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Nene
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河童の作る携帯端末というのは便利だ。写真機にもなるし、録音機にもなる。何より、取材メモを失くさなくて済む。 だが私は紙の手帳を捨てない。
ペン先が走る感触は、記憶を定着させる。特に、嫌な話ほど。
「で、その外来人は結局なんだったんです?」
向かいで湯呑みを傾けながら、白狼天狗の犬走椛が尋ねた。
私は新聞のゲラを閉じた。
「分かりませんよ。妖怪でも幽霊でもない。少なくとも、私にはそう見えた」
「でも未来予知なんでしょう?」
「それも違う気がするんです」
昼下がりの命蓮寺。
取材帰りに立ち寄った縁側は静かだった。風鈴が鳴るたび、軒先の影が揺れる。
私は湯呑みを置き、ふと思い出したように言った。
「……そういえば、九日前に妙な外来人に会ったんですよ」
「またですか」
「“また”とは失礼ですね。私は偏見をなくすために活動してるんですよ」
「文さんの場合、半分くらいは面白半分でしょう」
「否定はしません」
私は笑った。
だが、その笑いは途中で止まる。
思い出したからだ。
あの小屋の湿った空気を。
◆
外の世界には、“リアル”という概念があるらしい。
幻想ではなく、事実。
客観。証拠。論理。
幻想郷では曖昧に済むことも、向こうでは数字や記録で固定される。私はそれに興味を持った。外来人に話を聞けば、妖怪への無意味な偏見も減るかもしれない。そう思ったのだ。
その外来人は、魔法の森の外れに住んでいた。
小屋は狭かった。
妙に生活感が薄い。椅子、本、机、薬瓶。必要最低限だけが並んでいる。
私は念のため、人間の記者を名乗った。
妖怪だと知られて怯えられても、取材にならないからだ。
だが、座って三分もしないうちに、その外来人は言った。
「あなた、人間じゃないですね」
私は笑った。
「どうしてそう思うんです?」
「図星だから、質問で返した」
冗談だと思った。
少し勘のいい人間なのだと。
しかし相手は、私の反応を観察するように続けた。
「呼吸が静かすぎる。肩が上下しない。視線移動が異常に速い。あと、足音がしない」
私は少しだけ黙った。
確かに私は飛ぶ。
常に重心が浮いている。癖で、歩行時にも体重が乗らない。
だが会ったばかりの相手に見抜かれるのは気味が悪かった。
「へえ。よく見てるんですね」
「瞬きも少ない。目がよく動く。話を引き出すのは上手いが、自分の話はあまりしない」
まるで解剖だった。
こちらの皮膚を一枚ずつ剥がしていくような、そんな観察。
「……なぜそう言い切れるんです?」
「事実だからですよ」
外来人は淡々としていた。
感情が薄いわけではない。
むしろ逆だ。
感情を使い切って、摩耗してしまったような声だった。
「今から三十秒後、あなたは首を吊ります」
「……随分、不謹慎ですね」
「事実だから仕方ない。残り十秒」
私は呆れていた。
未来予知ごっこに付き合う気はない。
だが、同時に警戒もしていた。
妖怪退治の類か。
催眠術か。
何かの能力か。
「三」
外来人が数える。
「二」
私は立ち上がり、周囲を見る。
「一」
その瞬間。
棚が倒れた。
私は咄嗟に飛び退く。
しかし小屋は狭い。避けた先はもう外だった。
木に激突する。
枝の上で体勢を立て直す。だが枝が撓み、身体が滑った。
次の瞬間。
首に、植物の蔓が巻き付いた。
「ッ……!」
一瞬、呼吸が止まる。
蔓自体は簡単に解けた。
死ぬようなものではない。
だが。
“首を吊る”という結果だけは、確かに成立していた。
◆
「それ、偶然じゃないんですか?」
椛が眉をひそめる。
「私も最初はそう思いました」
だが私は続けた。
「気味が悪くて、逆に取材したくなったんですよ」
新聞記者というのは厄介な生き物だ。
恐怖と好奇心が並んだ時、好奇心が勝つ。
「小屋に戻ったんです」
「そしたら?」
「……泣いてたんですよ」
椛が黙る。
私はあの光景を思い出していた。
外来人は机に突っ伏し、静かに泣いていた。
声を殺すような泣き方だった。
「は?」
思わず私はそう言った。
すると相手は涙を拭きもせず、
「まあ、そうなりますよね」
と答えた。
「訳を聞いたら、“未来が見える”らしいんです」
「未来視能力?」
「本人は、そう呼ぶ気もないみたいでしたけどね」
その外来人は、生まれた瞬間から自分の人生を知っていた。
いつ何を失うか。
誰に忘れられるか。
どこで死ぬか。
全て。
「だから抵抗をやめた、って」
椛が小さく息を呑む。
「私は数日後に衰弱して死ぬ。そう言ってました」
外来人は、その事実を天気予報みたいに語った。
絶望しきった人間は、逆に静かになる。
私はその時、初めて理解した。
あれは未来を“当ててる”んじゃない。
既に見た映像を、再生しているだけなんだと。
「で、最後に言われたんですよ」
私は指を三本立てた。
「三日後、小指を折る」
右手を見る。
包帯はもう外れている。
「実際、不注意で木にぶつかって折りました」
「……」
「六日後、好きな人物の名前を十二回連呼する」
「寝言で椛、椛、椛と十二回くらい言ってたらしいですね」
「やめてくださいよ!」
「事実ですから」
私は少し笑った。
だが、その笑みも長くは続かなかった。
「九日後、これを誰かに話す」
沈黙。
風鈴が鳴る。
私は湯呑みを持ち上げるが、中身はもう冷めていた。
「そして今日が、その九日目です」
椛は真顔になった。
「……最後は?」
私は答えなかった。
縁側の外を見る。
夕暮れが近い。
山の影が長く伸びている。
十二日後。
夢で私と対話する。
それが最後の予言だった。
「文さん」
椛の声が少し低くなる。
「その外来人、名前は?」
私は数秒考えた。
考えてから、気づく。
「……あれ」
出てこない。
顔は覚えている。
声も、小屋も、泣き方も覚えている。
だが名前だけが、綺麗に抜け落ちていた。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
その時だった。
不意に、首が少しだけ苦しくなった。
蔓の跡など残っていないはずなのに。
「……文さん?」
私は答えなかった。
代わりに、手帳を開く。
九日前のページ。
そこには確かに取材記録がある。
会話も、特徴も、予言も。
なのに。
肝心の名前の欄だけ、空白だった。
まるで最初から、書けなかったみたいに。