしょう?
あたしだって不安だわ
そりゃジョージと会う前のあたしだったら
フラフラして麻美ちゃんや他の人の
言う通りにしていたかもしれない
自分の意見なんかこれっぽっちも持たずにね」
あたしはうつむいて
スカートの皺をのばした
「実際そうするのが普通かもしれない
でもあたしは一生分の経験をしたの
もうジョージ以外の男の人はいらないの
それにジョージが残してくれたもので
あたし達は暮らしに困らないわ 」
説得力が無いように聞こえたのは
自分でもわかった
麻美が小鼻を膨らませて言った
「それはそうかもしれないけど・・・・
でも生まれてくる子に
父親がいないのは可愛そうだわ・・・ 」
「あたしがその分この子を愛する」
「この子がパパを恋しがって泣く時は
沢山、沢山ジョージの話をしてあげるわ
あたしが母親と父親の役目もするし 」
困り果てている目の前の
親友を見ながら考えた
彼女にはどうしても分かってほしい
「ねぇ・・・麻美ちゃん
あたしずっと寂しかったの
ずっと家族が欲しかった
だから最初麻美ちゃんと仲良くなれて
本当に嬉しかったの
それからいろんな男の人にフラフラしたけど
それもきっと男性に人情的な
温かいものを求めていたんだと思う 」
「わかるわ・・・・・ 」
麻美は不意に母親の事を思い出した
「でもジョージに出会ってわかったの
彼に出会うまでは・・・・
あたしは人に愛される事ばかり考えていたの
でもジョージに出会って・・・ 」
涙が出てきた
もう泣きたくないのに
「朝起きて・・・・
ジョージの事を考えるの
彼は朝起きてすぐコーヒーを飲むから
あたしは10分彼より先に起きて
コーヒーを沸かしてあげるの
それから朝食は彼の好きな目玉焼きを
焼くのよしかも固めにね
それから彼の身の回りの世話をして
彼の着る物を洗濯して・・・・ 」
「あたしの生活の意識の中には
いつだって彼がいたわ
自分の事よりも彼が優先だった
でも彼もあたしにそうだったの
全然苦じゃなかったの
むしろそうすることが喜びだった・・・・ 」
「二人を見てて羨ましかったわ 」
麻美が思いだし笑いをして言った
「頑固な彼に腹を立てた時もあったけど
でもいつまでも怒っていられないのよ
彼の笑顔をみると
何に怒っていたのか忘れちゃうの
しばらくして・・・・
彼が教えてくれたわ
それが愛だって・・・・
ロベルトが・・・・・
彼のお父さん代わりの人が教えてくれたって」
「もらうよりも
与えることに喜びを見出すのが
本物の愛なんだって・・・・・
文字通りあたし達は
愛し合っていたの・・・・ 」
麻美は何も言わずあたしを見つめていた
「生まれて初めて幸せだった」
さらにあたしは続けた
「あたしはきっとこの子にも
同じようにしてあげられると思うの」
「本気なのね・・・・ 」
麻美は長い溜息をつき言った
さらにあたしは続けた
どうにかしてこの思いを彼女に
分かってほしかった
「今にして思い出すんだけど
夜中に目が覚めたの・・・・
鈍い痛みで・・・・・ 」
それはジョージが生きていた頃の数か月前
彼の腕に抱かれながら
ハッとあたしは痛みで目が覚めた
「安全ピンか何かで刺されたみたいな
痛み・・・・
チクッとして思わず身を丸めたわ
もっと膀胱の奥の方・・・ 」
あたしは恥骨の上をゆったりと撫でた
あの時なんとなくだけど
ジョージの放った種とあたしの卵子が結合した
のがわかったような気がした・・・
永遠の絆がむすばれた瞬間・・・
体内で愛の結晶がつかの間
自由に漂っていたのに決着を終え
子宮に根をおろした
母体から栄養を取り組み分裂しながら
ゆっくりと成長し始める
何もかもが一瞬で変わった瞬間
「すごく不思議な感覚だった
うとうとしていたけど・・・・
あたし・・・
心の中で話しかけた・・・・
ここにいるの?って・・・・
妊娠に気づくずっと前よ
でも・・・・夢なんかじゃなかったのよ
彼はあたしに家族を残してくれたの 」
ジョージを想うと心が熱くなる
と同時に悲しみに全身襲われる
「すっかり母親なのね・・・ 」
麻美はあたしを見つめていた
息をひそめ眉間にしわがよってるけど
それから何も言わずにあたしの手をにぎりしめた
「わかった・・・・あたし協力する!
何でも言ってね 」
「やっぱりあたし達 親友ね」
あたし達は手を硬く握り
泣きながら笑った
「ねぇ・・・・あたし達
いろんなことがあったね・・・ 」
麻美がふふふと笑う
「そうね・・・・沢山悪い事もしたし
麻美ちゃん以外には言えないわ 」
「パンツも売ったしね 」
クスクス笑いが二人の間で漏れる
「でもお互い生きる道を見つけたのね
あたしは保育士になる 」
「あたしはお母さんになる 」
二人して新たな旅立ちを確信した時だった
あたし達は満たされた気持ちで
午後の陽ざしを浴びた