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2
ねこ(=^‥^)
99
この場所は少しずつ、本当の意味で居場所になり始めていた。
だからこそ。
住人達の表情にも少しずつ余裕が戻り始めていた。
数日前までなら考えられないことだった。
夜哭きの森を追われた。
北方森林群も失われた。
人間軍は今もどこかで動いている。
状況だけ見れば決して良いとは言えない。
それでも、この場所には不思議と活気があった。
「完成したぞー!」
そんな声が響く。
見ると、子供達が見張り台の上から手を振っていた。
まだ簡素なものだ。
防壁に取り付けられた木組みの櫓に過ぎない。
だが高所から周囲を見渡せるようになったことで、子供達にとっては格好の遊び場になっているらしい。
「落ちるなよ」
思わず声を掛ける。
すると。
「大丈夫ー!」
元気な返事が返ってきた。
全く信用できない。
隣でしゆらが小さく笑う。
「元気ですね」
「元気過ぎる」
「良いことです」
それはそうだ。
少なくとも怯えて震えているよりはずっと良い。
その様子を眺めながら歩いていると、今度は鍛冶場の方から槌の音が聞こえてきた。
まだ炉も仮設だ。
本格的な設備には程遠い。
それでも北方森林群の生存者達と夜哭きの森の住人達が協力しながら少しずつ形にしている。
榊もそこにいた。
何やら職人達と真剣な顔で話し込んでいる。
「あっちは順調そうだな」
「そうですね」
しゆらも頷く。
設計図を見直しながら歩く横顔は、研究所にいた頃よりずっと生き生きして見えた。
それが少し嬉しい。
ここへ来るまで、本当に色々なことがあった。
研究所。
逃亡。
追跡。
夜哭きの森。
北方森林群。
思い返せば休む暇などほとんどなかった。
だからだろうか。
今こうして穏やかな時間が流れていることに、少しだけ安心している自分がいた。
「予紬さん」
不意にしゆらが立ち止まる。
「どうした」
「いえ」
しゆらは少しだけ首を傾げた。
紫色の瞳が森の奥へ向いている。
「今、何か見えた気がしたんです」
森を見る。
だが何もない。
木々が風に揺れているだけだった。
「魔獣か?」
「かもしれません」
そう言いながらもしゆらはどこか納得していない様子だった。
だが、それ以上は何も言わない。
俺も深くは考えなかった。
この辺りには魔獣も多い。
見間違いということもあるだろう。
だから。
その時は誰も気にしなかった。
遠く離れた尾根の上。
木々の隙間からこちらを見下ろしている赤い瞳の存在に。
その視線が完成し始めた拠点を見つめていたことにも。
そして。
その瞳の主が小さく笑ったことにも。
まだ誰も気付いていなかった。
その視線が敵意によるものではないことにも。
翌朝。
拠点は朝から慌ただしかった。
見張り台の増設。
住居の建設。
採石場の拡張。
やることはいくらでもある。
だが不思議と悲壮感はない。
住人達は疲れているはずなのに、誰もが忙しそうに動き回っていた。
「予紬さん」
朝食代わりの干し肉を齧っていると、しゆらが設計図を抱えてやってくる。
最近はすっかりこの光景が日常になっていた。
「北側の倉庫なんですが」
「うん」
「少し位置を変えようと思うんです」
そう言って差し出された図面を見る。
なるほど。
確かに悪くない。
防壁との距離。
搬入口。
避難経路。
どれも以前より整理されている。
「こっちの方がいいな」
そう答えると、しゆらが少しだけ嬉しそうに笑った。
以前なら遠慮していただろう。
だが最近は違う。
自分の考えを持ち、それを言葉にするようになっている。
それは見ていて少し嬉しかった。
「ありがとうございます」
そう言いながら図面へ修正を書き込む。
その横顔を眺めていると、不意に妙な感覚が走った。
違和感。
視線。
そんなものだった。
反射的に森の方を見る。
木々が揺れている。
それだけだ。
何も見えない。
「予紬さん?」
しゆらが首を傾げる。
「いや」
気のせいかと思った。
だが。
昨日も似たような感覚があった気がする。
見られているような。
そんな感覚だ。
「何かありましたか?」
「分からない」
正直に答える。
「ただ少し気になる」
しゆらも森を見る。
だが何もない。
結局その話はそこで終わった。
その日の昼。
今度は採石場だった。
巨大な岩を砕く音が響いている。
案の定、千代もいる。
そして案の定。
周囲の半魔達より何倍も働いていた。
「その岩、本当に必要か?」
思わず聞く。
千代の肩には家ほどの大きさの岩塊が載っていた。
本人は当然のような顔をしている。
「必要になるじゃろ」
「どこに使うんだ」
「そのうち考える」
考えていないらしい。
近くにいた榊が苦笑する。
「最近はあれが普通になってきた」
「慣れって怖いな」
本当にそう思う。
そんな話をしている時だった。
大和が採石場へ姿を現す。
いつも通り静かだ。
だが今日は少し様子が違った。
大和もまた森の方を見ていたのである。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけだった。
だが見間違いではない。
「大和」
声を掛ける。
黒い瞳がこちらを向く。
「どうした」
「そっちこそ」
森を指差す。
「何かいるのか」
少しだけ沈黙が落ちた。
大和は森を見た。
そして。
「さあな」
そう答える。
嘘だ。
すぐに分かった。
大和は何かを知っている。
だが隠している時の顔ではない。
むしろ。
確信が持てていない顔だった。
それが少し気になった。
長い付き合いの相手でもいるのか。
そんな考えが頭を過る。
だが根拠はない。
だから口には出さなかった。
その頃。
遥か離れた尾根の上では、一人の女性が和傘を肩へ担ぎながら建設途中の拠点を眺めていた。
黒曜石のような髪が風に揺れる。
赤い瞳は楽しそうに細められていた。
「へぇ」
ぽつりと呟く。
その口調はどこか和風で。
どこか不自然だった。
「面白いことになっておるの」
隣には誰もいない。
護衛も。
従者も。
ただ一人。
だが不思議と孤独には見えなかった。
女性は遠くに見える人影へ視線を向ける。
建設現場を歩く黒髪の男。
細い身体を羽織で隠した男。
その姿を見た瞬間。
赤い瞳が少しだけ柔らかくなった。
「相変わらずじゃなぁ」
懐かしそうな声だった。
そして。
その視線が別の人物へ向く。
赤い瞳。
黒曜石の角。
忙しそうに岩を運んでいる少女。
女性はしばらく千代を見つめていた。
やがて。
ゆっくり笑う。
「なるほどの」
何かを察したような顔だった。
そして次の瞬間には姿を消す。
風が吹く。
木々が揺れる。
尾根の上にはもう誰もいない。
ただ一つだけ確かなのは。
その視線の主が、少しずつこちらへ近付いてきているということだった。
コメント
1件
え、最後の赤い瞳の女性…めっちゃ気になるんですけど!?「相変わらずじゃなぁ」って誰かに言ってて、千代ちゃんも見てた…予紬さんとか大和さんとも何か関係ありそうで、続きが気になりすぎます…。穏やかな日常の中にじわじわと違和感が積み重なる感じ、好きです。しゆらちゃんが生き生きしてる描写にほっとしました…☺️