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私は人気のない場所に乃愛を連れていって問い詰めた。
「あなた、何なの? 朝は私の足を引っかけて転ばせたでしょ?」
「わざとじゃないです」
乃愛は真面目な顔してそんなことを言った。
私は怒りを通り越して呆れた。
「私は優斗と別れたの。だから、あなたに嫌がらせを受ける筋合いはないよ」
「嫌がらせだなんてひどい! わざとじゃないってずっと謝ってるのに、ひどくないですか?」
「どうやったらピンポイントで私のバッグにコーヒーぶっかけられるのよ?」
「混雑していたから仕方なかったんですう……ああぁ」
乃愛は本当に涙を流した。
見事な演技に開いた口がふさがらない。
彼女は女優になるべきだと思うわ。
「弁償しますからぁ……」
彼女はわんわん泣き出した。
バッグの表面は大丈夫だけど、問題は中身だった。
少し口が開いていたから中に沁みている。
正直いくらかもらうべきかなと思ったけど、たぶんこの子は絶対変なことをするだろう。
私から無理やり金をぶん取られたとSNSと会社の人たちに嘘を言いふらすかもしれない。
しかも、婚約者に捨てられた腹いせにやったと。
ここまで予想できたところで、平静でいるのが一番だ。
「私に近づかないで。あなたも優斗も私にはもう関係ないんだから」
そう言うと、乃愛はにんまり笑った。
「待ってください。あたしも被害者なんですよぉ。優くんはフリーだって言ってましたから。あたし、騙されたんです」
上目遣いでそんなことを告げる乃愛に、少し驚いたけどすぐに冷静に頭が働く。
被害者というにはあまりにも堂々としているからだ。
「でもあなた、私が家に行ったときに私のことディスっていたよね?」
わかっていたくせに今さら何を言い出すのか。
「もう別れたって言われたから。それに彼、石巻さんに家で八つ当たりされて参ってるってずっと言ってましたよ? 気づかないうちに優くんを傷つけていたんじゃないですか?」
「そんなことは……」
「わかんないですよね? だって石巻さんて自分のことばっかりじゃないですか」
その言葉に少し怯んだ。
もしかしたら優斗にイライラして口調が荒くなってしまったこともあるかもしれない。
カップルの喧嘩なんてどこにでもあるというのに、それを乃愛に指摘される筋合いはない。
「真相なんて本人たちにしかわからないよ。もういいでしょ? あなたと優斗が付き合っても文句言わないから私には関わらないで。それだけ」
私はそう言い切って、乃愛の返事を待つことなく立ち去った。
*
「うわあ、大変だったねえ」
仕事のあとで会社から電車でだいぶ離れた居酒屋で美玲と落ち合って今日の出来事を報告した。
私はビールを飲み干して、グラスをとんっとテーブルに置く。
「意味わかんない。何なの? あの嫌がらせ。しかもあの子、私に説教してきたのよ? 優斗を傷つけた私が悪いって。こっちが傷つけられたってのに!」
刺身の盛り合わせがどーんっとテーブルに置かれた。
マグロに鯛にサーモンにカニまであるし、これはもうやけ酒ですね。
「あのさ、もしかしてだけど……」
「うん?」
鯛をもぐもぐしながらうなずく。
美玲はビール瓶を片手に眉をひそめて言った。
「あの子、クラッシャー系女子じゃない?」
「え?」
美玲がスマホでその情報を私に見せてくれた。
クラッシャー系女子。
主に恋愛において人間関係をめちゃくちゃに破壊する女子のこと。
(男子にもいる)
「だってさ、ただの浮気相手なら略奪できた時点で満足するじゃない? 別れさせることに成功したあとにいちいち前の女に嫌がらせしてくるなんて狂気の沙汰よ」
何それ、めちゃくちゃ怖いんですけど。
「そういう子を相手に感情的になるとまずいわ。あることないこと吹聴するんだから」
「うん、そうだね」
よかった。お金を請求しなくて。
あの子なら思いきり話を盛ってまるで私が悪のように言いふらすだろう。
「だけど、どこまで私に付きまとうつもりかな?」
うんざりした気持ちで吐露すると、美玲はにんまり笑った。
「イケメンに助けてもらいなよー。付き合うんでしょ?」
「違う違う。しばらく誰とも付き合いたくないよ」
「そおー? まあ、別れたばかりだし、おひとりさま謳歌しよ。変な男に引っかかったらひとりが気楽でいいわってなるわ」
「美玲、彼氏は……」
「いらないわ。ひとりが最高よ」
そう言って彼女はぐいっとビールを飲み干し、追加の酒をオーダーした。
私はどうしたいんだろう?
