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黙り込んだ私を、直樹は眉間にシワを寄せながら見つめていたけれど、しばらくすると強い口調で言った。
「沙雪……お前、まだ雪香を恨んでるのか?」
軽蔑するような視線を私に向けながら、直樹は早口で言葉を続ける。
「そうなんだな? お前本当に執念深いな。いい加減にしてくれ、もう半年も前に終わったことだろう!」
私は無言で、直樹を睨み付けた。
あまりに勝手な直樹の言葉が許せなかった。
半年も前とは思えない。終わってなんていない。私はまだ傷付き、こんなにも苦しんでいるのに!
今日、この場に来るのがどれだけ辛かったを想像すらしない彼に強い怒りがこみ上げた。
「まさか……お前が雪香を消したんじゃないだろうな?」
信じられない言葉に、私は思わず笑いそうになってしまった。
こんな人だっただろうか?
怒りと失望と蔑みが混じった、自分でも良く分からない気持ちになった。
あまりにばかばかしくて、つい笑ってしまう。すると直樹は声を荒げた。
「何がおかしい!」
私はそれには答えずに、直樹を真っ直ぐ見つめた。
「ねえ直樹、本当に私が雪香を消したと思っているなら、こんな風に二人きりにならない方がいいんじゃない?」
「……どういう意味だよ?」
怪訝な顔をする直樹を見ていると、私の心は醜く歪んでいく。
「私が恨んでるのは、雪香だけじゃないんだから直樹も身辺気をつけたら?」
酷薄に笑うと、直樹は動揺したように顔を強ばらせ、私の手首をぱっと離した。
「さようなら」
私は冷たくそう告げると、部屋を飛び出した。
部屋を出た勢いのまま、足早に教会を出た。
まだ感情の高ぶりが治まらずに、怒りにまかせて長い階段を駆け降りる。
あんなことを言うつもりじゃなかったのに。
半年間必死に感情を抑え冷静さを装って来たのに、全て台無しにしてしまった。
階段を降りきると、私は白い息を吐き後ろを振り返った。
古めかしい教会が視界に入る。
この教会で式を挙げると決めたのは、雪香だった。
厳かな雰囲気と美しい鐘の音が気に入ったと言っていたっけ。
雪香は張り切って結婚式の準備をしているように見えた。式の始まる直前に見た雪香は、純白のウェディングドレスを身に纏いとても幸せそうに見えた。
それなのに、どうして突然消えたりしたのだろう。
直樹は事件に巻き込まれたと心配していたけれど、沢山の人が集まった教会から無理やり雪香を連れ出すなんて不可能に思える。
花嫁姿の雪香はとても目立つし、少しでも抵抗したら騒ぎになって誰かが気がつくはずだ。
雪香は自分の意志で姿を消したに違いなかった。
でもどうして? よりにもよって結婚式当日にいなくなるなんて。
今までの自分の生活の全てを捨てるような行動を、何故とらなくてはならなかったのだろう。
私には予想もつかない。
長い間離れていた為、私達は姉妹だというのにお互いを良く知らなかった。
雪香の交友関係も、殆ど知らない。
一人だけ、彼女の口から頻繁に聞く名前が有った。
年上の男性で、雪香曰く、優しく頼りがいがあり、容姿も最高だそう。
けれど、その人物とも私は面識が無かった。
雪香は、この先どうする気なのだろう。
雪で湿ったコンクリートの地面に視線を落としながら考えていると、背後から肩を掴まれた。
心臓がドキリと脈を打つ。振り返ると目の前に長身の若い男が立ち、険しい表情で私を見下ろしている。見知らぬ顔、誰なの?
「倉橋沙雪だな?」
呼び捨ての上に、偉そうな態度。なんて失礼な人なのだろう。
「あなたは?」
私の言葉に、男は目を細めながら低く響く声で答えた。
「鷺森 蓮」
「鷺森って……」
その名前は、いつも雪香が話していた人物のものだ。
私は、目の前の男を素早く観察した。
背が高く手足も長いすらりとした体形。切れ長で意思の強そうな目元が印象的だ。
いつか雪香が言っていた通り、かなりの美形。けれど、この人が何故私に声をかけるのだろう。
警戒する私に蓮は苛立ったような声を出した。
「名乗ったのに、何も言わないつもりか?」
「私に何か用ですか?」
蓮は不満そうに顔をしかめる。
「……倉橋沙雪か? って質問したんだけど?」
「そうですけど。雪香の知り合いなら双子だって知っているでしょ? 答えなくても分かるんじゃないですか?」
「双子だって知っていたからこそ確認したんだ。お前達似てないからな」
何の遠慮もなく発せられたその言葉は、直樹と争ったばかりで過敏になっていた私の神経を逆撫でした。
それでも怒りを表に出したくなかった。雪香への劣等感を、絶対に知られたくない。
「……それで用件は?」
苛立ちを堪え、返事を促す。
「ちょっと、聞きたい事がある」
「なんですか? 私、あまり時間がないんですけど」
言外に迷惑だと訴えても、蓮は気にせずに話を続ける。
「雪香が消えたと聞いたんだけど、本当か?」
なんだ、その件か。
「本当だけど、詳細は雪香の父親に聞いて下さい、私もよく分からないので」
そう言い残し立ち去ろうとすると、蓮に道を塞がれた。一体何なの?
