私の目の前に、二人の男女が血まみれになって倒れている。
そこは見知らぬリビング、見知らぬ中年の男と女が死んでいた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
私は自分の両手を見ている。私の身体は返り血で彩られていた。
そして手の平には、仁美のサソリを模したハート型の黒いあざがある。
(なにこれ)
(私、どうしてこんな血まみれになってるの?)
身体の言う事が聞かない。
まるで自分の身体ではないかのように、私の意志にまったく関係なく体が動いていた。
いや、そもそもこれは私の身体じゃない。
「パパ、ママ」
今のは誰の声なのだろうか。やけに近く聞こえるが。
「私も……」
そう言って、血まみれの包丁を手に取り、首にあてがわれる。
首元にひんやりとした包丁の冷たさが生々しく伝わってる。
(やだ、やめて!)
だけど私は声すら出せないでいた。
そして包丁が首を切り裂いた。
「――――ッ!」
汗をびっしょりかいて、私は目を覚ました。
目が覚めたとたん、酷い動悸と頭痛に襲われる。
だがそんなことよりも、私は首元をさする。
「切られてない、よね?」
頭痛はするものの、別に体のどこも怪我なんかしてないし、出血だってしていない。
だけどイヤに生々しい夢だった。
そもそも目の前に倒れていたのは誰だったのだろうか?
いや、それも気になるが、自分が見た夢の中で、手の平に仁美の顔に浮かんでいたのと同じ、サソリを模したハート型のあざ。
手の平、手の甲、どちらも見るが、当然そんなものは浮かんでいなかった。
「ただの夢? ううん、きっとただの夢だよね」
ブー……、ブブー……、ブブー……。ブー……。
断続的な耳元でスマホのバイブ音が鳴る。
私はスマホを見た。
うっかりしていたが、いつもの起床時間を少し過ぎていた。まだ別に遅刻を心配するほどの時間ではないが。
スマホが鳴っていたのは母親からのメッセージだった。
「お母さん?」
特に何も考えないでメッセージを見る。
「おはよう。ごめんね、お仕事の都合で私もお父さんもしばらく家に帰れそうにないの。お夕飯はデリバリーとか使っていいから。あと、学校にはちゃんと行ってね。お父さん、成績が良くないと家庭教師つけるかもだってさ」
父さんと母さんが仕事の都合で帰れなくなるのはたまにあることだった。
私はスタンプで返事だけして、さっさと学校に行く準備を整えた。
「おーす、一花ぁー」
教室に入るなり、京子が挨拶してくる。
「京子、おはよう」
「んー? 一花ぁ、昨日もだけど、なんか髪ボサついてない?」
「あ、うん。なんか最近生活リズムおかしくなっちゃって」
「あー、わかる。私も好きな配信者のライブ見てつい夜更かししちゃうし。あ、仁美おはよー」
仁美も教室に入ってきて、軽く手を振った。
「おはよ、京子ちゃん。一花ちゃんもおはよう♪」
「うん、おはよう」
本当にこうして過ごしていると、目の前にいる仁美がもう死んでいて、妖魔とかいう、悪霊になっているだなんてまったく思えない。
昨日も確かに不可思議なことは起きて私は錯乱したけれど……。
改めて考えると別に私を傷つけるようなものとも思えない。
例え死んでいたとしても、こうして仁美の望み通り、穏やかな日常を過ごせるなら、何でもいいじゃないか。
私はそう思っていた。
「そういや仁美、きのう睦月(むつき)と何かあったん?」
そんなことを京子が口にした。
「……別になにもないよ」
「アレおっかしいなぁ。なんか昨日の夕方に、睦月が仁美を見かけたって言ってたんだけど。なんか睦月が部活帰りに、家の近くの公園で仁美が赤ちゃんあやすオモチャのガラガラ振りながら睦月を見て笑ってたって言ってたよ。仁美と家の近くで出くわしたことなんかないからなんか不思議がってたけど」
「私は知らない」
「ね、ねえ。京子、いったいなんの話をしてるの?」
イヤな胸騒ぎを感じて、私はじゃっかん声を上ずらせて訪ねた。
「いや、あたしもよく分からないんだけど、いま話したまんまだよ。なんか昨日の夕方くらいにさ、睦月からグループチャットに連絡来てさ」
睦月とは、水瀬睦月(みなせ むつき)というクラスメイトだ。
クラスメイトの一人というだけで、親しいわけではないのだが、一花はクラス委員長でもあるので、多少の接点はあった。
ただ正直、あまりいい印象はない。
睦月は一年生の時、陰で仁美に嫌がらせをしていたからだ。
(まさか……)
背筋に寒気が走った。
仁美を見る。しかし彼女は特に変わった様子を見せていない。
私は世間話の続きとして話を継いだ。
「そうなんだ。あ、そういえば睦月さん見当たらないけど、京子、何か知ってる?」
京子と睦月とはそこそこ仲が良いのだろう。
というより、京子は明るい性格なのでクラス受けもよく、交友関係の幅が広いのだ。
だから私が知らないことも結構知っている。
「それがさぁー、なんか今日になって連絡つかないんだよね。まだ来てないみたいだし。あたしも昨日はちょっと忙しくてすぐにリプできなくてさ、あ、もしかしてそれで怒ってるのかなぁー。なーんで返事くれないんだろ、既読もつかないし」
「そ、そうなんだ」
ますます嫌な予感がする。
私は夢を思い出す。
“その子”の手の平には、サソリを模したハート型のあざがあった。
私はそれも聞こうとしたが、隣に仁美がいるこの状況でそれを聞くべきか躊躇った。
横にいる仁美は相変わらず、何も感じていないような顔のままで感情が読み取れない。
すると――、
「ねぇ、睦月は来た?」
声が聞こえた方を見ると、見知った女の子が二人いた。
(七緒さんと、遥さん)
綾瀬七緒(あやせ ななお)。もう一人は音無遥(おとなし はるか)。
二人は一年のころから水瀬睦月と仲が良いはずだが、三年に上がってからは別のクラスだった。
「ううん、今日はまだ見てないよ」
「そう、ありがと」
「ねぇ七緒ちゃん、やっぱり――」
「今は良いから、行こ」
そう言って、二人は教室を後にしようとする。
一瞬、七緒と私の目が合った。
彼女は私を見た後、隣にいる仁美の方を不審そうな眼差しで見つめた。
そしてチャイムが鳴り、ホームルームが始まった。
やはり、水瀬睦月がクラスに現れることはなかった。
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