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「――あー……なんか、すげぇムラムラする」
仕事が終わり、新宿二丁目にある行きつけのバー《BLACK CAT》で、高校時代の友人であるナオミママ(と言っても中身は男)と酒を飲みながら談笑していると、突然、鬼塚理人の口からそんな言葉が飛び出した。
夜になると街中がイルミネーションで彩られ、街のあちこちでクリスマス商戦の準備に取り掛かっている十一月下旬のことだった。
「あらやだ、欲求不満?」
「あぁ。最近仕事が忙しすぎて、随分とご無沙汰だからな……商品開発の方だけじゃなく、いろいろと抱えてんだよ」
はぁ、と長めの溜息を吐いて髪をかき上げながら、カウンターに突っ伏す。その姿を見て、ナオミは頬に手を当て心配そうに眉を寄せた。
「管理職ってのも大変なのねぇ。ああ、そういえば課長さんが事故に遭ったって言ってたわよね」
「ああ。係長はポンコツだし、部下も自分の仕事で手一杯。結局、部長の俺が全部フォローしてんだ。……マジで割に合わねぇ」
グラスの酒を一気に飲み干しながら、思わずぼやく。
「あらあら、だいぶお疲れモードね。今度また、いい男紹介してあげるわよ」
ナオミがにっこりと笑いかけると、理人はげんなりとした顔をして椅子に深く腰掛けなおした。
「ケンジが紹介してくる奴はみんなゴリッゴリの体育会系だろうが! 俺は、若いイケメンがタイプなんだ」
「やだぁ、その名前で呼ばないでって何時も言ってるじゃない! もう!」
器用に野太いキンキン声をあげながらふくれっ面をしている彼――彼女は、どう見ても大柄な男が化粧をして煌びやかなドレスを身に纏っているようにしか見えない。
高校時代からちょっと変わった奴だとは思っていたが、まさかこんな姿になるとは想像もしてなかった。
「あんたもえり好みしてるんじゃないわよ。もう、若くは無いんだから! アンタももったいないわよねぇ。色白で童顔、整った顔立ち……下手すると未だに20代に見えちゃうところが怖いわ」
「うるせぇな……好きで童顔になったわけじゃねぇよ」
昔から実年齢よりずっと若く見られ続けて生きていた。酒類を頼めば必ずと言っていいほど身分証の提示を求められるし、30代半ばになった今でも、未だに大学生と間違われることも少なくない。
空いているグラスをコトリとテーブルに置いてギロリとナオミを睨み付ける。
「もう、褒めてあげてるのに! 顔だけはいいのに人を目だけで殺せそうな目付きの悪さ。どうにかならない? ほんっとアンバランスっ!!」
「余計なお世話だ。あと、一言多いんだよテメェは」
理人は悪態をつくと再び深い溜息を吐いた。
「あ~……腰ガクガクになるくらい、ヤリまくりてぇ……」
「結局、そこに戻って来るのね……。そんなにヤりたいなら風俗にでも行けばいいじゃない」
「あ? 金払ってお願いするほど落ちぶれてねぇよ」
「――さっきから、すっごい会話してるね。理人さん、相当酔ってるでしょ」
「あ?」
聞き覚えのある声に視線を向けると、そこには見慣れたスーツを着た細身の美青年が立っていた。短く切りそろえられた少しウェーブがかった黒髪に切れ長の瞳。身長こそ168cmと男性としてはやや低めではあるものの、日本人離れした顔立ちをした彼は、所謂ジェンダーレス女子――。
まだ未成年ではあるが、諸事情があり22時までの条件付きで働いている。
「なんだ、湊じゃねぇか……」
「久しぶりだね、理人さん。はい、コレ」
空いたグラスをサッと片付け、レッドチェリー入りの透き通った赤い色をしたカクテルが目の前に差し出される。
「あら、コレって……ロブロイじゃないの?」
「さっすがナオミさん! わかってるね」
ふふん、と鼻を鳴らす湊は得意げだが、理人が鋭い眼光を向けた。
「おい、俺はこんなもの頼んだ覚えねぇぞ?」
「……そんな凄まないでよ。あそこにいるお客さんが、理人さんにって」
「……?」
促されるまま、湊が示す方向へと視線を向ける。カウンターの少し奥まった所に座ている背の高い男がこちらを見て微笑んでいた。
年齢は20代半ば。少し長めの前髪をサイドに分け、右側は後ろに流している。やや垂れ目気味な瞳が妙な色気を醸し出しており、薄暗い店内の中でも分かるほどのイケメンだった。
「フッ、……顔はまぁ、悪くねぇな」
「でしょ? ロブロイを頼んで寄越すなんて洒落てるよね。映画の中の話だけかと思ってたよ」
「……」
理人は目の前に置かれた真っ赤な液体の入ったグラスを手に取り、相手とカクテルを見比べる。
ロブロイのカクテル言葉は確か――「貴女の心を奪いたい」だったはずだ。
「面白れぇ……」
「あっ、ちょっと! 理人……っ」
理人はグラスを持ったまま席を立つと、ナオミの静止を無視して男の隣に腰を下ろした。
身長は180cmはあるだろうか。瘦せ型ではあるが肩幅が広く、シャツの上からでも鍛えられているのが分かった。
男はくっきりとした二重瞼で、すっと通った鼻筋に形のいい唇をしている。いかにも優男と言った風貌だが妙に男の匂いというか、性的な魅力を惜しみなく垂れ流している男に理人は興味を覚えた。
「キミ、名前は?」
「あ? 名前なんて何でもいいだろ。どうせ一晩限りの付き合いだ。必要ねぇ」
「フッ、つれないな」
「そんな事より、楽しませてくれるんだろうな?」
