コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
西国のラッツァ王国。
冬にかかる頃で、王国の西にある小高い山々の峰は、すでに雪化粧をしている。
山からの吹きおろしが、木枯らしとなってラッツァの王都中に枯れ葉を散らしていた。
木々を大切にする国なのか、他の国々より街に樹木が多い。商店の並ぶ通りにも住宅地にも、そこかしらに木が植えてある。
そこに、イザとフィリアはいくらかの軍と共に来ていた。
ラッツァ王国よりさらに西のイーラムン共和国が、魔族の支配を拒み続けているからだった。
戦争の準備をしていれば、イザの極炎魔法で焼き払うしかない。そのための移動中で、このラッツァ王国には数日だけ滞在している。
今は事前調査にムメイを出していて、その報告待ちをしているためだ。
**
「もう! 一人でうろうろしないでって言ってるでしょう?」
「大丈夫よぅ、お母様。こいつらね、わたしに指一本触れられないのに、わたしのこと犯したかったんだって。滑稽だわ」
途中で勝手に道を逸れたフィリアは、スラムのような場所で数人の男を殺していた。理由はあったらしいが、あえて狙わせたのだからタチが悪い。
フィリアの見目は十四、五才で、その可憐な美しさが男を惹き付けると理解している。
フィリアは今回も、胸元を開いた服と短いスカートで足を見せ、寒いのにコートは羽織るだけの姿だった。肌を見せることで、バカな男が寄って来るのを楽しんでいる。
イザはそれを使って男を弄ぶ娘に、何度も注意していた。
女のイザから見ても、誘っているようにしか見えない。いや、そうしているのだから意図通りなのだが、それをやめさせることが出来ない。
そして、イザは案の定の結末を見ることになったのだ。
娘が十分に強く、人間など何千人居ようと相手にならないのも分かっている。
それでも、大切に想っているからこそ、小言を言わざるを得ない。
「何があるか分からないでしょう? 油断大敵よ」
「へーきへーき。身に纏った魔力の衣に、人間ごときが傷をつけるなんて出来ないもの」
「まったく……才能に溺れると死ぬんだからね」
「努力もしているわ。それに、これは実地訓練よ? 油断しないための」
油断などしていない。という慢心が油断なのだと気付けるのは、もっと先になりそうだった。
「……本気で言ってるの?」
「わたし、そんなに馬鹿な娘に見える?」
「……はぁ。誰に似たのかしら」
「お母様の子だもの! お母様に似たのよ。顔もそっくり。美人に産んでくれてありがとう」
これ以上話しても、今は無駄だと悟ったイザは話を変えた。
「お前は本当に私が好きなのね」
「ええ。だからもっと、前線に出して。わたしの力をお母様にお見せしたいんだもの」
フィリアは深紅の瞳を輝かせて、イザに抱きつくようにして言った。
「お前はやり過ぎるから、駄目よ」
「え? 何が?」
本当に驚いた、という様子でフィリアはイザを見上げる。
イザはその目を見て、この子はいつでも本気なのだと呆れつつ、きちんと諭さなければと、ため息をついた。
「はぁ。不必要に人間を殺し過ぎるのよ。憎しみを買うのが余計だと言っているの」
「そんな……人間なんて、生かしておく意味がありますか?」
フィリアは、イザに意見する時は語尾に気を配っている。それは上官に具申するに等しいと、わきまえるべきはわきまえているからだった。
そこだけは素直なのにと、イザはいつも頭を悩ませている。
全て素直に聞いてくれれば、どれだけ心が休まるだろうと。
「魔族による絶対的な統治をしてやれば、大人しく従うでしょ。現に大陸で歯向かうのは、残りひとつだけよ」
「お母様……」
フィリアは見上げていた目を伏せ、何か言葉を呑み込んだ。
「不服かしら」
「……ううん。分かったわお母様。わたし、ちゃんという事を聞くわ。むやみに殺したりもしない。従わせるのがいいと、お母様が言うなら」
屈託なく笑ってみせた顔は、他の者ならば心からのものに見えただろう。
だがイザは、フィリアが何か企んだのだと感じた。それは実際に何をするのか分からないけれど、ワガママ娘が素直に聞いたとは思えない。
「もっと反抗すると思ってた。けど、何を企んでいるの?」
「フフッ。何も? わたし、お母様のことが大好きだから。そのお母様のいう事なんですもの。必ずちゃんと聞いて、おりこうさんにする!」
「それがほんとなら、なんていい子なの。って褒めるんだけど」
