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「あの、聞いてもらいたいことがあるんですが」
話がつき、椅子から立ち上ろうとしたポーラを、アンリエッタが呼び止めた。ポーラは躊躇うことなく、椅子に座り直した。
「何かしら」
「……実は、写真のことで、私の考えを聞いてほしいんです」
「写真って、アンリエッタに似た少女が写っていた、あの写真?」
はい、と言って話し出そうとした口を、突然塞がれた。手を辿って振り向くと、いつの間にか壁際から移動したのか、マーカスが後ろに立っていた。
「マーカス、何をする、の!」
抗議をしている最中に、椅子から抱き上げられた。さらにマーカスは、ポーラたちの目から、アンリエッタを隠すように、背を向けた。
「マーカス」
もう一度名前を呼び、抗議の目を向けた。どうして、こんな妨害をするのか、と。すると逆に、マーカスから物悲し気な目を向けられた。
いつもなら、不満気な目をするところなのに。だから、それ以上何も言えなかった。
アンリエッタが大人しくなったのを、確認したマーカスは、そのまま振り返ることなく、ポーラたちに向けて言い放った。
「話すべき話は、すでに済んでいる。悪いが、出て行ってもらえないか」
「アンリエッタが納得しているのなら、構わないわ。でも、そうじゃないのなら――……」
「だ、大丈夫です。言えるようになったら、言いますので」
だから、今は何も聞かずに、マーカスの言う通りにしてください、と言いたかったが、間近にいる本人を前に、言うことは出来なかった。しかしポーラは、言わんとすることを察して、椅子から立ち上がった。
「そうね。言えるようになったら、教えてちょうだい。ちゃんとマーカスを説得してからよ」
「はい。すみません」
「マーカスも、そういうことばかりしていたら、いつか本当に嫌われるわよ」
ポーラの忠告に、マーカスは答えなかった。結局、一度もマーカスは、その場を動かなかったため、部屋を出ていくポーラたちの姿さえも、アンリエッタは見ないまま別れることになった。
「相変わらず、お節介が過ぎる女だ」
ドアが閉まった音と共に、マーカスはすでにいない相手に、愚痴を零した。そして、先ほど座っていた椅子ではなく、ソファーにアンリエッタを座らせた。
「どうして話しちゃいけなかったの? それが理由なの?」
「ポーラが原因じゃない」
フレッドは、護衛だ。しかし、先ほどまでのやり取りから、護衛対象であるアンリエッタの秘密を、口外することはないだろう。ポーラでもないのなら、誰が……。ポーラの姿を思い浮かべた瞬間、思い出した。膝の上にいた、あの青い狐。
「もしかして、ユルーゲルさん? でも、どうして……」
「自分と同じ過去から来たと分かれば、何をしてくるか分からないだろう」
「それは……否定できないけど……」
なるほど、それで止めたのか。
「でも、今はポーラさんが監視しているから、私に何かしてくることは出来ないはずよ。さっきだって、ポーラさんのお陰で、姿や声だって変えてくれているんだし。そんなに心配することはないんじゃないの」
「……」
「何を心配しているの?」
マーカスが本当に気にしているのは、別にある。そう直観して、尋ねた。けれど、すぐに答えてはくれなかった。
そんな簡単に聞けるのなら、その前の質問で答えていたはずだ。だから、アンリエッタは辛抱強く待った。
それと同時に、推測した。マーカスが心配することとは、なんだろう、と。すると、まさかね、と思うようなことが、思い浮かんだ。
「過去に戻ることを、心配しているの?」
驚いた顔を向けられ、答えが合っていることを理解した。アンリエッタは苦笑して、マーカスの手を握った。
「そんなあり得ないことを、心配していたなんて、思わなかった」
「あり得なくはないだろう。魔法のことはあまり詳しくはないが、素人目でも、アイツの凄さは分かる。過去に戻るものだって、作れるかもしれないじゃないか」
「もし作れたら、とっくに作っているよ。私に構うことなく、作って帰っているって。十八年もあったんだから」
そう、いくら幼くとも、十八年あれば、戻れる方法を自ら作っていたって可笑しくはなかった。ユルーゲルは私と違って、過去から来た自覚があったのだから。
