結婚式まで、私とアレシュ様は別々の部屋で過ごすことになった。
これも、帝国側からの要望らしい。
――二人きりになった時を狙った暗殺。初夜にアレシュ様が私に触れ、呪いを受けて死ぬ。
命じられた者たちは、そんな計画を聞いているはず。
二人きりなら、なにがあったかわからない。
そして、初夜なら朝まで誰もこないから、私を自害させる時間もある。
――完璧な計画。この計画を立てたのは、きっとお兄様ですね。
他国での生活が始まっても、私はずっと籠の鳥。
部屋に閉じ込められたままで、監視の目はさらに厳しいものになった。
そして、困ったことに、侍女たちは不満を口にし、失礼な態度ばかり繰り返している。
「この部屋の色が気に入らないわ。もっと重厚感のある色にして!」
「安っぽい花ね。花を捨ててちょうだい」
「部屋の色は緑色で安らげる色だと思いますよ。花は毎日、新しい花を飾ってくださっていますし、とても親切ですね」
ひとつひとつに、私が反論すると、侍女たちは冷ややかな目で私を見る。
その態度は悪く、私を皇女として扱っていない。
「皇宮の奥にしか、住んでいらっしゃらなかったから、最新の流行をご存知でないのですね」
「野花のような花に満足されるなんて、お可哀想に」
私を見下した態度は、ずっと続いている。
彼女たちは私の味方ではなく、皇帝陛下とお兄様の味方なのだ。
「ラドヴァン様は、第二王子のシュテファン様も可能であれば、始末するようおっしゃられていました」
「お兄様がそんな恐ろしいことを命じたのですか?」
第二王子のシュテファン様はまだ十歳だという。
出迎えてくれたシュテファン様は、とても可愛らしく、アレシュ様に似ていた。
「恐ろしい? 帝国のためですわ」
「計画の実行は本当に必要なのでしょうか? 帝国に対し、とても友好的な態度でいてくれてますよ。これは仲良くなるチャンス……」
侍女たちから冷たい空気を感じた。
――帝国に忠実な侍女を選んだだけあって、敵国を受け入れられないようですね。
でも、敵国と言っても、一方的に帝国が攻め、毎回負けているというだけで、向こうから侵攻してきたわけではないのだ。
歴史書を読んだ時、それに気づいた。
帝国が戦争に勝ったことのない国で、邪魔だから敵国と呼んでいるだけにすぎない。
邪魔な理由は、ドルトルージェ王国が壁になり、ここより南にレグヴラーナ帝国が侵攻できないからである。
「シルヴィエ様。仲良くなるために結婚したのではありませんわ」
「皇帝陛下の命令に逆らうのであれば、この毒を飲んでいただきます」
「毒……?」
侍女が手にしているのは、毒薬が入った小瓶だった。
「シルヴィエ様の自害用に皇帝陛下からいただきました」
「そういうことですか。私が自害しなかった時のことを考えて、あなたがたに私を殺す毒薬を持たせたのですね」
「ラドヴァン様はシルヴィエ様を帝国へ戻すおつもりですから、逆らった場合使えと仰せつかっております」
死にたくないのであれば、帝国に逆らうなということ――私の味方は一人としていないと知った。
侍女たちはいつでも食事に混ぜるなりして、私を殺せる。
お父様の狙いもそこになる。
私が毒で死んだとなれば、ドルトルージェ王国に攻め込む理由を作れる。
邪魔な私の使い道を見つけたと、喜ぶお父様の顔が思い浮かんだ。
――この結婚。帝国側にとって不利益なものではない……。だから、お父様は私の結婚を受けたのですね。
逆にドルトルージェ王国は、国を蝕もうとしている毒を受け入れたことになる。
帝国側の策略にじわじわと追い詰められているとは、誰もまだ知らない。
――早くアレシュ様にお伝えしなくては!
