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「ひなーー私とわたし」


あの夢を見てから。終わりを見てから。俺の中から何か消えてしまったような喪失感を覚えるようになった。心が囚われた。


楽なこと、楽しいことばっかり選んで、苦しいこと、辛いことなんて頭から消してきたような俺でも。この思いだけは、消したくないと思った……。




「ここか……」


俺が教室で悪夢を見て、目覚めてから数日後。俺は中野ちゃんにLINEで呼び出された。

病院の場所を知らされ、面会謝絶の中、特別に許可を得て彼女と会えることになった。


中野ちゃんから告げられた病室の番号をチェックする。その前で俺は一度立ち止まり、深く息を吸った。


――血だまりと、ちぎれた身体。涙。暗い世界。


脳裏によぎる映像を頭を左右に振ってごまかすと、ゆっくりと病室の中に入る。


病室のベッドに背をもたれさせた彼女は、そろそろとドアを開けた俺にゆるく微笑むと、横に置かれた椅子に誘導した。どこか雰囲気が変わった彼女に、俺は少しうろたえる。


「こんにちは、植村くん。来てくださってありがとう」


「……起きて大丈夫なのか? 体調は?」


「ええ、大丈夫です」


いつもと違って、彼女は長い髪を下ろしていて。大丈夫だと頷き、サラリと落ちた髪を邪魔そうに耳にかけた。


カーテンが風に揺れて、日の光が病室に差し込む。眩い日差しに中野ちゃんが目を細めた。

この頃は暗い天気が多かったから、太陽がここまで照っているのも久しぶりだと思いながら、風が吹く窓を閉める。


「ありがとうございます」


「あとこれ、お見舞いの果物。ここに置いとくな」


見舞いの品を、病室の小さな棚の上に置いてやる。

中野ちゃんはこんなものまで……、と恐縮そうに礼を言ったが、そんなに縮こまらなくていいのにと俺は思った。まあそれが彼女らしさでもあったのだった。


「……中野ちゃんが生きてて本当に良かったよ」


「……はい」


そんな会話をする中で、彼女が当たり前のように目の前に生きていることに俺は安堵した。一時は重体と報道され、死の境をさまよっているような状況だったのだ。LINEや友人の話で彼女の無事がわかっていたとしても、しっかりと自分の目で確認するまでは安心することなどできなかった。



「……そういえば中野ちゃんは、どうして俺を呼び出したんだ?」


俺はあの悪夢についての話だろうと半ば確信してはいたが、彼女の様子に、それだけではないのかという疑問を覚えていた。

あんな経験をして、こんな状況に置かれていて。それでここまで平常心を保っていられるような子じゃ、中野ちゃんはなかったはずだったから。


「……植村くんは夢を見ましたか? 酷い悪夢。ひなの、私の、夢」


俺は頷いて肯定した。中野ちゃんもまた俺の顔を見て、ゆっくりと頷く。


「そう、ですか。やはりあれは、ただの夢ではなかったのですね」


窓辺に視線を移して、動揺したように彼女は返答する。

……「ただの夢」だと思えたらよかったが。俺がそれを共有する人間として存在してしまっているのだから、彼女が動揺するのも分かる。


「……」


――私はどうして、あんな悪夢を見ていたんでしょう。消えたいと思っていたからなのでしょうか。


中野ちゃんはそう切り出した。カーテンから透ける眩しい光を眺めながら。


彼女の両親――父親は中野ちゃんと同じく母親に刺され負傷、別の病院にて療養中。母親に関しては殺人未遂容疑で逮捕され、拘置所に身柄が勾留されている。今は裁判が始まるのを待っている状況だという。


世間では、彼女の父親は母親に対してDVを日常的に行っており、それに逆らう形で母親が父親を刺し、それに中野ちゃんが巻き込まれたという話が流れている。狭い田舎だ、娯楽も少ない。こんな事件があれば情報は一瞬で回っていく。俺は、このことを友人の話で聞いた。

真実がどうだったのか定かではないが、あの悪夢を思い出す限りには、同じような状況に置かれてきたんだろうと思う。


「……」



「あの世界は、まさに私そのものでした。私の中にはきっと、家と学校とお母さんしかいなかった。空っぽだったんです。それもほとんどが私にとっては悪夢で、だから、あんな世界が……。いえ、これは植村くんに聞かせるようなことじゃないですね……」


中野ちゃんは、頭を振って話を切り替える。


困ったように笑って、そもそも俺をここに呼んだのは、あの悪夢についての確認とそのお礼を言いたかったから、と言い、ありがとうございましたと続けて発言した。


俺は礼を言われるようなことなんてしていないと、返した。本当に何もできてなどいなかったのだから。礼を言われる価値などない。



話はそこから、どうして俺があの悪夢を見ることができたのかに移った。中野ちゃんは自分の深層心理が、この世界から俺が助けてくれると期待していたのではないかと、ポツポツと語った。本当に申し訳なさそうに。

