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今日で刑事を辞める、その思いを胸に抱きつつも普段とまったく変わらない態度で出勤したリオンを待っていたのは、愉快な仲間達の愉快ならざる仕打ちだった。
ロッカールームに入ると己のロッカーが何故か太いチェーンを巻かれて開けられなくなっていて、荷物を取り出すために備品のチェーンカッターを借りて来なければならなかった。
そのチェーンカッターを借りに行くが、担当者が対応しているにも関わらず担当者が不在だ、責任者であるヒンケルに許可をもらってこいとお役所仕事さながらに書類を突きつけられ、思わず中指を立てそうになるのをグッと堪えてその書類を手に刑事部屋に入ると、ヒンケルの部屋に突撃するものの部屋の主は不在だった。
「ボスはどこに行った?」
部屋から出たリオンが同僚に尋ねると警部のお守りはお前の役目だから知らないとにべもなく言い放たれて絶句し、クランプス、どこに行きやがったとドアノブを掴んだまま叫んでしまう。
今までこんなことは無かったのにと部屋を見回してぶつぶつと不満を口にするリオンだが、刑事部屋のドアが開いていてその隙間から誰かが見えた気がし、大股にドアの前に向かうと廊下を奥へと向かうヒンケルの背中が見え、クランプス発見、逃げるなと一声吼えて追いかけ出す。
「ボス、この書類にサイン下さい!」
「今日は仕事は休みだ!」
「は!? 何寝惚けたこと言ってんだ!?」
逃げるヒンケルを追いかけるリオンという図はその逆を思えば珍しい物で、周りが何事だと廊下に顔を出すが、寝言は寝てから言え、それとも寝惚けているのを通り越して若年性の健忘症になったかと叫ぶリオンにヒンケルが言いたい放題言うなと怒鳴り返す様子からいつもの事かと笑い合う。
「ボース!!」
やっと捕まえた、クランプスのくせに逃げ足が速いのはどういうことだと肩で息をしつつヒンケルを追い詰めたリオンは、咳払いをされてすぐそばにあるドアを示されたことに気付いて首を傾げる。
「そこに今回の事件に関する証拠品を揃えてある。ドクのものがほとんどだ」
「ダンケ、ボス」
ヒンケルが何故逃げ回ったのかは分からないがドアを開けて会議室の中に入れと促したために素直に従うと後ろ手でドアを閉めたヒンケルもやってくるが、室内のテーブルに見慣れた品々が透明の袋に入れられて並べられているその奥に誰かがいることに気付く。
「あれ、ブライデマン警部?」
そのテーブルの向こうで気難しい顔で腕を組んで座っている男が今回の一件で自分たちの中で評価をがらりと変えたBKAの刑事だと気付くと、目元を和ませて手を差し出しながら近寄る。
「ああ、久しぶりだな」
「もう向こうに戻ったと思ってましたけど、今日はどうしたんですか?」
今回の事件ではフィレンツェやローマも捜査の対象になっているために忙しく、事件後間もなくこの街を離れたと聞かされていたが今日はどうしたと問いかけると、差しだした手を握り返しながら刑事を辞めると聞いたと答えられて微苦笑する。
「その、ドクのお見舞いにも行けなくてすまない」
「ああ、気にしないで下さい。もう落ち着きましたけど入院直後はちょっと精神的に不安定だったので、家族にも面会を遠慮してくれと言ってたんですよ」
だから本当に気にしないでくれ、その気持ちだけありがたく受け取っておくと頷くとドアが開いてコニーが入って来る。
「おー、リオン、ロッカーは開けられたのか?」
「あ、そうだ! ボス、この書類にサイン下さいっ!!」
「……その書類にサインをすれば良いのか? 本当に良いんだな?」