理人は挑発的な流し目を送った。男は一瞬驚いたように目を見開いてから、すぐに余裕の笑みを浮かべて理人の腰を引き寄せると、そっと耳元に囁いた。
「もちろん。――天国を見せてあげますよ」
「言うじゃねぇか。気に入ったぜ」
理人は満足そうに笑うと、相手の男と差し出されたグラスをぶつけ合い一気に飲み干した。
目が覚めると、部屋は静かな闇に包まれていた。
昨夜は、何度抱き合ったかすらもう曖昧だ。
ただ、あんなふうに――誰かに溺れたのは、いつ以来だろう。
記憶の断片に蘇る熱を思い出し、理人は髪を掻き上げて小さく息を吐いた。
全身が鉛のように重く、喉はひどく乾いている。
「……クソっ」
ゆっくりと身体を起こすと、シーツの感触が肌に直に伝わってくる。
そしてその瞬間、自分が一糸まとわぬ姿であることに気づき、反射的に顔をしかめた。
寝具に残された名残が、昨夜の激しさを生々しく物語っている。
「……チッ、俺らしくもない」
――バーを出てすぐ、歓楽街のネオンに足を向けた。
通い慣れたような素振りでホテルを選び、エレベーターの中、互いの吐息が交わる。
『随分と手馴れてるんですね』
『……積極的なのは、嫌いか?』
あのとき、自分がどんな顔をしていたのか。
思い出したくもない。いや――思い出すだけで、また火照る。
(……最悪だ。素面じゃ絶対あり得ねぇ)
羞恥と戸惑いと、わずかな高揚感。
部屋の照明を背中に受け、キスの合間に見下ろしてくる男の顔は影になってよく見えなかった。
だがそれが妙に色っぽく見えて、ドキッとした。
シャワーすら浴びずに始まり、何度も体勢を変えて――夢中になったことだけは、はっきり覚えている。
理人は髪を掻き上げると全身の力を抜いてマットレスに沈む。同時に身体の右側が何かに当たっていることに気が付いてドキリとする。
まさかと思い、おそるおそる視線を向けるとそこには端正な顔立ちをした優男がすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
やはり、整った顔をしている。濃く長い睫毛がくっきりと影を落としている。薄く開いた唇、枕に流れるサラリとした髪。
恐らく、男女関係なくモテるのだろう。そっと乱れた前髪を指先で整え寝顔をしばらく眺めていると、男が僅かに身じろいだ。
起こしてしまったのだろうか? と不安に思ったが、再び穏やかな寝息が聞こえて来てホッと胸を撫でおろす。
理人はそっとベッドを抜け出し、床に散らばった服を拾い集める。
ふと鏡に目をやると、そこに映る己の身体に目を奪われた。鎖骨の辺りや太ももの内側に、赤い痕がいくつも刻まれている。
「たく、いつの間に……」
意識を手放す前に付けられた記憶は無かった。まるで、所有の徴を刻まれているような行為の意味が判らない。よく見てみれば太腿の内側にまで何か所も赤い痕が残されていた。
まぁいい。どうせ一晩だけの関係だ。もう二度と会うことも無いだろうし、シャワーで簡単に身支度を整え、きちんとスーツを着直せば、
どんな痕跡もなかったことにできる。
理人は手早く着替えを済ませるとテーブルに1万円を置いて、男を起こさないようにそっと部屋を抜け出した。
その頃にはもう、朝靄の中にうっすらと光が差し込み始めていた。
一旦家に戻ったが、始業時間には余裕をもって出社できた。 デスクに着くと、既に書類の山が積み上がっていて、理人はげんなりしながら息を吐く。
「おはようございます。鬼塚部長」
「あぁ、おはよう」
書類に目を通しながら、パソコンを開き社内メールのチェックを行ない、ついでに会議の時間を確認する。あぁ、そう言えば今日は新入社員が来ると言っていた。出来れば即戦力になるような社員がいい。ひとつ頼んだらすべてを汲んでくれて完璧なプレゼンを持ってきてくれるような――。
まぁ、そんな人材がいれば苦労はしないのだが。
理人が所属するのは、Acquire Company(アクワイヤ カンパニー)――通称AC。盗聴器や無線機などの通信機器を開発・販売している企業だ。最近その売上は右肩上がりで伸びてきている。元々盗聴器などの開発をメインに行っていたが、近年は携帯電話用GPS端末の販売も始めたところ飛ぶ鳥を落とす勢いで売り上げを伸ばしていた。
今や各携帯会社とも提携を結んでおり、国内市場ではかなりのシェアを占めている。最近では海外にも進出しようと動いている最中だった。
簡単な朝礼を済ませ、今日の予定を確認してから席に戻ると、理人は女子社員が入れてくれたコーヒーに手を伸ばした。
砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーは苦くてどうも苦手だが、仕事の効率を考えるとこちらの方が集中できる気がする為、最近はミルクなしの物を頼むようにしている。
こうやってフロアを見渡してみると、昨日となんら変わらない光景が広がっている。
だが、そうじゃない。スーツで包んだ身体中に、あの男との余韻が色濃く残っている。久々にヤりすぎたせいで腰も怠いし、喘ぎすぎて声も若干枯れている気がする。
違和感に思わず顔を顰めると、「鬼塚部長、今日は一段と機嫌が悪いみたいだ」などと囁かれてしまった。
全く持って不本意極まりない。
だが、到底本当のことなど言えるはずもない。いつも部下に厳しいと恐れられている理人が男に溺れヤりすぎで腰が痛いだなんて、誰が考えるだろう?