せめて、窓から出られるのであれば――視線を走らせた。
庭へ通じる窓、部屋の前に護衛と称した監視の兵士がいて、私のそばには侍女がいる。
手袋をはめた手、室内であってもヴェールに覆われた顔。
幽閉生活の時より、自由はなくなっていた。
「窓を開けましょうか」
「暑いわね」
侍女たちは羊毛で作られた生地のドレスを着ている。
長袖で、腕を隠し、首までぴっちりしているものだ。
「ドルトルージェ王国は南方にあるから、帝国のドレスでは合わないのですよ。こちらの布を使って、仕立てたらどうでしょう?」
「シルヴィエ様。帝国を離れても、帝国を忘れてはなりません!」
「そうです。ドレスは帝国のものが一番です!」
動かない私はいいけれど、侍女たちは忙しなく動いている。
ここにドルトルージェ王国の人間を入れないとなると、なんでも自分たちでやらなくてはいけなくなるからだ。
窓が開き、涼しい風が入ってきた。
――これはチャンス! もしかしたら、外へ出られるかもしれません!
さりげなく、窓のそばへ行く。
「シルヴィエ様?」
「どうかなさいましたか?」
兵士たちは近づいた私に気づく。
返事をせず、私は窓の外へ出ようとした――その時。
「窓を閉めろ!」
兵士の怒鳴り声が室内に響く。
――私が逃げようとしたことが、わかってしまった!?
そう思ったけど、違っていた。
窓から部屋へ飛び込んだ鳥。
それは矢のように、閉まりかけた窓の隙間をすり抜け、目の前に突風を起こす。
一瞬にして、その場を混乱させた。
「きゃあああ! 鳥よっ!」
「鳥が暴れまわっているわよ!」
「だ、だから、嫌なのよっ! こんな田舎っ!」
侍女たちは鳥の名を知らないのか、私は冷静に教えて差し上げた。
「鷹ですよ」
残念なことに、混乱して誰も聞いてなかった。
鷹は私の目の前を通りすぎ、侍女と兵士に鋭い爪を向け、押さえつける。
悲鳴をあげて、逃げ惑う人たちを嘲笑うかのように、人と人の隙間を軽やかにすり抜けた。
「く、くそ! この鳥めっ!」
兵士たちも鳥の名を知らないようで、繰り返し言った。
「鷹という種類の鳥ですよ」
でも、追い払うのに必死で返事はない。
この中で、唯一冷静なのは私だけのようだった。
兵士たちは、さすがに抜き身の剣を振り回すわけにいかないと思ったのか、剣の鞘を使って、鷹を部屋の外へ追いやろうと四苦八苦していた。
「くっ……! 帝国に帰りたい。部屋に入り込んだ鳥を追い払うなど、農夫のやることだ!」
侍女たちは頭を抱えて座り込み、悲鳴をあげていた。
そんな大混乱の最中、悠然とした態度で現れた人がいた。
「騒がしいな」
こちらの騒ぎを聞きつけたのか、部屋へ入ってきたのは、アレシュ様だった。
突然現れたアレシュ様に驚き、兵士たちは身構える。
アレシュ様が口笛を吹くと、鷹は兵士の背後を取り、鋭い爪を立てた。
「ぎゃっー! 鷹がぁっ!」
「俺たちはお前の獲物じゃないぞ!」
襲ってくる鷹に、兵士たちはどうしていいかわからず、背中をとられないよう走り続けるしかなかった。
その様子を眺め、アレシュ様は笑い、私へ近づく。
「やっと会えた」
アレシュ様は紳士的に、私の手を取る。
その手になぜか、懐かしさのようなものを覚えた。
初めて会ったはずのアレシュ王子。
金髪に緑の瞳、明るい太陽のような空気を持つ男性で、服装は緑のフロックコートにクリーム色のシャツ、銀糸で細部羽まで刺繍された衣装は見事で、帝国では目にすることがないものだった。
美しい姿に、文句ばかりだった侍女たちも沈黙した。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。出迎えていただいたと聞き、お礼を申し上げなければと思っていたところです」
ヴェール越しで表情が見えにくいけれど、アレシュ様が笑ったのがわかった。
「どうしているかと思っていたが、元気そうで安心した。シルヴィエ皇女。あなたをお茶会へ招待しても構いませんか?」
かしこまった様子で、アレシュ様は私をお茶会へ誘ってくださった。
「まあ! お茶会! 私、お茶会に招待されるのは初めてです!」
思わず口から飛び出した私の言葉に、侍女たちは慌てて言い訳をする。
「シルヴィエ様はお体が弱かったので、お茶会に出席されたことがありません」
