濃密な時間が過ぎ去った部屋には、どこか温度だけが名残のように漂っていた。
窓の外では、夜が深まるにつれ雨音がかすかに聞こえ始めていた。
若井は、服の乱れを直しながら、視線を落とした。
ソファの端に腰かけ、少し乱れた髪を手櫛で整える元貴が、
どこか神妙な顔をしていた。
「……先生」
元貴がぽつりと声を落とす。
その声音には、どこか子どもらしい迷いと、
大人びた憧れの両方が混ざっていた。
「……僕、早く先生みたいに……大人になりたいです」
若井は思わず手を止めた。
その言葉の先を、無意識に待っていた。
「……そしたら、先生と……触れ合えるから」
真っ直ぐにそう言い切った元貴の瞳は、どこまでも澄んでいた。
さっきまでの熱や羞恥とはまるで違う、静かで、一途な光。
若井の胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(……こんなふうに、真っ直ぐ俺を思ってくれる奴がいるなんて)
しばらく沈黙が流れたあと、若井はゆっくりと、
ソファの反対側から身を乗り出すようにして、言った。
「……じゃあ、待ってるよ。お前が大人になるのを」
その言葉に、元貴の頬がわずかに赤くなる。
「……ほんとに? 絶対にですよ?」
「……ああ、約束するよ」
元貴は、笑った。
そして小さく、そっと手を差し出す。
「じゃあ……指切りしましょ」
「……子どもかよ、お前は」
そう言いながらも、若井は黙ってその小指を絡めた。
ぎゅっと、軽く結ばれる約束。
「指切ったから、もう逃げられませんよ」
「……誰が逃げるか、バカ」
2人はふっと笑い合う。
今はまだ、触れ合えない距離。
けれどこの約束は、きっと未来へ続いていく。
そして——
その日以来、元貴の中で何かがはっきりと決まった。
(……俺、先生を追いかけよう)
(教師になれば、先生と同じ目線に立てる。——それなら)
あの声も、あの熱も、全部、もう一度——
正面から手に入れるために。
コメント
2件
元貴が一つ一つ大人の階段を登って行くんですね。今日一段登った気がします☺