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★2019年(令和元年)9月5日 11時40分頃(列車脱線事故〈踏切障害による〉)
青砥発三崎口行き快特・第1088SH列車(1000形1137編成8両)が、京急本線の神奈川新町駅 - 仲木戸駅(現:京急東神奈川駅)間の神奈川新町第1踏切道で[383]、踏切内で立ち往生した大型トラックと衝突[384][385]。列車は前3両が脱線し[384][386][387]、先頭車両が斜めに傾いたほか[386]、トラックより漏れ出した燃料に引火しトラックと列車の1両目3番扉付近が炎上した[384]。また、トラックの積荷(レモンなど約660箱)が広範囲に散乱した。
この事故でトラックを運転していた67歳の男性運転手が車外に投げ出されて死亡、乗員乗客の合計37名が負傷した[385][388]。事故をうけて5日正午過ぎに総理大臣官邸に情報連絡室が設けられた[389]。
事故の影響で、京急川崎駅 - 上大岡駅間で終日運転を見合わせた[384]。翌6日に横浜駅 - 上大岡駅間は運転を再開したが、事故現場での破損車両撤去などの処理に手間取り復旧作業が大幅に遅れた影響で、京急川崎駅 - 横浜駅間は7日の昼にかけて運転を見合わせ[386]、7日13時過ぎに全線で運転を再開した[387][390]。
神奈川県警察は事故の社会的影響の大きさに鑑み、事故原因の究明にあたるため17日に特別捜査本部を設置した[391]。
この事故により、次のダイヤ改正日である10月28日から運行開始予定だったモーニング・ウィング1号は12月2日まで運休を余儀なくされた[392][393]。
トラックは現場から約800メートル東南の倉庫で荷物を積み込み、千葉県成田市に向かう途中でアンダーパスを避けているうちに本来のルートからそれて細道を通って現場に至り、細道を抜けようとして切り返していたところで踏み切りに入って立ち往生し、事故に遭遇したとみられる[394][395]。なお、運転手は同ルートの運行は4回目であり、何故ルートをそれたかは不明[396][397]。
列車が衝突現場の手前で止まれなかった点について、当初は、踏み切り支障を知らせる発光信号機が現場の手前340 mにおかれ、これを240 m手前から視認できることから、600 m手前で踏み切りの支障を認識して、充分に止まれるはずであると説明された[394]。後に京急は、発光信号機は現場の手前390 mにおかれ、現場の570 m手前から視認できると発表したが、発光信号機の手前はカーブで電柱に隠れて見えにくいこと、非常ブレーキを扱うと乗客を転倒させ負傷させることから必ずしも直ちに非常ブレーキを扱う指導をしていなかったこと、運転士も当初は通常ブレーキを扱ったと述べていることが明らかとなった[398]。
事故当該編成の1137編成は、一部の車両の損傷が激しく、2020年(令和2年)3月14日付で車籍が抹消され、新1000形初の廃車となった。
2021年(令和3年)2月18日に運輸安全委員会が本件事故の鉄道事故調査報告書を公表した[399]ならびに説明資料[400]。これによると、トラックが予定のルートをそれた理由について、トラック運転手所属の運送事業者によれば、当日使用予定の首都高速道路入口が工事のために閉鎖されており、迂回
うかい
したのではないか、と推定しているが、何故事故現場の踏み切りに至ったかは不明であった。一方、列車が現場の踏み切りに至るまでに停止できなかった理由について、踏み切りの支障を知らせる特殊信号発光機(特発)の停止信号現示を運転士が視認可能な位置において踏み切りまでに停止させるためのブレーキ操作を行えなかったことによる、としている。
運転士の証言ならびに車両搭載の運転状況記録装置の記録によれば、3つの特発のうち最も手前の特発が明滅して停止信号を現示しているのを視認して常用ブレーキを扱い、2番目の特発の現示ならびに神奈川新町駅設置の異常報知装置が作動しているのを確認して非常ブレーキを扱っている。ただし、実際に常用ブレーキが扱われたのは事故現場より422 m手前であった。予期せぬタイミングで停止信号を現示する特発の特殊性から即座に対応するのが困難であること、また最も手前の特発については171 m離れた地点(事故現場より662 m手前)より視認できるが、そこから特発設置位置までカーブがあり、明滅が架線柱等によって遮られることから、停止信号の現示に気付くのが遅れたとみられる。
また、同社では「特殊信号の現示があったときは、速やかに停止するもの」と定める一方で、使用するブレーキの選択は運転手の状況判断に委ねられており、運転取扱実施基準ならびに電車運転士作業基準でも使用するブレーキについて明文化されていなかったことも、ブレーキの選択に関与した可能性を指摘している。
問題となった特発が事故当時の場所に設置されたのは1981年(昭和56年)のことで、当時の運転最高速度は105 km/hであった。その後1995年(平成7年)に最高速度が120 km/hに引き上げられたが、事故が起こるまでの約24年間、特発の位置の変更や追加は行われていなかった。また、事故後に同社が実際の列車を使って行った試験では、実際の運転速度よりはるかに低い40 km/hで、特発が点滅状態であることを事前に通知してあっても、運転士が特発の現示を確認してからブレーキ操作を行うまでに4秒を要した。同社が衝突前に止まれるとした1.5秒以内にブレーキを操作することができなかったため、同社の主張のように、正しい手順で操作が行われていても衝突を回避できなかった可能性がある。これを受けて同社では、特発の現示を確認した際、常用ブレーキでの停止を原則としていた規定を見直し、非常ブレーキの扱いを運転士の判断に任せることなく、最初から非常ブレーキを扱うように改めた[401]。
当該特発の位置の悪さ(被視認性の低さ)が事故の1 - 2年前より現場で問題となっていたものの、その声が反映されない企業体質であったとの同社関係者への取材記事もある[402]。
2022年(令和4年)3月24日、横浜地検は運転士の男性を不起訴(起訴猶予)処分にした。過失が軽微であることや、トラック運転手側の落ち度などを踏まえての判断としている[403]。