アレが確かに私の夢なら、私の中にあるもので構成されるはずだから、と。


最後は尻すぼみに、

「植村くんに勉強を教えたり、一緒にお喋りをしたりすることだけが、あの頃の生き甲斐になっていて。だから、植村くんをあそこに呼んでしまったのかもしれません。違うのかな、どうだろう。……よく分からないですけど」

こう言って締めた。


話しながらどんどん彼女の言葉は不明瞭で、あやふやに変わっていったが、夢というはっきりしないことを話しているのだから、そうなるのも仕方ない。


ーーしかし、俺は夢について気になることがあった。


「……ひなのこと、覚えてる?」


そう、「ひな」のことだ。

『私のことを忘れないで』と言い残して、消えてしまったひな。彼女の感情を共有した俺には、彼女のことが気になって仕方なかった。


「……覚え、て、ます。私、の始まり」


中野ちゃんは、ベッドの隅に置かれている人形の頭をなでながら、ぼんやりとつぶやいた。


ーーん?


あの人形、ベッドに隠れてよく見えないけど……男の子の人形か? 黒い服を着ている。


「ああでも、本当不思議ですよね。現実に戻ってきても、いろいろ変なんです」


中野ちゃんは人形を撫でながらこちらを見上げて、不意に言った。

俺は人形の方に取られていた意識を、無理やりそちらに晒される。


「私、こうしてここに生きてますけど。確かに母に殺されたんですよ。母がバリの人形で――あぁ、あの人形は母が魔除けとして買ってきたものでしたっけ――それで、ガンガンガンって。そして確かに死んだのです。でもこうして起きたら、私は母に刺されていたことになっていて。こうして生きている」


中野ちゃんが腕をあげ、服をめくる。そこにあるのは細い真っ白な腕だった。


「それに私、ここに痣があったんです。殴られて、痛かった……。お母さんに殴られて」


彼女はその腕をするっと撫でた。俺はそのしぐさにびくっと反応する。


「……………」


「苦しくて苦しくて。私ここから逃げ出したくてたまらなかった……。

今も何故か警察の人から、何度も同じこと質問されて。お母さんは違うことを言っているって言われて。何が何でどうすれば良いのかわからない。分からないんです……」


頭を抱える中野ちゃん。記憶が混乱しているのだろう。身体を前かがみにして、全身が震えている。

ナースコールするべきか? 俺がどうするべきか躊躇っていると、中野ちゃんは突然俺の身体に縋りついた。ギュッと細い腕を俺の腕に絡める。


ーー俺はギョッとした。そんなことを中野ちゃんにされたことはなかったから。


「中野ちゃん、落ち着け」


「おかしいんです……。|わ《・》|た《・》|し《・》はお母さんと一緒に逝けたはずなのに。いなくなることができたはずなのに。悪夢は終わったのに」


お母さんといけた? ……|逝《・》|け《・》|た《・》?


俺は中野ちゃんの異変に気づいた。中野ちゃんが|混《・》|ざ《・》|っ《・》|て《・》|る《・》。


「ねぇ、わたしって誰ですか。わたし。……私は誰なの?」


伏せた目で彼女はつぶやいた。口調が急に変化して、夢の中で見た「ひな」のようだ。


「あぁ、あぁ、なんで」


そのまま中野ちゃんは続ける。様子がおかしい。


病室が急に暗くなってくる。光が雲に閉ざされて、闇が紛れ込んでくる。

夢ではないのに、夢の中ではないのに。


彼女は急にバッと頭を上げると。その瞳はがらんどう。


『ねえ』


――どうして私を助けたりしたの。きっとあのまま死ねたのに。この世界の方が、私にとっては悪夢なのに。誰も誰も助けてくれやしないのに。


中野ちゃんの顔が陰に隠れて、溶けていくみたいに見えた。

まるであの夢のようだ。


ーー「わたし」になる。囚われて、戻って来れなくなる。


闇に続いて、急激に体が寒くなってきた。ブルブルと寒気のままに震え。


俺は椅子から立ち上がり、壁際に後退りする。中野ちゃん――ひななのか?――は俺に近づいてきた。深淵を覗かされる。


「ひな」


彼女は両手を広げ、俺を抱きしめた。苦しくなる程に深く。この子は、俺だけを求めてるのだと分かった。


『翔太くん、この世界はツラくて、クルシイ』


|翔《・》|太《・》|く《・》|ん《・》と俺を呼ぶ。

しかし、そんな呼び方を中野ちゃんにされたことはないと震える体で思った。やはり、ひなか?


