テラーノベル
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俺は息をするのも忘れてただ呆然と立ち尽くしてしまった。
レトルトさんが俺から離れる。
「キヨくんは今のでどう感じた?」
言葉に詰まった。
これじゃまるで…
「本当に俺のこと好きなんじゃないかって…」
「そう。相手にそう思わせたら勝ちなんだよ。でも、役としての自分は冷静じゃないきゃいけない。じゃないと芝居の形が崩れるから」
彼はそう言ってソファに深く腰掛け、マグカップを手に取った。
金髪の隙間から見える首筋。さっきまで俺の顔が、そこにあった。俺に注がれていた熱い視線。
それを「ただの技術」だと切り捨てられる強さに、俺は憧れと、それ以上の、得体の知れない苛立ちを覚えた。
「…レトルトさん」
「ん?」
「俺にはそんな風に器用に切り替えるなんて無理です。あんな風に触れられて、あんな声で名前を呼ばれて、『練習だから』なんて、自分に嘘はつけない」
俺はレトルトさんの前に膝をつき、彼の座るソファの端に手を掛けた。
今度は俺が、彼を見上げる番だった。
「…本気になっちゃダメなんですか」
「………」
レトルトさんの手が、マグカップを持ったまま止まる。
静まり返ったリビングで、時計の針の音だけがやけに大きく響く。
「…役者としてなら、本気になるのは大歓迎だよ」
レトルトさんの声が、少しだけ低くなった。
「でも、私生活にまで持ち込むのは、プロのすることじゃない」
「じゃあ、…プロじゃなかったら?役としてじゃなくて、ただの俺が、あなたのことを『我慢できない』って言ったら…
あなたはどうするんですか… ?」
俺は目の前の人の腕を強く掴んだ。
「…参ったよ。そこまで本気にさせちゃうなんて、俺の勝ち…ってことでいいのかな」
レトルトさんは、力を込められた手首を、あえて自分から引き寄せた。お互い の顔がすぐ近くまで迫る。至近距離で見つめ合う形になっても、彼の瞳には「役者」としての静かな光が戻っていた。
「離してよキヨくん。君、目が座ってて怖いんだけど」
「逃げないでください。手、震えてるじゃないですか。俺が言ってるのは、演技の話じゃない」
「…俺がしてるのは、演技の話だよ」
その穏やかな顔に、俺は罪悪感を覚えた。掴んでいた腕をそっと離すと、レトルトさんは俺の胸元を軽く押し返した。
「役に夢中になってリアルとの区別がつかなくなるのは危ないんだよ。…そこはしっかり覚えておいて」
そう言ってテーブルのマグカップを片付け始めた。
「今日はもう帰りな。このままだと明日の君が使い物にならなくなりそうだからね」
「レトルトさん…俺は…!!」
「…帰って」
キッチンに立つ後ろ姿から放たれる拒絶のオーラに、俺はそれ以上なにも言い返せなかった。冷淡な声…今は何を言ってもダメだと、そう悟った。
「わかりました、帰ります…今日は付き合っていただいてありがとうございました。 明日またよろしくお願いしますね」
「ん、よろしく」
俺は重い足取りで玄関に向かい、静かに扉を閉めた。
To Be Continued…