テラーノベル
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壱月はご飯と味噌汁を盛りつけて、テーブルに運んでくれる。
ほかほかと湯気の上がるお汁からは、お出汁のいい香りがする。
壱月は、料理が上手いらしい。それで、なんだか惨めな気持ちになった。
私は料理が下手だ。それでも花斗のためにと、この四年間、四苦八苦しながら手料理をつくり続けてきた。
すると、壱月の顔が不意に目の前に現れた。
「愛音、どうした?」
どうやら、顔が歪んでいたらしい。私は慌てて、首を小さく横に振った。
「なんでもないよ。……あれ、花斗は?」
「あそこ」
壱月はふふっと笑いながら、リビングを指差す。
そちらを見ると、「からあげ~、からあげ~」と謎の歌を歌いながら体をくねくねさせて踊る、三歳児がいた。
大好きな唐揚げが夕飯だと、花斗はいつもこうなのだ。
「花斗、夕飯いただくよ!」
「わーい!」
花斗は私の声に素直にこちらに走ってきたが、私の前で突然ピタッと立ち止まる。
それから、顔をゆがませて私の足元にペタッとくっついた。
「ママ、このおいす、ヤダ」
「……は?」と言ったのは、四人掛けのダイニングテーブルの、キッチン側に座る壱月だった。
私は壱月の前に座ろうとしたところだった。
「花斗は、私の隣でいいよね?」
壱月もそのつもりだったのだろう。私の隣の席に、花斗の食器をセットしておいてくれている。
だが、花斗はぶんぶんと首を横に振る。
「ヤダ。だっこがいい」
「だっこじゃ、ママが食べれないよ」
「俺の隣来るか?」
気を利かせて提案してくれた壱月に、花斗は激しく首を振る。
「ヤダ!」
その声がとても大きかったからか、壱月は目を見開く。
「ごめんね、壱月」
私は小声で壱月にそう告げると、その場にしゃがんで花斗に目線を合わせた。
「なにが嫌なのかな?」
すると、花斗はおろおろしながら小声で答えてくれた。
「このおいす、こわいの」
「椅子が……?」
花斗の視点から、ダイニングチェアをまじまじと見る。なるほど、花斗にはこの四本脚が、心許なく見えていたらしい。
言われてみれば、子ども用でもなければ、お腹を支えるベルトも肘掛もない。
子どもには背の高すぎるし、怖いというのも納得だ。
「そっか、このお椅子、怖かったね」
私はよしよしと頭を撫でて、ぎゅっと花斗を抱き締めた。
花斗はぐすんと、少しだけ洟をすする。
「前まではローテーブルだったから、ダイニングチェアが怖いなんて考えもしなかったの。ごめんね、壱月」
振り返ると、壱月は早速テーブルの上のものを、隣のリビングにある小洒落たローテーブルへ移していた。
「こっちで食べよう、花斗」
壱月がそう言って、にかっと笑ってくれる。それで、花斗も「うん」と頷いた。
ふかふかな絨毯の上に正座をして、唐揚げを頬張る花斗。
私はその隣で花斗のこぼした衣を拾いながら、自分のご飯を食べていた。
壱月はそんな私たちの前で胡座をかいて、お茶碗のご飯を掻き込んでいる。
壱月は元々背の高い。高校の時から変わっていなければ、百八十三センチだ。
胡座をかいていても、その大きさに圧倒される。いや、胡座だからか、正座をしている私たちが小さくなったような錯覚に陥る。
「あーあ……」
壱月を見ていたその数秒。
気を抜いた隙に、目を離していた花斗から、落胆の声が聞こえた。
どうやら大きな唐揚げを落としてしまったらしい。
慌てて唐揚げを拾うも、時既に遅し。グレーのお洒落な絨毯に、油染みがついてしまっていた。
「ああ、もう!」
立ち上がった花斗を抱き上げると、壱月が箸を置いてこちらに手を伸ばす。
私は仕方なく、彼に花斗を預けた。
「ごめん、ちょっと花斗みていて! あと、キッチン入るね」
花斗が彼の膝に収まったのを見て、私はキッチンに向かい台所用洗剤とキッチンペーパーを拝借した。
キッチンペーパーに洗剤を垂らしながら戻ると、慌ててその油染みを叩く。
「いいよ、別に」
壱月の声が聞こえたけれど、私は絨毯を叩く手を止めずに返した。
「よくない。こういうのは初動が大事なの、遅くなれば落ちなくなるよ」
「いいって。別に落ちなくたって」
「よくないの。こんなにお洒落な絨毯なのに……」
私は必死だった。
人様のお家で、こんな粗相をそのままにするのは、私のプライドが許さない。
「別に、買い替えれば大丈夫だから」
「それは勿体ないよ」
「家主がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
声とともに、床を叩いていた手首を握られる。
はっと顔を上げ振り返ると、壱月は反対の手で花斗の手を握り、こちらをじっと見ていた。
花斗は肩を小さく揺らしながら、必死に涙をこらえている。
「ママ、ごめんなさい」
ああ、やってしまった。
花斗の気持ちを、拾えなかった。
うるうるとした花斗の目元を見て、後悔が押し寄せる。
けれど、ここは〝他人〟の家だ。
広すぎるソファ、大きすぎるテレビ、お洒落すぎる絨毯……その部屋の中のもの全てが、今まで私がいた世界と違いすぎている。だから――
「……ごめん、でもやっぱりやらせて」
私はそう言って、絨毯の油染みが落ちるまで、グレーの絨毯を叩き続けた。
朝永ゆうり
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コメント
1件
うわあ、このエピソード、すごくじんわり来ました。花斗くんが椅子を「こわい」って言ったところ、あれは子どもならではの感覚だなって納得しました。それに気づいてローテーブルに切り替えてくれる壱月さんの優しさもいいですね。ただ、唐揚げを落とした後の愛音さんの「必死に染みを叩く」行動に、彼女の置かれた立場の窮屈さがにじみ出ていて、胸がぎゅっとなりました。壱月さんの「家主がいいって言ってるんだから」のセリフも、彼の距離の縮め方の丁寧さを感じます。三者の関係性が少しずつ動き出している予感。続きが楽しみです。