コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
◇ ◇ ◇
「ねえ、美穂にあげるの、ブカラとティファミーどっちがいいと思う?」
「んー、ワイングラスとタンブラーのどっちにするのかも迷うよね。由香里はどっちがいいと思う?」
ホテルに泊まった翌日。愛理は、由香里と佐久良と三人で、美穂の婚約祝いを選びにデパートの洋食器売り場へ来ている。
大学時代からの付き合いのあるメンバーだけど、友人というより、悪縁と言った方が正しいのかもしれない。つい、そんなことを考えてしまう。
「うーん。迷うよね。タンブラーは、普段使いで使えるから便利かな。でも、お祝いだからなぁ」
「ワイングラスの方が、特別感があっていいかもね」
照明の明かりも手伝って、グラスは宝石のように煌めいている。その中でも一際美しく見えるブカラのワイングラスを愛理は選んだ。
きっと、幸せな瞬間にグラスを合わせたら、美しい音を奏でるのだろう。このワイングラスで飲む、ワインはどんな味になるのか……。
もしかしたら、特別な味になるのかもしれない。
「わー、キレイ。これでいいんじゃない?」
佐久良も気に入ったようで、めずらしく愛理の提案を否定しない。
納得とばかりに頷いた由香里が、店員さんを呼ぶ。
「じゃ、これにしよう。すみません。これ、ギフト包装で持ち帰ります」
「あー、いいなぁ。御曹司と結婚か」
佐久良がぽそりと呟く。
「結婚が良い事ばかりとは、限らないよ。それに御曹司とか親戚付き合いが大変そう」
愛理の言葉に、佐久良は面白いものでも見つけたかのように、目を細める。
「ふふっ、愛理も親戚付き合いで苦労しているんだ。それとも結婚生活かな? まあ、確かに親戚とか気を使いそう」
相変わらず、一言多い佐久良に、愛理は面倒くさいとばかりに細く息を吐き出した。淳に仕事を依頼してまで近づいたのに、袖にされたことも面白くないのだろう。淳を引き取ってくれるのなら、熨斗をつけて差し出したいぐらいだ。
佐久良の様子に由香里が少しムッとした表情で口を開く。
「そうよ、結婚なんかしたら相手の親や親戚一同がもれなく付いてくるんだし、他人同士が暮らすんだから良いことばかりなわけないじゃない。結婚は現実なの。色々あってしかるべきなの。それが嫌なら独身でいればいいのよ」
独身主義の由香里がバッサリと言い放ち、佐久良はぐうの音も出ない。
そんなタイミングで、ギフト包装をされたワイングラスが用意され、それを受け取った由香里が時計に視線を落とす。
「あと15分で約束の時間、ちょうどいいわね。移動しようよ」
この後、婚約プレゼントを渡すため、美穂を含めた4人で食事をする予定になっている。
美穂に会うかと思うと愛理は複雑な心境だ。
どうしたって、見守りカメラが捉えた映像を思い出してしまう。自宅を留守にした隙に上がり込み、友人の夫と情事を楽しんでいた美穂の声が姿が、脳裏を過る。
それでも今日の集まりに来てしまったのは、美穂がどういうつもりなのか、知ることが出来たらと思ってしまったから。
淳の不倫相手が美穂だと、愛理は明言を避けていた。
美穂が淳の不倫相手であることを、愛理が知っているとは、思っていないだろう。
御曹司との結婚を控えた美穂が、今まで通り、良き友人のふりをしながら、何を言うのか。
これまで何気なく聞き逃してしまった言葉の意味も今なら気付けるような気がしたからだ。
「みんな、早いね。私が遅れちゃったのかな。ごめんね」
御曹司の婚約者らしく、淡いピンクの華やかなワンピース姿の美穂が、愛理の向かいの席に腰を下ろした。
「私たちも、今来たばかりだよ」
美穂に会ったら、どんな気持ちになるのか、愛理はあれこれ、想像していた。
取り乱すのだろうか、怒り出すのだろうか……。
けれど、その想像はどれも外れていて、実際には、心が冷えて何も感じていないみたいに冷静だった。
真っ白なテーブルクロスが敷かれ、その上には落ち着いたシルバーのランチョンマット。お豆腐を使ったオードブルが並び、赤のスパーリングワインが運ばれてきた。それを切子加工のグラスに注ぐ。
「美穂、婚約おめでとう。乾杯」
「「乾杯」」
合わせたグラスが、キンッと高い音を立てた。
「はい、私たち3人から婚約祝い」
「わぁ、ありがとう。開けてもいい?」
美穂は、その場でプレゼントを開封して、目を輝かせる。
「素敵なワイングラス。こういうの欲しかったんだ。ありがとう。家に帰ったら早速、使わせてもらうね」
と、花のような笑顔を浮かべた。
「もう新居に引っ越したの? 住み心地はどう?」