もしそうなら、こんなに気を揉んだりしない。
「お母様はわたしのこと、大好き?」
この流れでそれを聞くのは、嫌な予感しかしない。
ただ、好きかどうかはちゃんと答えてあげたい。力を持て余した我が子は、どうせ言っても聞かない。だからこそ、愛情だけは全て伝えておきたい。
イザはそう思っている。
「ええ、もちろんよ。大好きだし、愛してるわ」
目の前でころころと表情を変える娘を、イザは抱きしめた。
心配が杞憂であってくれと祈りながら。
「うれしい! わたしもお母様のこと、愛してる!」
無邪気さゆえ、力を持つがゆえの、ナマイキで可愛い娘。
フィリアのためならば、自分の気苦労くらい何でもない。イザは自身に、そう言い聞かせた。
「ねぇお母様。だからちょっと、買い物してきてもいいでしょ? ちゃんと表通りを歩くから」
表情のように、話もころころと変わる。
「私と一緒じゃ嫌なの?」
「お母様と一緒だと、どちらが見られているのか分からないじゃない。わたしにカワイイって言ってるのを聞きたいの!」
そういう気持ちは、イザには分からなかった。
彼女が十四、五才の時は、近接戦闘に持ち込まれるのが苦手だったせいだ。男に囲まれ自由を奪われれば、自身を巻き込む魔法しか手が無かった。
それゆえ、イザは目立ちたいなど一瞬も思ったことがない。
だが、フィリアは違った。
最初から今のイザほど強く、そして魔力の衣でもって、戦士の一振りさえ涼しい顔で受けきる。
人間に脅威など微塵も感じたことがないからこそ、目立つことを平気でしたがるのだ。
「まったく。そういう部分は私に似ていないのね」
「そうかしら? わたしの後で歩いてみてよ。きっと気分いいから」
フィリアは、心の底では同じだよと言っているらしかった。
「とーにーかーく。気をつけて、油断しないこと。いい?」
「えへへー。ありがと、大丈夫」
フィリアはそう言うなり、イザの腕から抜けてサッと行ってしまった。
そして、それは起こった。
少しばかり時間を置いてフィリアの後を追ったつもりが、全く出会えなかったのだ。
表通りはくまなく見た。そも、あれほど目立つ魔族の娘を見落とすわけがない。ここは、人間の街なのだ。
魔族に害をなせばどうなるか、それは大陸中の支配下の人間が、肝に銘じている重大事項だ。ゆえに歓迎の態度は見せたとしても、害意など一切見せるはずがない。
「なぜ……。どこに行ったの」
スラムに入るな。そう言い聞かせたのに。
それでも言う事を聞かないほど、人間を殺したいのだろうか。
――私のように?
いや、そのはずはない。
復讐は果たしたし、力を貸してくれた魔族を率い、大陸を制覇するのも目前で、人間を殺すことなどに心を奪われたりしていない。
ならば、フィリアの力を凌ぐ者が居たのだろうか。
それこそ、有り得ないことだ。
「居ない――。私を困らせたいだけなら、もう十分だから出て来て」
これまで、王城を出て別行動など、したことがない。
なのに、油断したのは自分だったのだ。
人間の狡猾さを、教えきれてはいないのに。
「言葉巧みに騙されて、ついて行ったのかもしれない」
いや、おかしい。
ついていったところで、戻って来られないはずがない。
冷静さが失われつつもイザは、気力を振り絞ってフィリアの足取りを追った。そこまで遠くに行ったはずがないから。
**
ようやくフィリアを見つけたのは、スラム街の奥深くだった。
目立つからこそ、ひとつ手掛かりを掴めばそこまで時間は要らなかった。
けれど、その少しだけ開けた小汚い公園のような場所には、信じられない光景が待っていた。
「お母様……勇者の……こうげき……ころも……を。抜けて……きま、す」
「フィリア! うそ……でしょ? 悪い冗談はやめて!」
離れていても、フィリアからおびただしい血が流れているのが見えた。
横たわるフィリアの胸の谷間から流れ、赤く濃い服の染みは、まだじわじわと広がっている。
その数メートル離れた所に、小汚い麻の服を着た黒髪の浅黒い青年が一人、剣を構えて立っていた。
フィリアを深く貫いたのだろう。そのせいで、剣の根元から塗り引いたような赤い跡が、しっかりと残っている。
その青年が、駆け寄ったイザに言った。
「貴様が魔王イザだろう。魔力の大きさですぐに分かったぞ。人間のくせに! この裏切り者め! 俺たちの怒りを受けろ。そして滅びろ!」
服と同じく肌も薄汚れているが、精悍そうな顔をしている。それを憎しみで歪めて叫び、イザを睨みつけている。
