テラーノベル
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#曲パロ
玲奈
15
なむたろー。
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85
235
この街の空気は、湿った石畳と、期限切れの夢の匂いがする。ネオンの光さえもここでは疲れ果て、泥水のような路地裏を中途半端に照らすだけだ。
その最果てにある地下劇場『パンドラ』。
そこが、僕の王国のすべてだった。
楽屋の鏡に映る男は、すでに僕ではない。
重い白粉(おしろい)が肌の呼吸を止め、紅い筆が唇に「女」という嘘を塗りつけていく。
最後に纏うのは、ジャスミンの香水。それは僕にとって、甘い芳香ではなく、自分という「男」を窒息させるための、透明な毒液だった。
「レン、出番だ」
古びた呼び鈴が鳴る。
僕は立ち上がり、絹のドレスの裾をさばく。
鏡の中の「彼女」が、冷ややかに微笑んだ。
僕は、ヨカナーンの首を請うサロメ。
見せかけの愛で男たちを狂わせ、その実、誰の手にも落ちない、虚構の怪物。
舞台に立てば、無数の視線が僕を貫く。
欲望、羨望、そして陶酔。
客席から上がる熱気と拍手は、僕の心を少しも潤さない。
それらはすべて、僕が被った「女」という完璧な仮面に対する、称賛に過ぎないからだ。
誰かが僕の本名を呼んだなら、この魔法は解けて、僕はただの、居場所のない、薄汚れた男に戻ってしまう。
だから僕は、演じ続ける。化粧(ペイント)というバリケードを築き、その奥深くで、孤独を飼いならしながら。
愛なんて、舞台の上の台詞(せりふ)だけで十分だ。
それで良かった。
あの日、客席の最前列で、シャッター音を響かせた、あの男が現れるまでは。
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「……最低な写真だ」
終演後、楽屋に現れたその男――キョウヤは、現像されたばかりの写真を、僕のドレッサーに放り出した。
紫煙の向こうで、彼は不機嫌そうに眉をひそめている。
かつて世界的な賞を総なめにしたという天才写真家。しかし今は、酒に溺れ、場場末の劇場を彷徨う、落ちぶれた亡霊だ。
僕は、まだ舞台化粧を落とせないまま、冷めた目で彼を見た。
「あら、先生。私のサロメが、お気に召さなくて?」
「お行儀のいい『人形劇』には興味がない」
彼は煙草を床に踏みつけ、僕の顎(あご)を乱暴に掴んだ。
「俺が撮りたいのは、あんたが纏ってる『サロメ』じゃない。その下に隠れてる、絶望してる男の顔だ」
心臓が、嫌な音を立てた。
この男は、僕が最も恐れている場所へ、土足で踏み込もうとしている。
「……お生憎様。レンという男は、もう死んだわ。ここにいるのは、舞台裏のサロメだけ」
顎を振り払い、僕は鏡に向かってクレンジングミルクを手にした。
鎧を脱ぐ瞬間を、彼に見せるわけにはいかない。
「逃げるのか?」
彼の声は、低く、そして残酷に響いた。
「化粧で自分を殺して、安全な場所に引きこもっている。あんたは、愛されるのが怖いだけだ。本当の自分を見せれば、誰も愛してくれないと思っているから」
「……黙って」
「今夜、あんたを撮る。化粧を落とす、その一瞬を」
彼はカメラを構えた。
レンズの黒い瞳が、僕を射抜く。
「嫌よ……! 撮らないで……!」
僕は叫び、ドレッサーの上の香水瓶を投げつけた。
砕け散るガラス。楽屋中に、甘ったるいジャスミンの香りが、暴力的にはじけ飛ぶ。
けれど、彼は動じなかった。
ジャスミンの雨の中で、彼はただ、シャッターを切り続けた。
フラッシュの光が、剥き出しになった僕の「拒絶」と「恐怖」を、容赦なく切り取っていく。
その瞬間、僕は気づいてしまった。
この男は、僕を賛美しに来たのではない。
僕を壊し、暴き、そして──その破片さえも愛そうとしているのだと。
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それから、僕たちの歪な関係が始まった。
夜が明ける前、彼は『パンドラ』の楽屋へやってくる。
僕は、彼の前だけで、ゆっくりと仮面を剥がしていく。
白粉を拭い、アイラインを消し、紅を落とす。
鏡の中の「彼女」が崩れ去り、青白い、生気の失せた「男」の顔が現れる。
彼は、その過程を、一枚も撮りこぼすまいと、憑かれたようにシャッターを切り続ける。
「……レン」
初めて彼に本名を呼ばれたとき、僕の身体は、快楽と恐怖で震えた。
それは、魔法が解ける合図ではなく、新しい、もっと深く、逃れられない呪いが始まった合図だった。
彼はカメラを置き、僕の素顔に触れた。
写真定着液と煙草の匂いがする、ゴツゴツとした手。
ジャスミンの鎧を透過して、彼の熱が、僕の肌に、魂に、直接触れてくる。
「どうして……。どうして、私なの……?」
僕の声は、レンとしての、擦り切れた男の声だった。
「あんたは、嘘の中にしか生きられない。俺は、嘘を暴くことでしか生きられない」
彼は、僕の灰色の唇に、自分の唇を重ねた。
「俺たちは、二人で一つだ。レン。……俺があんたの、本当の居場所になってやる」
その瞬間、僕の中で、何かが音を立てて崩れ去った。
孤独という名のバリケードが、彼の熱によって跡形もなく溶けていく。
正常と異常。真実と虚構。
その境界線が摩耗し、消えていく。
僕は、彼の襟元を掴み、しがみついた。
砕けたジャスミンの香りが、二人の間で、灰色の嘘と混ざり合い、溶けていく。
今夜、舞台裏のサロメは死に、ただの、愛を求める愚かな男が生まれる。
その予感に、僕はただ、目を閉じた。
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劇場の外では、また新しい朝が生まれようとしている。
結局のところ、彼にカメラを向けられた時点で、僕の負けは決まっていたのかもしれない。
執着は愛に似ているし、痛みは悦びに似ている。
鏡の前で、僕はもう、あの男の指先が触れた素顔を、愛さずにはいられないのだ。
たとえそれが、灰のように虚しい真実だとしても。
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コメント
1件
めっちゃ重くて美しい…!「化粧で自分を♡♡♡てる」って比喰らったわ。キョウヤの「絶望してる男の顔を撮りたい」って台詞、刺さりすぎて一瞬息止まった。ジャスミンの香りが「毒」とか「透明な鎧」って表現、エモすぎる。この歪な関係、めっちゃ気になる…続き待ってる🔥