まあ、でもしばらくはこのままがいいかなと思う。
焦って誰かと付き合ってもあんまりよくないし。
「さあ、今夜は忘れて飲もう!」
美玲が私の肩をぽんっと叩いた。
すでにほんのり頬を赤らめている彼女を見て、少し気持ちが上向いた。
*
「やあ、こんばんは。遅くまでお疲れ」
マンションに帰宅するとエントランスで千秋さんとばったり出くわした。
ほんのり酔っている私とは違って、彼の表情はきりっとしている。
「お疲れさまです。こんな遅くまでお仕事ですか?」
「取引先と会食。そのあと知人と会っていたんだ」
わざわざそこまで教えてくれるとは意外だ。
私の反応がないせいか、彼が疑問を口にした。
「知人が誰か、訊かないの?」
「え? いや、だって私の知り合いじゃないでしょ?」
「君と初めて会ったバーの店長だよ」
「え? 知り合いなんですか。ていうか、なんで私にそんなこと教えてくれるの?」
軽い気持ちで訊ねたら、彼は真剣な表情で返した。
「君に俺のことをもっと知ってほしいから」
私は一瞬固まって、それから猛烈に顔が熱くなった。
ただでさえ酒で顔が熱いのに、これ以上熱を帯びたらクラクラするわ。
「それ、まるで私を知ってと訴える女子みたいですよ。かまってちゃんとも言う」
「知ってほしい!」
「わかりましたって」
謎のアピールすごいなーこの人。
でも、たぶんわざとだなと思っている。
エレベーターに乗り込むと、彼は軽い口調で言った。
「今夜も泊まっていく?」
「は? いやいや、何さらっと彼氏みたいなこと言ってるんですか」
「そうか残念。また誘うよ」
「軽っ……」
エレベーターで10階に辿り着いたら、彼はにこやかに手を振って私を見送ってくれた。
なんだか拍子抜け。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
そう言ってエレベーターの扉が閉まった。
なんだろう。急に寂しさが募ってきた。
あの誘いに乗っていたら何か変わっていたのだろうか。
「いや、何バカなこと考えてんの」
もし新しい人と付き合うなら、私の心がきちんとニュートラルになってからだ。
そうでないとまた失敗する。
優斗と同棲しようと思ったきっかけも、毒親の実家から逃れられるという理由だったから。
甘い言葉にすがりつきたくなるけれど、同じことを繰り返さないためにも、まずは自分の足で歩かないと。
だけど、もう少し気持ちが落ち着いたら、食事に行ってもいいかな。
なんて思ったりして、少し楽しみになってきた。
けれど、そんな日は来なかった――。
【正社員が派遣をいじめる様子】
そんな見出しの情報がSNSで拡散したのは数日後のこと。
この写真は間違いなく私と乃愛だ。
誰かが隠し撮りして匿名でSNSにバラまいたらしい。
その情報が瞬く間に私の部署に広がっていた。
「これ、石巻さんだよね? 派遣の子を呼び出してこんなことしてんの?」
「ていうか、部署違うじゃん。なんでいじめてんの?」
「どうやら最近彼氏に振られたらしいよ」
「その八つ当たり? なんでこの子?」
「俺さ、派遣の子がコーヒーこぼしたの見たんだよ。本人謝ってたのに無理やりその場から連れてって怒鳴りつけてたよ」
「セーカク悪ッ!」
なんで、こんなことに、なっているんだろう?
「石巻さんは真面目っていうか、ちょっと細かいとこあるよね?」
「わかる。包容力がないっていうか」
「そりゃ振られるわ」
なんなの? これは。
オフィス内でじろじろ見られながら黙って席に着く。
引き出しを開けると、衝撃的なことが書かれた紙が入っていた。
でかでかとサインペンで書かれていた私に対するヘイト発言。
【パワハラ女。訴えられろ!】
始業後すぐに上司に個室へ呼び出された。
そして事の真相を質問され、私は身に覚えがないと答えた。
「でもね、実際に写真が出回っているし、無視できないよ。今の時代はこういうことに世間も敏感だからね」
上司は困惑しながら話す。
ちょうど私が怒りの表情で問い詰めて乃愛が泣き出したときの、あまりにタイミングのよすぎる写真だ。
まるで狙っていたかのように。
「君の言うことを信じたい気持ちもあるんだが、今の時点では難しいな。とりあえず、噂が静まるのを待つしかないね」
「はい。申し訳ございませんでした」
私の胸中は動揺と混乱で、ただ迷惑をかけたことの謝罪を口にすることしかできなかった。
周囲の痛い視線を感じながらなんとか仕事をこなし、帰り際に1階ロビーでばったり出くわしたのは、乃愛と優斗だった。
優斗は私を見た途端、怪訝な表情で言い放った。
「お前、やり方が汚いよ? そんな卑怯な奴だったっけ?」
私は開いた口がふさがらず、思わず反論しようとしたら、周囲が注目しているのに気づいて口をつぐんだ。
となりで乃愛は口もとに笑みを浮かべて優越感満載で私を見つめていた。
怒りよりも泣きたくなった。
けれどこんなところで泣いても誰も同情などしてくれないだろう。
あんな写真があるから何を主張してもすべて私が悪者だ。
どうしてこんなことに……。