「フィリア。今すぐ治してあげるから。痛くても意識を保つのよ。フィリア。しっかりなさい」
「その魔族のガキは貴様の子か? まさか魔族との子を産んだのか? 裏切り者の外道のガキだったか。そいつはもう死ぬぞ! 俺が殺した!」
裏切り者。と彼は言う。
イザは、ほんの一瞬だけその言葉が耳に残った。
だが今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「フィリア! なぜ治らないの! フィリア! フィリア! 目を開けなさい! フィリア!」
こんなこともあろうかと、治癒魔法も身に付けていたというのに、全く傷が閉じなかった。
それは、つまりもう、手遅れで事切れているということだった。
ほんの少し前まで、まだ息があったにも関わらず。
「それはもう死んでいる。次は貴様だ」
男は、怒りを抑え勝ち気を抑え、静かだが強い声をイザに投げた。
しかし、イザはその一切を無視した。
「フィリア……うそよ。うそよね? 私を驚かせたいだけなんでしょう? もう十分驚いたわよ? これ以上は、怒るから。早く目を開けて。フィリア。お願いよ。お願い。死なないで……お願い」
ぐったりと動かないフィリアに、未だ治癒魔法を使い続けている。
常人であれば、魔族でさえ命を削るほどの力を振り絞って。
「はっ! 貴様の戦意をここまで削げるとはな!」
「フィリア。お願い、戻ってきて。お願いよ。あなたまで居なくならないで。お願い戻ってきて……目を開いてよ……」
イザは、もう取り返しのつかない状態だと理解はしていた。
だが、治癒を続ける以外に何もする気になれなかった。
フィリアの体は一切の力を受け付けず、あれほど流れていた血がもう止まっていても。
イザの心は、意識は、現実を受け入れられずにいた。
男の話を聞くまでは。
「そのガキはな、俺が丁度いい魔族がいると思って声をかけたんだ。殺してやるからついて来いってな。だが無視しやがった。生意気な目で一瞥くれやがったから、手を掴んで路地に投げてやったぜ。それでも無視しようとしやがるじゃないか。だから言ってやったんだ。お前ら魔族は、人間の女におんぶにだっこで恥ずかしくないのか。いや、裏切り者のクズとゴミ魔族はお似合いだったな。ってな。そしたらそのガキ、お母様は裏切ってなんかいないって、急にキレやがった。後は簡単にここまでついて来たぜ。俺に殺してやるなんて息巻いてたが、他愛もなかった。次はお前だ。裏切り者」
イザは失意の中で、延々と語る男の声は遠かった。
けれど、その意味が徐々に頭に入ってくると、今度は強烈な怒りが熱を帯びて、全身をかけ巡った。
「私の言いつけを、守っていたあの子を…………お前は……」
フィリアは、きちんと守っていた。
この男にどんなに嫌な思いをさせられても、我慢していたのだ。
それなのに、自分の母を悪く言われて、怒ってくれたという。
「無抵抗のまま殺されるつもりか? 魔王などと言っても、本当は魔族のでっち上げだろう」
そう言って男は、剣を振り上げた。
「所詮は魔族のこけおどしだ。俺がそれを証明してやる。雑魚の娘同様に、お前も死ね!」
そして、その剣をイザの肩口に目掛けて振り下ろした。
「許さない……」
イザは避けようともせずに、それを受けた。
フィリアから離れたくないと、その場に屈んでいるだけのように見える。
俯いた顔は見えないが、しかし、彼女の声は悲痛に満ちていた。
限度を超えた怒りは、激情を通り越して静かになる。その震えた声だけが、嘆いている。
「許さないわ……。絶対に。二度と」
「なにっ? 魔力を斬る聖剣が……通らないだと?」
剣はイザの体に、数ミリを残して届かなかった。
「……お前も、クズの王も、クズのあいつも……。どうして? どうして私のささやかな幸せを……。放っておいてくれれば、私は何もしなかったのに……」
震える涙声は、それまでの怒りまでも思い起こさせた。
そして、どうしようもない絶望が大きく横たわっている。
未だフィリアの亡骸を呆然と眺めているイザ。そこに、男は何度も剣を振り下ろした。
「くそっ! クソクソクソ! なぜ斬れない! なぜ貴様ごときを斬れない!」
そうわめく男に、イザは俯いてフィリアから目を離せないままに言った。
「さっき、聖剣と言った? お前、聖剣が何を斬るのかさえ、知らずに使っているの? それは魔力を斬るためのもの。それにね、私は人間なのよ。人間を守るための剣で、人間である私を、斬れる訳がないでしょう?」
