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それから数日後、伊織と藤堂は初めてのデートに出かけた。伊織は、藤堂に誘われるまま、人が少なそうな郊外の小さなカフェを提案した。伊織は、いつもの分厚いカーディガンではなく、藤堂が選んでくれた淡いベージュのセーターを着ていた。緊張で手が震える。まさか、自分が藤堂と「デート」というものをすることになるなんて、一週間前の伊織には想像もできなかったことだ。
待ち合わせ場所の駅前で藤堂を見つけた瞬間、伊織は思わず足を止めた。私服姿の藤堂は、制服の時とはまた違った魅力があった。清潔感のある黒いニットに、ジーンズというシンプルな格好だが、まるでファッション雑誌から飛び出してきたような華やかさだ。
藤堂が伊織に気づき、笑顔で駆け寄ってくる。
「伊織! 待たせたな」
「ううん、僕も今来たところだから」
藤堂は伊織の姿を一瞥すると、パッと顔を輝かせた。
「おい、そのセーター、すげぇ似合ってるじゃん。やっぱり正解だったな、これ」
「あ、ありがとう……藤堂くんが選んでくれたから」
藤堂は伊織の髪を優しく撫でた。
「伊織って、本当に可愛いよな」
突然の直球な褒め言葉に、伊織の顔は一気に熱を持つ。
「え、ちょ、と、藤堂くん……」
「隠すなよ、照れてる顔も可愛いって」
藤堂は楽しそうに笑いながら、伊織の手を迷うことなく握りしめた。伊織の手は、彼の温かい手にすっぽりと包まれる。
目的地までの電車の中も、藤堂の「可愛い」は止まらなかった。
向かい側の席に座る伊織が、窓の外の景色を目で追っていると――
「なあって。横顔も可愛いんだけど」
伊織が持ってきた文庫本を広げようとすると――
「集中して眉間にシワ寄せてる顔も可愛い。もう、どうしたらいいんだ」
伊織が鞄から定期入れを取り出そうともたもたしていると――
「おいおい、そんなにモタモタして、可愛いにも程があるだろ」
伊織はもう、どこに視線を向ければいいのかわからなかった。藤堂は周りの目を気にすることもなく、伊織に熱い視線を送り続ける。
「藤堂くん、静かにして! 周りの人が見てる……」
伊織が小声で抗議すると、藤堂は全く悪びれずに答えた。
「見てたっていいだろ。俺の可愛い伊織なんだから」
カフェに到着し、二人は窓際の席に座った。伊織がメニューを見ていると、藤堂が再び口を開いた。
「俺、コーヒーでいいけど、伊織は?」
「俺は……えっと、キャラメルマキアートで」
「キャラメルマキアートか。あ、それ頼んでる伊織が可愛い」
「もう! いちいち言わないでよ!」
伊織は思わず声を荒げてしまったが、すぐに後悔した。
「ご、ごめん、藤堂くん……」
「ははっ、怒ってる伊織も可愛いな。怒り方まで小動物みたいで」
藤堂は完全に面白がっている。伊織は頬を膨らませて俯いた。
しばらくして、注文の品が運ばれてきた。伊織がマキアートに口をつけようとストローに手を伸ばすと、藤堂がすかさずスマホを取り出し、シャッターを切った。
「パシャッ」
「えっ、今、何したの?」
「いや、あまりにも可愛いから。ストローに口つけようとする伊織の表情、完璧だった」
「勝手に写真撮らないでよ!」
「大丈夫だって。誰にも見せない。俺のフォルダの宝物にする」
藤堂はそう言って、嬉しそうにスマホを操作した。
「藤堂くんは……僕のこと、からかってるだけなんじゃ……」
伊織が不安そうに呟くと、藤堂はコーヒーを置いた。そして、伊織の両手を自分の手のひらで包み込んだ。
「伊織。からかってるんじゃない。マジで、俺はお前が可愛いと思ってる。見てみろよ、この手」
藤堂は、伊織の白くて細い手を、少し日に焼けた自分の大きな手のひらの上で広げた。
「俺より小さくて、薄くて、すぐに震える。お前が世界で一番可愛い生き物だと思ってる」
「……」
「お前のメガネの奥の目が、俺のこと見つめてくれるのが可愛い。本の趣味がちょっと渋いとこが可愛い。俺の言葉にすぐ赤くなるところが、最高に可愛い」
藤堂の真剣な表情と、熱っぽい声に、伊織の心は完全に溶かされてしまった。もう、反論する言葉も出ない。
「だから、俺がお前のこと可愛いって言いまくるのは、もう止められないんだ。だって、真実だから」
藤堂は、伊織の手の甲にそっと口づけを落とした。
「ごちそうさまでした、俺の可愛い伊織」
その瞬間、伊織はもう、藤堂の愛の言葉の波に溺れてしまうしかない、と悟ったのだった。