――それにしても……。不意に昨夜の男の欲望に濡れた低い囁きが耳に蘇ってくる。
――もっと苛めたくなる。もっと、僕ので乱れてください。
あの囁きが、なぜだか耳から離れない。
思い出すたびに、背筋がじわりと熱を帯びていく。
正直言って、あんな気持ちの良いセックスは初めてだった。
今までは自分が完全に主導権を握りながらスることが多かった。ノンケの、しかも性に疎そうな男を堕とす事に堪らない興奮を覚え、自分に夢中になる様を見るのが好きだった。
しかし、昨日の男は違った。途中から主導権はあちらに握られ、挙句の果てに失神するまで攻め立てられた。悔しかったが、身体の相性が抜群に良かったのだと思う。
せめて、電話番号位聞けばよかっただろうか? いや、ダメだ。 関係が続けば誰かに見つかるリスクがグッと高くなる。
……忘れろ。たかが一夜のことだ。
もう一度――なんて、思ってはいけない。
「……長、鬼塚部長……っ!」
「あ?」
しまった。つい考え事をしていたようだ。
「ひぃっ! す、すみません、何度かお呼びしたんですが……あの、新入社員の瀬名君が見えてますが……」
気が付くとすぐ隣に係長が立っていて、怯えたような目で自分を見ていた。
自分よりも10歳以上は年が上で、ただ年齢だけがいっていると言うだけで係長の座に付いている男――朝倉総一郎。彼は、仕事の効率が悪いだけではなく、仕事に対する情熱ややる気がほとんど感じられない。数年前に嫁が男を作って蒸発し、今は高校生の娘と二人で暮らしていると聞いている。
どうでもいいが、ひぃってなんだ。失敬な。そんなにびくびくし無くても別に取って食いやしねぇよ。
理人は内心毒づきながらも立ち上がり、鈍い腰の痛みに一瞬顔を顰めた。
「あの……大丈夫ですか?」
「問題ない」
平静を装って返事をし、係長のすぐ後ろにいる人物に視線を移した。スラリとした長身だが、全体的にもっさりとした印象を受ける。やや長めの前髪が顔にかかり、大きな眼鏡が表情を覆い隠しているせいだろう。
それに、着ているスーツのサイズもどこか合っていない。新卒の“借り物”のような、不器用な空気を纏っていた。
「……初めまして。ACの企画開発部、部長の鬼塚です」
「……驚いたな……こんな所で会えるなんて……」
「あ?」
差し出された手が握られることは無く、恍惚とした声に思わず眉を顰める。
「ぶ、部長っ……凄んじゃ駄目ですってばっ! ただでさえ顔が怖いんだから」
「ハハッ、大丈夫ですよ。慣れてるんで」
「……誰だ、てめぇ……」
こんなモッサリした男、知り合いには居なかったはずだ。今まで出会った男たちの顔は大体把握しているし、こんな不遜な態度を取るような輩忘れるはずが――……。
「やだなぁ、忘れちゃったんですか? 僕の事。……昨夜、あんなに可愛く乱れてくれてたのに」
するりと唇を寄せて来て、理人にしか聞こえない声で男が耳元で低く囁く。
「……な……っ……!?」
何故コイツが昨夜の情事を知っているのか、昨夜の男とは風貌が全然違う。昨夜の男はもっと溢れんばかりの色気を纏う妖艶な男だったはずだ。だが何故、この男は知っているんだ?
理人にはそれが理解できず数秒の沈黙が訪れた。
「あ、あの……お知り合い、ですか?」
「っ、こんな奴は知らん!」
「全く……つれないなぁ。まぁいいや。今日からお世話になることになりました、瀬名です。よろしくお願いしますね鬼塚部長」
動揺して言葉を失った理人の手に男の冷たい手が重なる。
にっこりと意味深な笑みを浮かべる瀬名の顔が、じわじわと昨夜の記憶と重なっていく――。
理人は、確かに昨夜と同じ“声”で囁かれたことを思い出し、身体中の血の気が引いていくのを感じていた。