テラーノベル
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日が沈んだ瞬間から、肌の産毛がざわめくような感覚があった。
屋根裏の隙間から見下ろす裏路地は、いつもより明らかに静まりすぎている。
裏社会に長くいた身として、この種の「静けさ」がどれほど異常なものか、私は誰よりも理解している。堅気の人間には、ただの静かな夜としか映らないだろう。だが、この街の底を這うようにして生きてきた者にとって、この沈黙は言葉よりも雄弁だった。
空を見上げると、月はすでにほとんど円を描き終えていた。数えた通りの日数、寸分の狂いもなく。
(……今夜だ。数えた通り、寸分の狂いもなく)
階下へ降りると、トウヤはいつも通り、何事もなかったかのように裁断作業を続けている。
(……この男、今夜だからと言って、特別緊張するわけでもないらしいな)
ランプの灯りの下、羊皮紙に描かれた型紙と睨めっこしながら、鋏を動かす手つきは普段と何一つ変わらない。今夜、この店に何十人もの刃が向けられることになろうとは、まるで想像もしていないかのようだった。
いや――違う。想像していないのではない。想像した上で、それでも普段通りに振る舞うことを選んでいるのだ。この男らしい、と言えばそれまでだが。
短剣の柄に指を這わせ、鞘の中での収まりを確かめる。冷たい金属の感触が、掌に馴染んでいく。
窓辺に立ち、月の位置を確かめながら、私は静かに来るべき時を待った。
○
そして、その時は、唐突にやって来た。
ガシャァァンッ!
表の窓ガラスが甲高い音を立てて砕け散り、黒装束の一団が雪崩れ込んでくる。
一人、二人と、瞬時に数を数えていく。
(――来たか。まずは正面から、十、十五、二十……)
多いが、想定の範囲内。
裏取りで掴んでいた見立て通り、そのあたりで収まるはずだった。
だが、雪崩れ込む人影は、そこで止まらなかった。
続けて、店の外、通りの奥からも次々と新手の気配がする。窓の外、月明かりに照らされた通りに、隙間なく並んでいく黒装束の影。
数える指先が、思わず止まる。
(――外にも、いるのか。数は、三十……いや、まだ増えている……?)
馬鹿な。裏取りでは、二十かそこらのはず。
数え終える前に、人垣の中から、見覚えのある顔が一人、進み出てくる。
左目を覆う黒い眼帯が目に入った。
あれは、かつてある仕事で私が刻んだ傷だ。傷の持ち主の名は、バルク。ギルドとは無縁のはずの、裏社会の流れ者だった。
「よぉ、シオンの嬢ちゃん。……久しぶりだなぁ、ええ?」
その背後にも、目を凝らせば、私に見覚えのある顔がちらほらと交じっている。
かつて始末した依頼の関係者。金を踏み倒して縄張りを追われた小物。私が過去に叩きのめし、あるいは屈辱を与えてきた者たちの顔が、月明かりの下に浮かび上がっていた。
「……お前、あのギルドの人間ではなかったはずだが」
「ああ、関係ねえよ。……ただ、てめぇが標的だって聞いてよ。この目の借り、ずっと返しそびれてたもんでね」
(――ッ、道理で数が合わないわけだ)
ギルドの暗殺者だけでなく、私に個人的な借りを返しに来た連中までもが、ここに集まっているのか。数が合わなかった理由に、ようやく合点がいく。
「……なるほど。ギルドの者だけじゃなく、私に恨みを持つ連中まで、復讐心を助長して掻き集めたということか」
同時に、これは少々まずいという計算が、頭の奥で静かに警鐘を鳴らし始めていた。
ただの依頼として来た者たちなら、まだ利害の理屈が通用する。だが私怨に燃える者たちは違う。理屈も損得も度外視し、ただ私を痛めつけることだけを目的に動く。そういう手合いは、時として、統率の取れた本職の暗殺者よりも厄介だった。
包囲を埋め尽くす黒装束たちが、じわりと間合いを詰めてくる。
バルクをはじめ、私怨に燃える者たちの目には、他の連中とは違う、粘つくような執着の色が浮かんでいた。
「どうした、いつもの威勢はどこ行った? ……見りゃ分かるだろう、嬢ちゃん一人に、この人数だ」
「多勢に無勢ってのは、こういうことを言うんだぜぇ?」
嘲るような笑いが、包囲の中からいくつも上がる。
「なあ、シオン。今からでも大人しく捕まるってんなら、命だけは勘弁してやってもいいんだが」
短剣を握る手に力を込めながら、私は減らず口だけは崩さなかった。
(――さて、どうする。トウヤを背に庇いながら、この人数を捌ききれるか)
カウンターの奥では、トウヤが顔も上げず、糸を繰る手を止めていない。この状況で、なお平然としているその姿だけが、今の私にとって、数少ない拠り所だった。
「……減らず口は、そこまでにしておけ」
(強がりだけは、崩すわけにいかないのだ)
「はっ、強がるじゃねえか。……いいだろう、まずは」
バルクが手を上げ、周囲に合図を送ろうとした、その瞬間だった。
どんっ
包囲の後方、通りの奥で、悲鳴と共に複数の人影が宙を舞った。
「な……何だ!? 後ろから――」
バルクが振り向く間もなく、赤い髪をなびかせた影が、隊列の背後を薙ぎ払いながら踏み込んでくる。数人が、剣の一閃で為す術もなく薙ぎ倒されていった。
「今夜、何かあると聞いてな……。念のために来て正解だった!」
続けて、夜空に紅蓮の光が弧を描き、隊列の外周を吹き飛ばした。
「べ、別にあなたたちと違くて、心配で来たわけじゃないんだから! ただ、たまたま近くを通りかかっただけよ!」
炎の余波に、黒装束たちの怒号と悲鳴が交錯する。
「な、なんだこいつら……! 後ろで何が起こってるんだ!」
(――この気配、まさか)
張り詰めていた気配が、一気に緩む。短剣を握り直し、口の端がわずかに上がるのを、私は自分でも意外に思いながら感じていた。
呼んでもいなければ、頼んでもいない。それなのに、この二人は、勝手にやってきた。
「そこの獣人の子、無事か!」
「見ての通り、無傷なのだ。……礼は言わないぞ」
「誰もお礼が欲しくて来たなんて言ってないでしょう!」
背後を制圧され浮き足立つ黒装束の一団を前に、三人が並び立つ。
「……大丈夫かバルク。この人数でも、まだ足りないようなのだ?」
短剣を構え直しながら、私は静かに笑みを深めた。
多勢に無勢だと嘲っていた連中の顔から、余裕の色が急速に消えていくのが、月明かりの下でもはっきりと見て取れた。
コメント
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うおおお第16話読んだよ!!!😭✨ まず冒頭の「静けさが異常」ってシオンのプロっぽい感覚、マジでかっこよすぎる…。で、襲撃来た瞬間の緊張感やば!しかも私怨持った連中まで集まってるって、シオンどんだけ因縁あるねんって感じだけど、そういう過去が見えるのもエモい…! んで最後に援軍来たシーン、ちょっと泣きそうになったわ。「呼んでないのに勝手に来た」ってのがもう熱すぎる🔥 短剣握り直して笑みを深めるシオン、最高にかっこよかったっす!!!次回も楽しみにしてる〜!!🌟