由香里の問いかけに、美穂は誇らしげに口角を上げる。
「コンシェルジュが常駐しているから快適よ。ホテルに住んでいるのと変わらないわ」
それを聞いた佐久良が興味津々の瞳を向ける。
「あー、やっぱり、御曹司との結婚いいなぁ。ねえ、向こうの親とか親戚とかうるさいの?」
佐久良の不躾な言葉にも美穂は余裕の表情を見せている。
「私の場合は、誠二さんのお母様に気に入られて、お付き合いを始めたでしょう。だから、嫁姑問題の心配もいらないのよ。お母様が根回ししてくださるから親戚の方も好意的だし、今のところ順調ね」
「だってさ、愛理は結婚は良いことばかりじゃなくて、大変だって言っていたけど、ぜんぜん大丈夫な家もあるんじゃない」
佐久良の発言で、みんなの視線が愛理に集まる。そして、美穂がクスリと笑い口を開く。
「愛理は、淳君と幸せなんでしょう?」
瞬間、愛理の心の中に何かが、ポタリと落ちた。それは、真っ白なテーブルクロスの上に落ちた赤ワインが徐々に広がり、染みになっていくように、愛理の心を染め上げていく。
「おかげさまで」
そう言って、愛理はフッと薄く笑う。
唯一、淳が不倫をしていると聞いていた由香里が慌てて、しゃべり出す。
「今度、美穂の新居へ遊びに行きたいわ」
それに便乗して、愛理も訊ねた。
「そうね。新居の住所教えて欲しいな」
「いいわよ。いま、LIMEで送るわ」
美穂がスマホを意気揚々と操作してLIMEが送信される。
自分のスマホに届いたLIMEメッセージを確認した愛理は満足気に頷いた。そして、美穂へひと言。
「今度、プレゼントが送られてくるかもよ」
「えっ⁉ プレゼント? ちょっと楽しみ」
期待感いっぱいの笑顔を浮かべる美穂へ、愛理は笑みを返した。
そして、佐久良へ顔を向ける。
「佐久良、そう言えば、淳の会社へ仕事の依頼をしてくれたって、聞いたんだけど」
佐久良が仕事の依頼をしたのは、淳への下心からだったが、肝心の淳のタイプではなかった佐久良は、アプローチが空振りに終わったのだ。
「し、新店舗をオープンするから、そこの改装をたまたま依頼しただけよ」
突然、話しを振られた佐久良は、後ろめたさからか、しどろもどろだ。そこへ畳みかけるように愛理は、話しを続けた。
「たしか、この前会ったとき、淳を狙えばよかったって、言っていたような……。わざわざ淳の会社へ仕事を持ち込んだのって、もしかして?」
と、チラリと様子を伺う。佐久良は、視線を泳がせ、悪さを見つけられた子どものように肩をすくめた。
「あ、あんなの冗談なんだから本気にしないで。仕事は仕事でしょう。安心感のある会社に任せたかったのよ」
「そうよね。今どき不倫なんてしたら、社会的に抹殺されちゃうものね」
これは、佐久良に言っているようで、実は美穂に対しての警告だ。
けれど、美穂は他人事とばかりに、ふたりの様子を余裕の笑みを浮かべ眺めていた。
以前のように佐久良と愛理のふたりが淳を取り合っていると思って、美穂は心の中で笑っているのだろう。
愛理は、美穂の表情を見ているうちに沸々と怒りがこみあげてくるのを感じていた。
心の中の染みが大きく広がっていく。
華道家のお家元で生まれた美穂は、親のコネも手伝って、フラワーアレンジメント講師として活躍。その関係で今回の良縁も掴んだのだ。誰からみても恵まれた生活をしている。退屈しのぎの遊びで友人の夫と関係を持ち、家庭をかき回しておきながら、他人事とばかりに、高みの見物を決め込む美穂を許すわけにはいかない。
愛理はスマホに送られてきた住所を思い浮かべた。
田辺製薬の御曹司との結婚を控え、新居で暮らし始めた美穂へ、内容証明郵便で不倫に対する慰謝料を請求させてもらおう。
タイミングはいつがいいのか、考えを巡らせる。婚約式の前に送り順風満帆の生活が立ち消えるのが良いのか、それとも婚約式をして、すべてが順調に進んでいると思った後に送るのが効果的なのか。
いずれにしても、新居に慰謝料の請求が届いたときの、美穂の驚く顔が見られないのは残念な気がした。
美穂が、作り笑いすら浮かべられないほど、驚く様を見てみたい。
ふと、そんな考えが脳裏を過る。
「あのさ、来週の婚約式、ホテルLa guérisonだっけ? いまから待ち遠しいね」
と、気まずくなった雰囲気を変えるような、由香里の声が飛び込んできた。
「ホント、楽しみだね。いよいよ来週か」
懲りない佐久良は、きっと、御曹司の友人に思いを馳せているのだろう。
「ふふっ、お料理も美味しいから、楽しみにしていて」
美穂は、自信に満ちた笑顔を浮かべている。
「うん、楽しみにしてる」
愛理は、クリスマスを待つ子どものように微笑んだ。