ヒンケルが念を押すようにリオンを見つめブライデマンの口の端が笑いを堪える時のように持ち上がり、コニーが咳払いをしてそっぽを向いたため、リオンが己の手の中でぐしゃぐしゃになった書類の内容をこの時初めて確認するが、そこに書かれてあったのは後日行われる送別会の飲食代は主役のリオンから八割、残りを参加者で出すとの文面で、なんだこれとリオンが吼える。
「何で送別会の主役の俺が金を出さなきゃならないんだよー!」
「お前が刑事を辞めるからだ」
「んがっ!!」
リオンの怒声にヒンケルが冷静に怒鳴り返しコニーが宥めるように肩を叩くとブライデマンが咳払いをし、その送別会に私は参加出来ないがきみの最後の大仕事を一緒に取り組めて良かったと頷きつつ再度リオンの手を握る。
「……ドクによろしく伝えておいて欲しい」
「あー、ああ、うん。ダンケ」
ブライデマンには礼を言いコニーとヒンケルをじろりと睨んだリオンは、ロッカーが開かなくて困っている、荷物を取り出せないと一転して情けない顔で二人を見ると、コニーがあれは飾りで本当はチェーンなど掛かっていないと答え、目を剥いたリオンが会議室を飛び出して行く。
「大丈夫か?」
「大丈夫ですよ、警部」
その間にこれを用意しておきましょうと片目を閉じたコニーが会議室を悠然と出て行って程なくして戻って来るが、その手には先日リオンがヒンケルに突きつけた小箱があり、コニーの後からダニエラやヴェルナー、マクシミリアンが大きな花束やラッピングされた袋を抱えて入って来る。
リオンの最後の出勤日だからとコニーが同僚達に提案をし、制服警官や親交のあった者達からも自分も参加するとの同意を得た結果、ロッカーがチェーンで封鎖され、ヒンケルから書類にサインをもらってこいとの先程の騒動が勃発したのだが、それら総てはリオンというある種得がたい刑事の退職に対する仲間内の惜別の表れだった。
子どものように騒々しく上司を上司とも思っていない言動が当たり前だったが、事件を追いかけている時はそんな顔を微塵も感じさせない精悍なもので、直感も鋭かった為に幾度もそれによって事件を解決へと導いたこともあった。
そんなリオンが刑事を辞めるという報告は衝撃を持って署内を駆け巡ったが、己の大切な人の傍にいたい、支えたいという理由だとも知らされるとリオンを快く思っていなかった人達でさえも少しは意見を変えたようで、マクシミリアンが退職の餞別にと寄付を集めに回った時、硬貨や紙幣、リオンとの思い出の品々を差し出すものもいた。
紙幣や硬貨以外の品々は纏めて箱に入れてロッカーに入れておいたのだが、軽やかな足音が聞こえてドアが開きリオンが段ボール箱を抱えて入って来る。
「やっと開いた-」
「良かったな」
「この箱がロッカーに入ってたんだけど何だ?」
テーブルに箱を置いて小首を傾げるリオンにコニーが開けろと促し、その言葉を訝りつつも箱を開けたリオンの目が見開かれたのに部屋にいた者達の目が逆に細められる。
「何だこれ、餞別……?」
「……そうよ、リオン。今までお疲れ様」
リオンの声にダニエラが感情に震える声でお疲れ様と呼びかけ、背中に隠していた花束を差し出すとリオンの蒼い目が限界まで見開かれる。
「……ダニエラ?」
「これは、有志女性からよ」
「……そっか。ダンケ、みんな」
花束を受け取って子どものような笑みを浮かべたリオンにヒンケルが咳払いをすると、胃薬と書かれた箱をリオンの腹に突きつけるように押し出す。
「ボス?」
「……ドクにはナイショだぞ」
花束をテーブルに置いて受け取った箱の蓋を開けると、そこには色とりどりのチョコレートが無造作に入っていて、これはオーヴェには見せられないなぁとリオンが笑う。
「これは見せても良いんじゃ無いかな」
後からやって来たヴェルナーとマクシミリアンが二人揃って出したのも先程ヒンケルが突きつけた箱と大差ない大きさだったが、中に入っていたのはリオンだけではなくウーヴェも喜びそうな、しわくちゃだったりまっさらだったりと新旧様々なユーロ紙幣で、100ユーロ紙幣もあるとリオンの顔が最大級の感激に染まる。