今更それで、私に接触して来るとは思えない。自分と同じ境遇の人物を、探すことはしていないように見えたからだ。いや、誰かに話したとしても、可笑しな人物だと後ろ指を指されるか、馬鹿にされるかのどちらかだろう。
私だって、写真の件がなかったら、完全に他人事だと思っていたはずだから。
「戻りたいとは思わないのか」
「どうして、そう思うの?」
当時の私は赤ん坊だ。戻りたいと思えるほどの未練はない。少し笑って聞くと、マーカスは不機嫌そうに、ようやく私の質問に答えてくれた。
「本当の両親に、侯爵令嬢としての地位。今のように、権力を持つ者に怯えることは、少なるんだ。その方が良いだろう」
「でも、そこにマーカスはいないじゃない。そんなところに戻りたいって思うの、私が。地位と権力が欲しい人間に見える?」
心外とばかりに、マーカスの手を離した。すると、逆に掴まれ、引っ張られた。
「自信がなかったんだ。さっきみたいに、アンリエッタの行動を制限するほど、感情をコントロールできないから」
「うん。そこがたまにキズだけど、マーカスに出会わなかったら、今頃私は、ゾドに連れて行かされていたかもしないんだよ」
マーカスを初めて見た時、勘は関わらない方が良い、と言っていた。けれど、私はそれに反した。確かに関わらなければ、ここが『銀竜の乙女』の世界だって知らずに、今まで通り暮らしていただろう。
それもまた、私にとっていい人生かもしれない。でも、関わったことで、誰かを愛せないと思っていた自分にも、人並みに愛せる人が出来た。
「だから、自信を持って。そんなマーカスが好きなんだから」
私を大事にしてくれる。守ってくれる。そして、私もマーカスを大事にしたいし、守りたい。
思いが通じるように、とマーカスの背中を撫でた。すると、突然また抱き上げられた。寝かされた場所に、アンリエッタは慌てて、マーカスの胸を押した。
「ちょっと! ここ学術院!」
寝台の上で、目が覚めた時と大差ない状態にされ、アンリエッタは必死に抗議した。
「好きだと言ったのは、嘘なのか」
「それとこれとは、意味が違うでしょう! それに、こんなところで……」
「大丈夫だ。ここは俺の部屋でもあるんだから」
「えっ」
今、何て言った? 私の部屋でしょ。何で、マーカスも……。いや、それよりも。
「ダ、ダメでしょう、それは」
「どうして」
「み、未婚の男女が同じ部屋を使うなんて、周りに破廉恥だって思われるじゃない」
特に、学術院は貴族の学生や教師もいる。こんなことがバレたら、もう院内を歩けない。
「……やっぱり騙されないか。安全上、俺の部屋は隣にある。だから、気にするな」
「マーカス!」
怒って胸を叩くと、さすがのマーカスも悪いと思ったのか、身を起こした。アンリエッタも、すかさず寝台に座り直した。
「何でそんな嘘をつく必要があるの?」
「忘れていると思うが、俺も貴族だ。こういう言い方はアレだが、女を囲うことくらい、可笑しいとは思われない」
だから、大丈夫だというように、アンリエッタの頬に手を伸ばした。アンリエッタは、勿論その手を掴み、下におろした。
「それは、男性側の見方でしょ。女の立場からしたら、売女って思われるじゃない。それに、しばらくは出来ないって、こないだ言っていたんだから、我慢して」
「なら、一緒に寝るだけでも……」
「ダメ!」
それだけでも、何と思われるか。これからも学術院でやっていくなら、そういった隙を与えてはならない。口喧嘩でも、そうだ。相手に突っ込まれるネタを、掴ませてはいけない。逆に掴んで、いざという時に使うのだ。
「じゃ、何だったらいいんだ」
「簡単よ。早く家に帰れるようにすればいいの。マーカスなら出来るでしょう」
「最低でも二週間は、どうやっても必要だ」
項垂れるマーカスの頭に手を乗せ、髪を撫でた。
「頑張って。それと、さっきの話は、ポーラさんには話しても良いのよね」
念のため確認した。説得できずに話したら、あとで双方から何言われるか、分かったものではないからだ。
「ユルーゲルの耳には入れない、という条件なら」
「……分かったわ」
私以上の執念深さに、ホッとしていいのか、残念に思っていいのか、分からなかった。とりあえず、マーカスの言う、最低でも二週間は、学術院にいなくてはいけないようだ。
アンリエッタはまず、寝台から降りて、机へと向かった。ロザリーに手紙を書くために。