「待てよ。雪香が消えたのはお前が原因だろ? 雪香に何をしたんだ、答えろ!」
蓮は断言しながら鋭い視線を向けて来る。私の言い分を聞く気配は全く無い。
「言いがかりは止めてくれる? 私は何の関係もないから」
「言いがかりじゃない。雪香は沙雪に恨まれてると言い恐れていた。何か有ったと思って当然だろう?」
私は内心困惑していた。
雪香が私を怖がっていた? まさか。私の前ではそんな素振りは一切なかった。
「雪香が悩んでいるようには見えなかったけど。どちらにしても私はもう関わりたくないから」
うんざりする気持ちを隠さずに吐き出す。けれど蓮は気にも留めずに私に圧をかけてくる。
「お前、雪香が消えたって聞いた時笑ってたな。何で笑った?」
彼は強い口調で私を非難する。何もかも見透かすような目で、私の一挙手一投足を窺っている。
ここに来て私は察した。この男にごまかしや、偽りは通用しない――。
ならば取り繕わずに、言いたいことを言おう。
「笑ったけど、だから何? 妹の失踪を悲しまなかったからって犯人扱いするわけ?」
別にこの男にどう思われようと構わなかった。
本音を言って軽蔑されたとしても、もう会う機会もないだろうから、何の問題も無い。
開き直った私の態度に、蓮は怒りを覚えているようだった。目付きが更に険しくなる。
「何で笑ったのか聞いたんだ、答えろ!」
「ねえ、さっきから命令口調で偉そうだけど、何様のつもり? 質問には答える気は無いから。そこをどいて。退かないなら大声上げるわ」
強く言うと、蓮は舌打ちをしながらも、諦めたようで道を空けた。
蓮の横を通り過ぎる。
「これで終わりだと思うなよ」
脅しのような言葉が耳に届き、背筋が冷たくなった。
「なんなの、あの男!」
家までの道のりを、私は怒りにまかせ、勢いよく歩き続けた。
鷺森蓮との会話を思い出すと、イライラとしてどうかしそうになる。
初対面でこれ程嫌悪感を持った相手は初めてだった。
雪香から聞いていた人物像とは全く違う。
雪香はあの人のどこが良かったのだろう。偉そうで、無礼で思い込みが激しくて、優しさなんて見当たらなかった。
それとも雪香の前では、別人のように穏やかで思いやりに溢れた態度なのだろうか。
彼の態度は最低だったけれど、雪香を心配してるのは確かだ。
鷺森蓮は雪香を大切に想っている。
そう考えると気分が沈んだ。
あんな男に好かれたいわけじゃないけど、皆に大切にされる雪香が妬ましい。
どうして、雪香ばかりが愛されるのだろう。
直樹は二年も付き合った私より、出会ったばかりの雪香を迷う事なく選んだ……どうして?
立ち止まり大きな溜め息を吐いたとき、バックの中のスマホが振動した。
急いで取り出し画面を確認する。その瞬間、驚きのあまりスマホを落としそうになった。
なぜなら雪香の名前が表示されていたのだ。
動揺しながら、応答ボタンを押す。
「……はい」
「……沙雪? 私……雪香」
寒いのか、怖いのか、分からないけれど雪香の声は震えていた。言いようの無い不安がこみ上げる。
「雪香……何してるの?! どうして居なくなったの?」
雪香が居なくなっても、心配すらしなかった私が、今ひどく動揺している。
電話越しの雪香の様子は普段と違っていた。まるで何かに怯えているようで、それが私を不安にする。
「私もう戻れない……だからお別れを言おうと思ったの……今までありがとう。そして、直樹のことごめんなさい」
鼓動が一際激しくなる。
「戻れないって、どうして! 何があったの?」
「戻っても決して許されない……決めたの。何もかも捨てるって」
弱々しいのに意志の力を感じる声だった。私は返す言葉を失っていた。
許されないと雪香は言ったけれど、何に対して? 誰に許しを請うているの?
私に対してではない。
だって、雪香は私に謝罪をした。許されないとは思っていないからだ。
「沙雪」
考え込む私の耳に、雪香の声が届く。同時に、大きな鐘の音が鳴り響いた。
嘘……私は信じられない思いで目を見開いた。
これは教会の鐘の音だ。雪香は今、教会にいるの?
皆で散々探しても見つからなかったと言うのに、
盛大な鐘の音は続いている。けれどそれが途切れた。
「さようなら」
雪香の別れの言葉と共に、電話は切られてしまったから。