「これも餞別?」
「ああ。……ドクの足が無事ならと思うが、お前が決めた道だ、これからもドクと仲良く一緒に歩いて行け」
結婚式には招待しろ、その時は皆にお前がいかに仕事をさぼる天才だったか暴露してやるとヒンケルがにやりと笑い、何だよそれとリオンの頬が膨らむが、ダニエラが涙を堪えながら一緒に仕事が出来て良かった、きっとこれからの刑事部屋は静かだわと笑うと、どーせ俺は騒々しいですよーだとリオンが憎たらしげに舌を出しつつダニエラをハグする。
「リオン、仕事を辞めても未確認生物への愛情は喪うなよ!」
「そもそも最初から未確認生物への愛情なんて持ってねぇよ、ヴェルナー」
UFOだ宇宙人だのと言った未確認の現象に目をきらきらさせて話すヴェルナーに、リアリストのオーヴェがそんなことへの愛情を許してくれるはずがないと笑うとヴェルナーがそれもそうだと頷いてリオンの背中を叩く。
「日曜礼拝には行くんだぞ」
「……マックス、今度アーベルを紹介してやるからホームに来いよ」
生真面目で歩く聖書と他の警官達とマクシミリアンのあだ名を付けたこともあったが、刑事を辞めても人間関係を終わらせたくはない、だから教会に来いと手を差し出すとマクシミリアンも感情を堪えるように頷いてその手をしっかりと握る。
「さ、みんな仕事に戻るか」
少しだけ目元を赤くしたヒンケルがブライデマンと三人の部下に告げて一緒に会議室を出て行ったため、部屋に残ったのはリオンとコニーだけだった。
二人になった瞬間どちらも口を開かないために妙な沈黙が生まれるが、証拠品の中でドクに返したいものは持って帰ってくれ、持ち帰って気分が悪くなりそうなら処分するとコニーが苦笑し、我に返ったリオンが頷いてテーブルに近寄る。
テーブルにはウーヴェが誘拐された時に身につけていたコートにマフラーが並べられ、その横には小物類がナンバリングされたタグを付けられて並べられていた。
「あ、そうだ。なあ、コニー」
「どうした?」
「あの時さ、オーヴェのために怒ってくれてありがとうな」
ウーヴェを救出するために地下室に向かったが、その時俺以上に怒ってくれてありがとう、中々礼が言えなかったと苦笑し、何年か前のクリスマスプレゼントで己が買い求めた赤とグレーのチェックのマフラーが納められた透明の袋を手に取ると、コニーが鼻の頭を指先で撫でつつ視線を逸らしてそれぐらいは当然のことだと口早に言い放ったため、あぁ、この同僚でも気恥ずかしいと思うことがあるのかとリオンが意外な発見をしたような気持ちになる。
「それで、ドクの様子はどうなんだ?」
「ああ、やっと落ち着いてきたかな。俺が刑事を辞めて無職になるって言ったら、俺一人を養うぐらいの稼ぎはある、舐めるなって」
俺が愛するダーリンはオトコマエだと笑うリオンに呆気に取られたコニーだったが、あの時リオンに抱き上げられて顔を見せられなかったウーヴェが以前のような穏やかな強さを思い出したと教えられて安堵する。
「ドクは強いな」
「そーだな。フツーあんな目に遭ったら、な」
どれだけ心が強くてもさすがに今回ばかりは再起不能になっても不思議はなかったと伏し目がちに呟くと、コニーが顎に手を宛がって言い出しにくそうに切り出す。
「リオン、その、気分を悪くしたら申し訳ないが……」
ドクがあんな目に遭っているのを見ていた時本当は何を考えていたと問われて驚きに目を瞠ったリオンだったが、当時を思い出しているような横顔でベルトランを経由して届けられた写真が保存されているであろうウーヴェの携帯が入っている袋を手に取る。
「……このままジルをぶっ殺してもオーヴェは笑わないだろうなって。あと、あぁ、酷い目に遭ってるけど生きていてくれたなーって」
