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#フライギ
にもあえ
229
葉菜
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だから誰も気付かなかった。
遠く離れた人間側でもまた、新たな動きが静かに始まっていることに。
その報告が軍の前線拠点へ届いたのは、俺達が新しい拠点に石を積み始めていた頃だった。
夜哭きの森への先遣隊は失敗。
北方森林群の制圧は完了。
逃亡した半魔と魔獣の一部は南西方面へ移動。
そして、その中に研究所崩壊時に逃亡した研究員と被検体らしき者達が含まれている可能性がある。
簡潔にまとめられた報告を読み終えた指揮官は、しばらく何も言わなかった。
机の上には地図が広げられている。
夜哭きの森。
北方森林群。
山脈。
川。
そのいくつかに赤い印が付けられていた。
「また逃げたか」
指揮官の声は静かだった。
苛立ちを抑えているようにも聞こえる。
傍に控えていた兵士が小さく頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、対魔装備の効果は確認されています。迷い霧の干渉も、魔力障壁への影響も、想定範囲内です」
「想定範囲内で逃がしたのなら意味がない」
その一言で兵士は口を閉じる。
指揮官は地図へ視線を落としたまま、赤い印の一つへ指を置いた。
「ここだな」
「はい。川と山に囲まれた地形です。大軍の展開には不向きですが、防衛拠点としては優れています」
「つまり連中は逃げるのをやめるかもしれない」
その言葉に、室内の空気が僅かに変わった。
半魔や魔獣がただ森へ逃げ込むだけなら対処は単純だった。
追い立てればいい。
焼けばいい。
封じればいい。
だが、もし彼らが一つの場所へ集まり、守るための拠点を築き始めたのなら話は別になる。
それは群れではなくなる。
集落でもない。
放置すれば、別の何かになる。
指揮官はしばらく地図を見つめた後、低く命じた。
「第二部隊を回せ」
「正面からですか」
「いや」
指揮官は首を横へ振る。
「まずは測れ」
「兵力ではなく、連中が何を作ろうとしているのかをだ」
その頃、俺達の側では人間軍のそんな動きなど知る由もなく、目の前の石材と図面だけが世界の中心になっていた。
しゆらの設計図を基にした区画整理は思っていた以上に順調に進んでいる。
住居予定地には簡易の印が打たれ、防壁の外周には大きな石が並べられ始めていた。
鍛冶場予定地では榊達が炉の位置について話し合い、千代は相変わらず人間なら数人がかりでも動かせない石を一人で運んでいる。
「予紬さん」
しゆらが少しだけ不安そうに図面を覗き込む。
「ここ、少し狭いでしょうか」
「いや、これでいい」
俺は図面と実際の地形を見比べながら答える。
「広く取りすぎると守る範囲が増える。最初は狭く、後から拡張できる余地を残した方がいい」
しゆらは真剣な顔で頷くと、紙の端へ小さく書き込みを加えた。
その仕草はもう補佐というより、完全に設計担当のそれだった。
「予紬さん」
「なんだ」
「少しだけ、楽しいです」
その言葉に視線を向ける。
しゆらは図面を見つめたまま、恥ずかしそうに笑っていた。
「不謹慎かもしれませんけど」
「そんなことはない」
すぐに否定した。
「楽しいと思えるなら、その方がいい」
逃げてきた。
追われている。
人間軍はまた来る。
それでも、何かを作ることまで苦しみだけにする必要はない。
しゆらは少し驚いたようにこちらを見上げ、それから柔らかく微笑んだ。
「はい」
その返事を聞きながら、俺は改めて建設途中の拠点を見渡した。
まだ壁は低い。
住居も足りない。
食料も資材も十分ではない。
それでも、ここには昨日までなかったものが生まれ始めている。
逃げ場ではなく、守る場所。
そしてその存在に、人間側もいずれ気付く。
まだ誰も知らないだけで、俺達が積み上げている最初の石は、既に次の戦いを呼び寄せ始めていた。
もっとも。
そんなことを考えていたのは恐らく俺だけだった。
住人達は忙しい。
人間軍のことを忘れたわけではないが、それ以上に目の前の仕事が山積みなのだ。
朝になれば採石場から石材が運ばれてくる。
昼になれば加工が始まる。
夕方になれば新しい建物の骨組みが増えている。
その繰り返しだった。
「予紬さん」
しゆらが一枚の紙を差し出してくる。
最近ではすっかり見慣れた光景だった。
受け取る。
