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母屋の自室で、長女の麗華はスマートフォンの画面に目を落としていた。
地元の高校の陸上部に所属する彼女の身体はアスリートらしく引き締まっているが、その心には、誰にも触れさせない深い抉れ傷がある。
(どうして、あんな酷いことを言っちゃったんだろう……)
母が亡くなったあの日の朝。些細な、本当に取るに足らない口喧嘩をしてしまった。それが、最愛の母との最後の会話になった。「ごめんなさい」も言えないまま、母の身体は冷たくなっていった。
その罪悪感は、当時中学生だった麗華の心を容赦なく引き裂いた。沸き立つような自己嫌悪と息苦しさから逃れるため、彼女は衝動的にカミソリを握り、自分の肌を傷つけた。刃が皮膚を走る瞬間の、鋭い痛みと、その後に訪れる妙な静寂。
そうして自傷行為を繰り返すことでしか、当時の麗華は精神のバランスを保てなかったのだ。
「お姉ちゃん、大丈夫……?」
当時、2歳離れた妹の麗奈が、不安そうに部屋の障子を開けて覗き込んできた時のことを、麗華は今でも鮮明に覚えている。泣き出しそうな妹の目を見て、麗華はハッと我に返った。
(私がしっかりしなきゃ。お父さんも、麗奈も、私が支えるんだ)
親子三人、互いの傷口を舐め合うようにして、ただ寄り添って悲しみを逃してきた。
母の壮絶な看病を目の当たりにした経験から、麗華の心には「看護師になる」という明確な灯火が宿っていた。
毎朝、父の運転する軽トラックの助手席に乗り、村の入り口まで送ってもらう。それが彼女の日常の始まりだ。車内には出汁の匂いが微かに漂い、父は無言でハンドルを握る。村の入り口で車を降り、そこから高校へと向かう。
高校でも、麗華は陸上部に全てを捧げていた。
走っている間だけは、過去の悔恨も、自傷の衝動も、すべて風の彼方に置き去りにできる気がしたからだ。
「絶対に、県大会に行くんだ……!」
放課後のグラウンド、夕焼けに染まるトラックを走り込みながら、麗華は荒い息の隙間でそう自分に発破をかける。最近、同じクラスの男子と付き合い始めた。彼と過ごす時間は、麗華にとって人生で初めて訪れた、歪みのない「真っ当な青春の光」だった。