「お茶会など、シルヴィエ様には無理です。倒れてしまいます!」
「そうか? すごく元気そうだが?」
つやつや、ぴちぴち、十八歳。
毎日、農作業や保存食づくり、料理に勤しんできたから、体力は有り余っている。
「せっかくのお誘いです。お茶会へ出席させていただきます」
「では、エスコートをしましょう」
アレシュ様は私の手を引き、部屋の外へ連れ出した。
「お待ちください! シルヴィエ様っ!」
「なりません! お戻りを……!」
窓の外に広がっていたのは、眩しい青空と美しい庭園。
ヴェールが風になびき、心地よい空気を感じた。
「くそ! 鳥のくせに!」
「たかが一羽!」
兵士たちは鷹が足止めし、誰も私を追えない。
大混乱をしり目に、アレシュ様は笑い、広い庭園の中へ私たちは身を隠す。
ついさっきまで、逃げ出せないと、思い悩んでいたのに、気が付けば、庭園の中にいた。
つる薔薇のアーチ、石の階段の両側に黄色と白の薔薇、赤い薔薇は噴水の周りに咲き、ピンクの薔薇はお茶の用意がされた広場を囲む。
うっとりするような甘い香りで満たされている。
お茶の用意がされた広場には、ドルトルージェ国王陛下、王妃様と第二王子のシュテファン様が待っていた。
「わぁ! 兄上がシルヴィエ様を連れ出してきた!」
シュテファン様は無邪気に微笑み、手を叩いて喜んだ。
「やるな。アレシュ。うまく連れ出せたのか」
「もちろん。これくらいなんでもないことですよ」
「さすが、兄上っ!」
金髪に緑の瞳をし、よく似た三人は国王陛下、アレシュ様、シュテファン様。
その三人を呆れた顔で眺めているのは、燃えるような赤い髪をした王妃様。
そばに赤い猫を連れ、優雅にその猫の頭をなでていた。
「止められなくて、ごめんなさいね。どうしても、みんなでお茶を飲みたいと言い出して。私が止めても誰も言うことをきかないのよ」
「いいえ。お誘いいただけて、とても嬉しいです。でも、お茶会に参加するのは初めてで……」
「かしこまらなくていいの。お茶を美味しくいただくだけよ」
王妃様は優しく言ってくれた。
「さ、座って。今の時期のケーキは果物がたっぷり使われていて、とっても美味しいの」
とろんとした赤いチェリーのシロップ漬けをのせたカップケーキ、黄いアプリコットをのせたタルト、ジャムビスケット。
王宮の侍女たちがやってきて、私のカップに熱いお茶を注いでくれる。
「ありがとう」
お茶を注いでくれた侍女にお礼を言うと、侍女は顔を赤らめ、戸惑った様子を見せた。
「あ、あのっ……! こちらは、紅茶に入れるお砂糖です」
ハート型の砂糖が入ったシュガーポットを私のそばに置いてくれる。
「まあ! 町並みだけじゃなくて、砂糖まで可愛いなんて!」
ひとつひとつが驚きの連続だった。
私の驚く姿を馬鹿にせず、微笑ましく眺めている視線に気づき、我に返った。
「あ……。申し訳ありません。はしゃいでしまいました」
「いや、気に入っていだけて嬉しく思う」
国王陛下が笑う。その顔は、アレシュ様に似ていた。
そして、その隣に座るシュテファン様もそっくりで―ーって、犬がいますね?
茶色の大きな犬が、皇帝陛下の足元に控えている。
とても忠実な犬のようだったけど、気のせいでなければ、犬の視線を感じる。
こちらを探るような黒い目。
――なんだか、お前は誰だと尋ねられているような気がします。
そういえば、さっきの鷹にしても、人の言葉を理解して飛んでいるように思えた。
そんなわけないのに、どうして?
「シルヴィエ様、アプリコットのタルトはお好きですか?」
「は、はい!」
シュテファン様がアプリコットのタルトを勧めてくれた。
私の皿に大きく切り分けられたケーキがのせられ、和やかな空気になった。
みんなで会話を楽しもうとした瞬間、ヒステリックな声が雰囲気を台無しにした。
「シルヴィエ皇女! なにをなさっているんですか!」
それは、わかりやすい叱責の声。
手にしたフォークが地面に落ち、私の幸せな夢は終わりを告げた。
神に呪われたお前が、幸せになる権利はない――そう言われたような気がした。
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