「だとしてもだ! ただの剣よりも斬れない道理があるか! それに! 俺に正義があるはずなのに!」
男はもはや、駄々っ子のように何度も、寸前で当たりさえしない剣を振るい続けた。
「お前も、頭が悪い。頭が悪いくせに、しかも自分が正義だと思い込んで……滑稽だわ」
「死ね死ね死ね! なんで俺が! 勇者の俺が貴様ごときを斬れないんだ!」
フィリアは、この剣が魔力の衣を貫通してきたと、最後に言った。
それはおそらく、防ぎきれなかったとはいえ、一瞬でも衝突の手応えがあったということだろう。無効化されたとは、言わなかったから。
だからイザは、フィリアよりも分厚く魔力を纏わせていたのだった。
つまるところ、魔力のぶつけ合いに等しい。
ならば、絶大な魔力を誇るイザが、人間が扱う小道具ごときに競り負けるはずがなかった。
「私の娘を……私のフラガを……。よくも。私の命よりも大切な人を、殺してくれたわね」
「ひっ」
ようやく顔を上げたイザを見て、男は小さな悲鳴をあげた。
それは憤怒を超えた絶望で、感情が死んだ顔だったのかもしれない。
「もう、分かったわ。前に誰かが言った通りだったわね。人間に、情けをかけた私が悪い……。フィリア、ごめんね。守ってあげられなかった……ごめんなさい」
イザはゆっくりと立ち上がった。
感情が完全に消えた、真っ暗な瞳で男を見据えたまま。
「やっ、やめろおおおおお! 俺は! 貴様を倒して! 貴族になるんだ! 姫を娶って! 大貴族に!」
「フィリア……。フラガ……。私が甘かったばかりに……。全部……私のせいよ。全部、なにもかも、私が、ぬるい考えを持っていたせいで!」
怒りをなぜか、彼女は自分に向けていた。
いや、全ての人間に向けてなお、有り余った憎悪の行き場になっただけなのだろう。
涙が彼女の頬を伝い、滴り落ち、流れ続けていく。
「……私、決めたわ。もう、一匹たりとも……生かしてはおかない。フィリア……ごめんなさい。ごめんなさい……」
もはやイザは、その男など見てはいなかった。
それを通して、人間全てを見据えている。
「うああああああああああああああああああああああああああ!」
イザは、フラガを殺したあの勇者に使った魔法を解放した。
衣服に忍ばせてある無数の針金が、対象の全身に入り込み中身をズタズタに抉り続ける、対人用の近距離魔法を。
「フィリア……。世界中から、害虫を消してみせるからね。だからせめて、安らかに……」
**
イザは、自らの戒めとして娘の体を魔法の氷で包み、誰も寄り付けない場所に保管した。
常に吹雪き続ける険しい山脈の、そのどこかに。
彼女だけが知る場所に石室を造り、大切に保管したのだった。
それから、イザは全世界に進軍を開始した。
そうして常に、その凶悪なまでの魔法を放つ時も、イザはこう言っていたという。
「フィリア。フィリア……私の、大切な娘。私の最愛のフィリア。ごめんなさい。ごめんなさい。愛してる……」
途切れる事の無い慚愧(ざんき)の念。終わる事の無い後悔。自らを永遠に縛る絶望。
それらを、絶大の魔力へと変える。
イザは、虚ろな目をしながらも確実に、そして迅速に人間を殺した。
数え切れない殺戮の果てにさえ、もう何も無い事を理解しながら。
死んでしまった最愛(ひと)は、戻らない。
何をしようと、どのような策も、全てが死という壁で潰える。
だからこそ、イザは心臓を動かし続けた。
今すぐにでも死んでしまいたいと、ひと時の迷いに心が揺れそうになろうとも。
決して、決して、仇を討たずには死ねないのだった。
そしてまた、慚愧と後悔に縛られる。
その絶望に潰されぬよう、ただ懸命に殺し続けた。
殺し尽くさねばならない。ただの一匹さえ残さぬように。
でなければ、人間はまた魔族を狙うだろう。
いや、間違いなく狙う。それが人間という生き物なのだ。
自分が、そうなのだから――。
だから、フィリアを殺した報いを、全ての人間に償わせるしか方法が無い。
大丈夫。
人間を絶滅させれば、もう不条理に命を失う事は無くなるのだから。
それが、繰り返し導き出される、イザの答えだった。
そしてイザは、瞬く間に世界から人間を滅ぼしていった。
全ての国の首都、全ての町、どんなに小さな村でさえも、見逃さなかった。
しらみつぶしに、世界中の人間を排する。
――イザは人間でありながら、人間を滅ぼす魔王となった。