どれだけ酷い目に遭っていたとしても生きていてくれた、俺の声に返事をしてくれた事が嬉しかったと返し、コニーの顔を見て目を細める。
「あんな無精ひげを生やしてるオーヴェなんて初めて見たけどさ、それでもオーヴェがそこにいるって事が嬉しかった。ゾフィーは間に合わなかったけどな」
例えケツに異物を突っ込まれ見るに堪えない行為を強制され足を砕かれていようが生きてさえいれば後は何とかなると思っていたとも返すリオンに一つ溜息をついたコニーは、気分を切り替えるようにリオンの肩を撫でた後、お前は本当に立派な刑事だったと手放しで褒める。
「……何だよ、コニー、照れるじゃねぇか」
「ドクのクリニックはあの場所にあるんだろう?」
「ん? うん、引っ越すとは聞いてねぇからそのままだと思う」
ヒンケルにも同じ事を聞かれたと笑うリオンにコニーが目を瞠ったあと、皆同じ事を心配しているんだと笑ってリオンの口をへの字に曲げさせるが、今日か明日にでもドクの見舞いに行きたいと思うが良いかと問われ、一瞬戸惑うような仕草をリオンが見せるが次いで笑みを浮かべて何度も頷く。
「ダンケ、コニー。顔出してやってくれよ」
まだ時々激しく精神的に不安定になることがあるが約束を交わしているから大丈夫だろうとリオンが苦笑し、テーブルに並ぶ証拠品をリオンと一緒に一瞥した時にコニーが何かを思い出した顔で家の鍵が収められている袋をリオンの目の高さに持ち上げる。
「これは?」
「地下室のゴミ箱に捨てられていた。ああ、このリングもそうだ」
もう一つの小袋を指し示したコニーの指先を覗き込むように見たリオンの目が一瞬で大きくなり、顔の前のものとその袋を掴んだかと思うと額に押し当ててきつく目を閉じる。
少し前に気付いたウーヴェにとっての大切な品々の紛失。
傷つきつつもそれがこうして己の手の中に戻って来てくれた。
辛く悲しい事件を思い出させるものへと変貌してしまったかも知れない鍵とリングだったが、ウーヴェの気持ちを思うと戻って来てくれたことが嬉しかった。
「リオン?」
「ダンケ、コニー。これ、オーヴェのものだ」
「やっぱりそうか」
「そう。この鍵は俺の前の家の鍵で、ずっとオーヴェが持ってられるようにって俺のネックレスに通して渡したんだよ」
多分監禁されてすぐに捨てられ、指輪も一緒に抜き取られたのだろうと感慨深く呟くリオンに、トゥリングは何故抜かれずに壊されたのだろうと当たり前の疑問をコニーが口にする。
「そーだな。オーヴェの意識が無いときに外したんだろうけど、トゥリングにまで気付かなかった、気付いて外させようとしたら抵抗されたって所じゃねぇか?」
あの砕き具合はかなりの恨みが籠もっているとカスパルも言っていたことを思い出し、ジルは嫉妬深かったからと肩を竦めたリオンにコニーが何とも言えない顔になるが、とにかくここにあるものでドクのものは総て持って帰っていいと告げ、帰る前に警部の部屋に行けと念押しをすると、今夜は警部と一緒に病院に寄らせてもらうと淋しそうな顔で笑ったため、コニーを呼び止めたリオンがその手をしっかりと握って俯いた後、ボスとあんたがいたから俺は刑事としてやってこれた、本当に感謝していると告げて頭をぽんと叩かれる。
さっきも言ったが近くに来たら顔を出せ、そしてドクの様子を報告してくれとも告げられて大きく頷いたリオンは、皆の餞別も纏めてくれたのだろう、ありがとうと笑みを浮かべる。
「証拠品を持って帰るのならその餞別が入っている段ボールに入れていけー」
「おーそうするー。ダンケ、コニー」
一足先に会議室を出て行く背中に礼を言い、本当にありがとうともう一度呟いたリオンは、餞別の品々や金銭を箱に入れ、その上から証拠品の数々を無造作に突っ込み、最後に花束をそっと乗せると、それを抱えて会議室を後にするのだった。