でも、ひなは確かにあの時、消えてしまったはずだった。

あの無念と無力さ。覚えている。夢から目覚めて、あまりの苦しさに俺は早退し、そのまま寝込んだのだ。

だから、彼女は決してひなではない。そう、|ひ《・》|な《・》ではない。少し、それを残念に思った自分がいたのに気づいて。


「中野ちゃん! 中野ちゃんは中野ちゃんだよ! 陽奈! 中野陽奈!!」


俺は必死に中野ちゃんに呼びかけた。ーーそう。俺は中野ちゃんを取り戻したい。取り戻したいんだ、と自分に言い聞かせるように。


中野ちゃんは空洞のような瞳で、俺を見つめる。


『私を助けてあげて』


ひなが最後に残した言葉が頭の中によぎった。助けてあげて。


俺ができることなんて何もないと思っていた。でもきっと、俺にできるのはーーひなから課されたのは、中野ちゃんをこっちの世界に引き止めることなんだろう。

あの世界のことを知っている俺だからこそ。その繋がりを唯一持っている俺だからこそ、そう言い残して消えたのだと思った。


私にとらわれ続ける悪夢から、中野ちゃんを救うこと。それが彼女の最後の願い。


……中野ちゃんが、この世界のことを辛くて苦しいと思うのなら。


「大丈夫だから。俺がいる。俺が助けてやる」


何ができるかなんて知るか。中野ちゃんの執着を、この世界に引き留めておかなければいけないことだけはわかった。願いが死の先にあるのなら、俺は引き止められない。


でも現実に執着があるなら、きっと大丈夫なはずだ。

そう思って、俺は彼女と約束をする。


「……ヤクソク」


「そう、約束だ」


彼女の小指を俺の小指に絡め、ゆびきりをする。

不思議そうに彼女は小指を見つめている。


「俺が信じられないならーーーーーーーー」


俺は小さく口を動かして、彼女に告げた。


ーーぜったい、まもってね。そう告げて、ひなのような誰かはいなくなった。



「……う、えむらくん」


気を取り戻した中野ちゃんは混乱したように俺を見ると、自分が俺を抱きしめていることに気づいたのか、きゃあっと叫んで俺を突き飛ばした。


――陽奈と俺が呼ぶときと同じ行動。彼女は確かに「中野ちゃん」だ。


「……中野ちゃん」


俺は身体をドアにもたれさせて、ズリズリと下がった。

頭に手を当てて、息を大きく吐き、中野ちゃんが元に戻ってきたことに心から安堵した。そして、ほんの少しだけ喪失感を覚えた。……。


中野ちゃんは気を失ってしまったのか、くてんと床に崩れ落ちている。


倒れて動けなくなった中野ちゃんをベッドに寄せてやると、なぜか今さっき触っていたはずの人形がなかった。確かに中野ちゃんは、その人形の頭をなでていたはずなのに。


変だなぁと思いながらも、そこらへんに落ちたんだろうと俺は目線を中野ちゃんに戻した。


「……ひな」


小さく名を呼び、長い髪の毛を撫でる。サラサラと触り心地が良い。

そのまま唇の上に手を翳して、睫毛を伏せて眠っている彼女が、呼吸していることを確認し。

俺はナースコールで看護師さんを呼んで、中野ちゃんを頼んで帰った。




病院からの帰り道、眩しい太陽の光を浴びて、ひなと中野ちゃんのこと、今さっき起きた出来事を思っていた。……でも、考えてもよく分からなかった。

足元の影を小さく睨みつけながら歩く。


中野ちゃんはこれから、もっと厳しい道のりになっていくだろう。


でも。


『ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。指切った』


約束をした指を、指で擦る。


ーー俺がこの約束を破った時には、そっちの世界に連れて行けば良い。

きっともう一人にはさせないから。


そう誓った。俺は絶対に彼女を助ける。|そ《・》|う《・》|し《・》|な《・》|け《・》|れ《・》|ば《・》|な《・》|ら《・》|な《・》|い《・》。


  俺の心を支配するように、ひなの気持ちがそう俺に伝えていた。……ひな。


ーーいや、とにかく。


「中野ちゃんが帰ってきてもいいように、頑張るか。……でも、どうするかな」


単純なことしか考えられない俺は、また友人に頼ろうと思いながら、日常に戻った。




「私」はーー陽奈は、満天の星を見ていた。病室の窓から。


静寂が彼女を包む。人の動き、風の音すらしない。


「……翔太くん」


空を眺めながら、いつも呼んでいるーーけれど、彼の目の前では呼んだことのないーー彼の名を呟いた。


彼女が後ろを振り向く。


ーー次の瞬間、世界は跡形もなく消えてただの暗闇ーーいや、夜へと変わる。


星のように満ちる光たち。それと移り変わるように、眩しい日光の光が近づいてきていた。


陽奈は、それらの上にのしかかって椅子のようにふわりと座る。

星屑の下を陽奈は覗き込んだ。


奈落の底に見えるのは、たくさんのわたし。私が捨てたもの。


不思議そうな顔をして、こちらを見るわたしたち。


ーー陽がそこまで来ている。


陽奈は悲しそうにそれらを見ると、ゆっくりと手を下ろして、暗闇の中に閉じ込めた。


「忘れない。ずっと」


そのまま背を向けて、太陽の方へと歩いていく。



陽奈の腕の中には、学生服を着た人形が握られていた。


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