テラーノベル
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水虹ひにゃ@リムらないでほしい
第一章 新歓の音
Franz Ferdinand「Take Me Out」
五月の生ぬるい風が、ライブハウスの搬入口から吹き込んでくる。
俺は壁際に立ったまま、腕を組んで舞台を眺めていた。
軽音部の新歓ライブ。毎年恒例の、中身のない派手なだけのイベント。開演前から、先輩たちの出し物はだいたい予想がついていた。案の定、耳に馴染みのいい曲を、それなりの音量で、それなりに正確に鳴らすだけの演奏が続いている。
新入生たちは物珍しそうに手拍子を打ち、缶ジュース片手に楽しそうにしている。悪くはない。ただ、退屈だった。
さっきまでステージにいた先輩バンドは、有名な曲を三曲続けて演奏していた。ギターは終始同じ音色、ドラムは走り気味、ボーカルは音源をなぞるだけ。それでも観客は普通に盛り上がっていたし、終演後には「良かったよ」と声をかけられて満足げに笑っていた。悪気があるわけじゃない。ただ、俺にはその「これでいい」という空気が、どうしても居心地悪く感じられるだけだった。
誰も彼も、ステージに立てば満足そうな顔をする。技術のことも、音の意味のことも、大して考えていない。ただ「バンドっぽいこと」をやって、気持ちよくなっているだけに見えた。俺はといえば、高校時代からずっと一人でギターを弾いてきた人間で、こういう馴れ合いの空気にはどうも馴染めない。好きなバンドの話をしても、大抵は「知ってる、有名だよね」で終わる。誰かとちゃんと音楽の話をしたことなんて、数えるほどしかない。それでも入部届を出したのは――正直、自分でもよくわからなかった。誰かと音を合わせてみたい、という気持ちが、多分どこかにあったんだと思う。
司会の先輩が、気の抜けた声でマイクを握った。
「はーい、ここでちょっと時間余ったんで。新入生の中で歌いたい人ー、いたら出てきてー」
誰も出てこないだろうと思った。こういう空気で、いきなり前に出られる新入生なんてそう多くない。周りの新入生たちも、互いに顔を見合わせて苦笑いするだけだった。
だが、手が挙がった。
「はい、俺やります」
声の主は、やけにまっすぐこちらまで届く声をしていた。
人混みをかき分けて出てきたのは、見るからに目立つ男だった。背が高く、体つきもいい。歩き方からしてすでに堂々としている。周りの新入生たちが、ちょっとしたどよめきとともに視線を送るのがわかった。ステージに上がると、マイクを一度軽く握り直して、それだけで場の空気が変わったのがわかった。
曲は、誰もが知っているような洋楽のカバーだった。伴奏は、たまたまステージに残っていたギターの先輩が適当に合わせているだけの、お世辞にも上手いとは言えない演奏。普通なら、そのちぐはぐさで台無しになる場面だ。
それでも――歌い出した瞬間、俺は目を離せなくなった。
技術的には粗い。音程だって、正直あちこち怪しい。なのに、聴かせる力があった。声の芯が強くて、まっすぐで、まるで「聴いてくれ」ではなく「聴かせてやる」とでも言うような図々しさがある。それが不思議と、嫌味に聞こえない。むしろ、その図々しさごと引き受けているような強さがあった。周りの新入生たちも、いつの間にか手拍子を止めて聴き入っている。
歌い終わると、店内はそれなりの拍手に包まれた。本人は満足そうに笑って、汗を拭いながらステージを降りてくる。
俺は、気づけば近くまで歩いていた。自分でもよくわからない衝動だった。
こんな風に、自分から誰かに声をかけることなんて滅多にない。
「――音程、あちこちズレてただろ」
我ながら、性格が悪い第一声だと思う。だが言わずにはいられなかった。
相手は驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。
「あー、バレた? まあ半分アドリブだったし」
「アドリブで誤魔化していい問題じゃないだろ。基礎ができてない」
「厳しいなー。でも、聴いてくれてたんだ?」
それを言われて初めて、俺は自分がどれだけしっかり見ていたかに気づいて、少し気まずくなった。
誤魔化すように、さらに畳みかける。
「粗すぎる。あれで人前に出ようと思うのが、正直理解できない」
「じゃあさ」
相手は少しも怯まずに、むしろ楽しそうにこちらを見た。
「お前が完璧にしてくれよ」
一瞬、言葉に詰まった。
からかわれているのかと思った。だが目の前の男は、笑いながらも、妙にまっすぐな目でこちらを見ている。冗談のようでいて、冗談だけでは片付けられない何かが、その目の奥にあった。
「……は? 意味がわからない」
「意味わかんなくていいって。お前、音楽ちゃんとやってる顔してるし。ここでずっと腕組んで見てたろ、さっきから」
見られていたのか、と少し驚いた。人混みの中、俺はそれなりに目立たないよう立っていたつもりだった。
「……別に、ただ突っ立ってただけだ」
「嘘つけ。誰よりも真剣な顔で見てたって。俺、勇斗。お前は?」
「……仁人」
名乗ってから、しまったと思った。こういう強引な人間とは、大抵すぐに疎遠になる。今までも、そうだった。勢いだけで近づいてきて、こちらが本気で向き合おうとすると急に興味をなくす。そういう人間を、何人も見てきた。
「仁人な。覚えた。なあ、お前、楽器やってんの?」
「ギター」
「やっぱな。目つきが違うと思った」
何を根拠に言っているのか、さっぱりわからない。だが不思議と、悪い気はしなかった。
「じゃあさ、今度俺の下手くそなとこ、ちゃんと直してくれよ」
軽い調子で、けれど確かにこちらの目を見て言われた言葉だった。社交辞令にしては、いやに具体的だ。
だから、これもきっと長くは続かない。
そう自分に言い聞かせながら、俺はポケットからスマホを取り出していた。連絡先を交換するくらい、なんてことはない。そのはずなのに、指先が少しだけ落ち着かなかった。
「じゃ、また連絡する」
勇斗はそう言うと、軽く手を振って友人らしき集団のところへ戻っていった。その背中を見送りながら、俺は自分でも意外なくらい長く、その場に立ち尽くしていた。粗い歌声が、まだ耳の奥に残っている気がした。うまくもないのに、なぜか消えない。厄介な音だ、と思った。
五月の夜、湿った空気の中で。
コメント
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るりさん、第2話読みました。 このエピソード、すごく好きです。最初のライブハウスの空気感、仁人の「これでいい」という空気に馴染めない距離感が、細かい描写でじわじわ伝わってきました。「技術のことも、音の意味のことも、大して考えていない」という一文に、彼の音楽への向き合い方がはっきり出ていて、すごく印象に残りました。 そして勇斗の登場。あの「はい、俺やります」のタイミング、最高です。技術は粗いのに「聴かせてやる」という図々しい歌声、仁人が思わず引き寄せられて声をかけてしまう流れが、すごく自然で、胸が熱くなりました。「お前が完璧にしてくれよ」と言われたときの仁人の戸惑い――でもちゃんと連絡先を交換してしまうところに、彼の本心がちょっとだけ見えた気がします。「厄介な音だ」という最後の言葉が、もうその後の関係を予感させて、続きがすごく気になります。タイトルの「新歓の音」、この二人の出会いの“音”が、これからどう響いていくのか、楽しみです。