新しい区画図だった。
「居住区の拡張案か」
「はい」
しゆらが頷く。
以前のものよりさらに細かい。
住居の配置だけではない。
共同井戸。
食料庫。
炊事場。
子供達が遊べる広場まで描かれている。
思わず笑ってしまった。
「なんですか」
「いや」
図面を見ながら答える。
「いつの間にか町を作る気満々だなと思ってな」
その瞬間。
しゆらが固まった。
そして。
ゆっくり顔が赤くなる。
「そ、そういうつもりでは」
「あるだろ」
「少しです」
少しらしい。
どう見ても少しではない。
広場の位置まで考えている時点で完全に定住を前提としている。
もっとも。
それを笑う気はなかった。
実際、俺も同じことを考え始めている。
ここへ来た当初は避難所だった。
今は違う。
住居を作り。
鍛冶場を作り。
防壁を作る。
その先を考えている。
それはつまり。
ここで生きることを考えているということだった。
「予紬殿!」
遠くから榊の声が聞こえる。
採石場の方だ。
何かあったらしい。
しゆらと顔を見合わせ、そのまま向かう。
採石場へ辿り着くと、多くの半魔達が集まっていた。
中央には巨大な岩壁がある。
どうやら新しい採掘場所を見付けたらしい。
「見てくれ」
榊が岩肌を叩く。
鈍い音が返る。
普通の岩ではない。
かなり硬い。
「鉄鉱石が混ざっている」
その言葉に周囲がざわつく。
鍛冶場を作ろうとしていた今、この発見は大きい。
武器も。
防具も。
釘や工具も。
全て変わる。
「運が良いな」
そう言うと、榊は首を横へ振った。
「運ではない」
そして少し離れた場所を指差す。
そこには大和がいた。
相変わらず痩せた身体を羽織で隠しながら岩壁を見上げている。
「長が見付けた」
「大和が?」
少し驚く。
戦うだけではないらしい。
「昔の避難地だからな」
いつの間にか本人が答える。
「先代達が調べていた場所も残っている」
なるほど。
だから鉱脈の位置まで把握していたのか。
ただ。
その横顔を見ていると少し気になる。
やはり痩せている。
以前から細かったが、最近はさらに酷い気がした。
食料が不足しているわけではない。
むしろ今は備蓄も増えている。
それなのに。
「大和」
思わず呼ぶ。
黒い瞳がこちらを向いた。
「どうした」
「ちゃんと食べてるか」
沈黙。
周囲も静かになる。
榊が目を逸らした。
千代も固まる。
嫌な予感がした。
「食べている」
大和が答える。
だが。
それを聞いた瞬間。
千代がものすごく胡散臭そうな顔になった。
完全に嘘を見る顔だった。
「お主」
「なんじゃ」
「昨日は食べたか」
「食べた」
「一昨日は」
「食べた」
「その前は」
「食べた」
質問が続く。
答えも続く。
だが。
なぜか千代の表情はどんどん険しくなっていく。
最後には額を押さえていた。
「駄目じゃこやつ」
心底疲れた声だった。
「また自分の分を配ったの」
周囲の半魔達が一斉に目を逸らす。
図星らしい。
「別に問題ない」
大和は平然としている。
だが。
千代は平然としていなかった。
赤い瞳がじっと大和を見ている。
怒っている。
いや。
心配しているのだろう。
その様子を見ていたしゆらが小さく呟く。
「仲良しですね」
「そうだな」
「千代さん、すごく心配そうです」
その言葉に千代の耳がぴくりと動く。
聞こえていたらしい。
だが否定しない。
代わりに大和の腕を掴む。
そして。
「今日は儂の前で食え」
そう言い放った。
周囲が静まる。
大和も珍しく少し困った顔をしていた。
その様子を見ていた住人達から笑いが漏れる。
建設は続く。
防壁も。
住居も。
鍛冶場も。
少しずつ完成へ近付いていく。
そして同じように、人と人との繋がりも少しずつ形になっていた。
石壁だけでは守れないものがある。
だからこそ。
この場所は少しずつ、本当の意味で居場所になり始めていた。
コメント
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みぅです🤍 第33話、読ませてもらいました。 人間軍の静かな動きと、拠点づくりに夢中になってる皆の対比がすごく良かったです。特にしゆらちゃんの「少しだけ、楽しいです」に胸がギュッとなりました…逃げてるだけじゃなくて、自分たちの場所を作るって、そういう小さな希望が大事なんだなって。 大和くんが自分の分を配ってるって話、千代がちゃんと叱ってくれてて、そういう関係性が尊いです。次の戦いの予感も漂ってるのに、今はこの時間が続いてほしいって思わせる回でした。