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第6話 時の塔の中で
塔の中は、静寂そのものだった。
扉を閉めると、外の音はすべて消えた。
空気は冷たく、まるで時間が凝縮しているような感覚があった。
階段は螺旋を描き、終わりが見えないほど上へと続いている。
壁には、無数の時計が埋め込まれていた。
それぞれの針は違う方向を指し、同じ時刻を刻むものは一つもない。
ある時計は過去へ、あるものは未来へ――
その不規則な針の音が、塔全体を脈打たせていた。
僕は歩き出した。
靴音が階段に響く。
足を踏みしめるたび、景色がわずかに変わっていく。
最初の踊り場には、ガラスのような壁があり、
そこに“ひとつの記憶”が映し出されていた。
――放課後の屋上。
いむくんが空を見上げている。
風が吹き、髪の毛が揺れる。
「ねぇ、時間ってね、優しいと思う?」
あのときの会話だ。まだ、何も壊れていなかったころの。
「優しいよ」と答えた自分の声が、壁の向こうから返ってくる。
「嘘。時間は残酷だよ。忘れさせることで、救おうとするんだもん。」
いむくんの声が少し震えていた。
僕は手を伸ばす。だが、ガラスに触れた瞬間、
映像は静かに砕け、光の粉になって消えた。
次の階段へ進む。
またひとつ、記憶の層が剥がれるように、景色が変わる。
今度は、あの日の夜だった。
いむくんが泣いていた。
少年は何も言えず、ただ隣に座っていた。
彼女の手が震えていた。
「もし世界が終わるなら、君だけは覚えてて。」
「何を?」
「僕が生きてたこと。」
その瞬間、胸が痛んだ。
あの約束。あの言葉が、すべての始まりだった。
少年はその夜、いむくんの記憶を守るために“時間の契約”を結んだ。
世界を巻き戻し、彼奴を永遠に“ここに留める”ために。
――その代償が、“世界の崩壊”だった。
息が詰まる。
膝に手をつき、少年は深呼吸をした。
目の奥が熱い。
「僕が……全部壊したんや。」
そのとき、階段の上から声がした。
「違うよ。」
顔を上げると、ないちゃんが立っていた。
白い光をまとい、透き通るような姿で。
「しょうちゃんが壊したんじゃない。しょうちゃんが“止めた”だけ。」
「止めた……?」
「時間をね。止めたのは、壊したいからじゃなく、“彼奴を閉じ込めたかった”から。」
ないちゃんは一段降り、彼の前に立つ。
その瞳の奥には、かすかに涙が光っていた。
「でも、時間は優しくない。閉じ込めたものを、少しずつ消していく。」
「……いむくんを、消していくってことやんな。」
ないちゃんは頷く。
「だから、彼奴を“救う”には、時間を動かさなきゃいけない。」
僕は拳を握った。
「じゃあ、この塔の頂上に行けば――」
「“時間の心臓”に触れられる。」
「心臓……?」
「すべての時間を動かしている中心。
そこに触れた者は、“過去・現在・未来”の境界を越える。」
ないちゃんは静かに微笑んだ。
「でも気をつけて。時間の心臓は、“本当の願い”しか受け入れない。
もし嘘をついたら――世界は再び壊れる。」
「本当の願い……」
目を伏せた。
いむくんを救いたい。それは本当だ。
けれど、その裏にある感情――“失うことへの恐れ”もまた、確かに自分の中にある。
ないちゃんが言った。
「しょうちゃんはまだ、彼奴を“手放して”いない。だから塔が揺れてる。」
その瞬間、塔全体が低くうなりを上げた。
階段の壁がひび割れ、時計の針が一斉に止まる。
ないちゃん姿がかすみ、光が散った。
「ないちゃんッ!!」
叫ぶ声が虚空に吸い込まれる。
塔の最上部から、赤い光が漏れ始めた。
それはまるで“心臓”が鼓動しているようだった。
第7話 時間の心臓
階段を登るたびに、空気が重くなっていった。
息を吸うだけで、胸の奥に時間の粒が入り込んでくるようだった。
光も音も薄れていく。
残るのは、自分の心臓の鼓動だけ。
――。
その音が、塔そのものの鼓動と重なっていく。
僕は気づいた。
この塔は「世界の記憶」であり、そして自分の“心の器”そのものだと。
最上階へ近づくにつれて、階段が光に変わっていく。
踏みしめるたびに足が沈み、光が波紋を描く。
やがて、階段の終わりに広がる大扉が現れた。
中央には赤い紋章が脈打つように輝き、
壁一面を流れる光の線が、まるで血管のように扉へと収束していた。
「……これが、時間の心臓。」
呟いた瞬間、背後から声がした。
「よくここまで来たね。」
振り向くと、“もう一人の僕”が立っていた。
以前よりも少しだけ穏やかな顔をしていた。
だが、その瞳はどこか悲しげだった。
「またお前。」
「“また”じゃない。僕はずっとここにいた。」
「……ここに?」
「そう。君が時間を止めた瞬間から、僕はこの心臓を見張っていたんや。
君が戻ってくる日を、ずっと待ってたんよ。」
僕は一歩近づいた。
「どうして止めたんや? なぜいむくんを閉じ込めた。」
“もう一人の僕”は微笑んだ。
「彼奴が消えるのが怖かった。
いむくんを失うくらいなら、世界が止まってもいいと思ったんだ。」
その言葉は、まるで自分の声のように響いた。
「つまり……お前は、あの時の“僕”なんやな。」
「そう。君の“選ばなかった方の未来”さ。」
沈黙が落ちた。
塔の鼓動だけが、二人の間に響いている。
「今の君は、動かしたいと思っている。
でも、僕は止めておきたい。
――どっちが正しいと思う?」
少年はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと答えた。
「正しいかどうかやない。
ただ、もう一度“いむくんの笑顔”を見たい。それだけ。」
“もう一人の僕”は目を細めた。
「その願いが“本当”なら、この扉は開く。
でももし、少しでも“怖れ”が混ざっていたら、
世界はまた壊れる。」
少年は息を吸い、ゆっくりと目を閉じた。
思い出す。
屋上の風。いむくんの笑い声。雨上がりの匂い。
そして、あの日言えなかった言葉。
――「本当は、君と未来を生きたかった。」
その瞬間、胸の中で何かが溶けた。
長い間、張りつめていた“止まった時間”が、
少しずつ、温かい光に変わっていく。
少年は目を開け、扉に手を伸ばした。
赤い光が掌に触れた瞬間、心臓の鼓動が世界中に響いた。
塔全体が震え、時計の針が一斉に動き出す。
“もう一人の僕”が微笑んだ。
「やっと、君が“僕”を越えた。」
光が溢れ、視界が白く染まる。
時間が動き出す音。
世界のすべての記憶が、再び流れ始める音。
少年はその中で、確かに“いむくんの声”を聞いた。
「おかえり。……やっと、来たね。」
振り向くと、そこにいむくんが立っていた。
白い光の中で、穏やかに笑っていた。
もう幻ではなかった。
確かに“今”の中に存在していた。
僕の頬を涙が伝う。
いむくんが歩み寄り、僕の手に触れる。
その瞬間、塔の鼓動が静まり、
時間の流れが――“ふたたび始まり”へと向かっていった。