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「膵癌という病気です。ステージ4、終末期と呼ばれる状態にまで悪化しています。延命手術を受けられるという選択もございますが、成功する確率も治癒する確率も、残念ながら極めて低いです。」
淡々と進められる説明は、上手く頭に入ってこなかった。末期癌。俺が。 医者に面と向かって断言されて尚、実感は湧かなかった。信じたくなかった。
激しく動揺する。説明を咀嚼し、理解して込み上げてくるのは、理不尽な世界への怒り。何故、俺がこんな目に合わなきゃいけない?人並みに生きて人並みに死にたい、たったそれだけを願っただけなのに。
俺は俺なりに、必死に生きてきたつもりだ。 その見返りがこれか。今まで死ぬ気で食らいついてきた俺の努力は、頑張った意味は、どうなるんだ。
気づけば、診察室のドアを蹴破って走り出していた。治らないのなら、こんな所にいても無駄だ。馬鹿馬鹿しい。そうだ、馬鹿みたいだ。これまで世の中に食らいついてきた苦労も、空気ばかり読んできた努力も、全部水の泡だった。どうせ死ぬんだ。満足に幸せにもなれないまま、どうせ死んでいくんだ俺は。 どこまで、神は非情なんだ。俺が何をしたって言うんだ。
段々と自分が怒りに支配されていくのを感じる。普段ならこの距離を走った時点で息切れして立ち止まっていただろう。今は苦しさも感じない。蘇り始めていた刺すような腹痛も、どこかへ消えてしまっていた。
随分と走った。足がもたついて、道の脇に膝から崩れ落ちた。医師の言葉が蘇る。
『終末期と呼ばれる状態にまで悪化しています』。死は、避けられないという。20年と少し続いた俺の人生も、あと30日程で幕を下ろしてしまうらしい。
なんかもう、自分が何のために生きてるとか生きる意味だとか、どうでも良くなってきた。どれだけ考えても多分行き着くのは虚しくて悲しい結論だと思う。
どうでもいい。死期が目前に迫ってきたというのに、不思議と冷静でいられた。むしろ、やっと終わりが来るのかという安心感さえあったかもしれない。本当に、何もかもがどうでも良くなった。何にも報われないまま、1人で死んでいくのだ、俺は。
上等だよ、と自嘲気味に笑った。 最後くらい自分勝手に生きてやる。バイトも、今日きりでやめてしまおう。貯金も無いけど、あと1ヶ月程度なら何とかなる。
自暴自棄と言うやつだろう、今の俺は衝動のみで動いてるようなもんだ。メールで店長にバイトを辞めることを伝えた。理由は、親の事情で実家に帰らなければならないと嘘をついた。
さて、これからどうしよう。旅行にでも行こうか、変わらず家でゴロゴロしていようか。 フラフラと重い尻をあげ、辺りを見回す。気づけば、昨日のスーパーの目の前まで来ていたみたいだ。平日の昼間なので人の動きはまばら。しかし皆、ボロ雑巾みたいな雰囲気をまとった俺に、訝しげな目を向けてくる。
こっち見んな、気持ち悪い。
「なんですか、俺何かついてます?」
刺々しい口調が漏れ出た。途端に俺を盗み見ていた連中は、ばつが悪そうに踵を返していった。 ふん、と鼻を鳴らして足を進める。とりあえず家に帰って眠りたい。もう、今日は何もしたくない。
俺は見覚えのある部屋にいた。一人暮らしをする自室ではない、綺麗なフローリングの床。視界の端の小窓から、紅い夕日が差し込んでいた。実家の、俺の部屋だ。
とん、とん、とん、と扉の方から足音が聞こえる。
「蓮、そろそろ降りてきなさい。ご飯よ」
扉越しに語りかけてくるのは、懐かしい母の声。母。家族。俺にとっては忌々しいものだった。俺が中学1年の時までは、この家族が大好きだった。二つ下の妹が、全国のピアノコンクールで準優勝を勝ち取るまでは。
気づけば、辺りが暗くなっている。暗闇に締め出されたかと思ったが、どうやら周りに人は居るようだ。その時、
ぴん。と、静寂に音が弾けた。ピアノの音色だった。目の前の闇に、オレンジ色の明かりが灯される。光を反射する重厚なグランドピアノ。そしてそれに寄り添う、まだ小学生くらいの華奢な女の子が照らし出された。
女の子の指が流れるように動く度、会場には美しい和音がこだまする。誰もが、思わず目を瞑り聞き惚れている。やがて曲はクライマックスに入り、少女から発されているとは思えない力強い音色が俺の鼓膜を打った。
彼女は、天才だった。生まれつき音楽の才能があった。俺も小さい頃ピアノを習っていたが、俺が何年もかけて満足に弾けるようになった曲を彼女はものの数週間で俺より上手く弾いてしまった。彼女の才能は歳を重ねる度に角を現し始め、小学5年にして全国小中のピアノコンクールを最終審査まで勝ち進んでいた。
彼女が弾くピアノは恐ろしく美しかった。弾いていると言うより、彼女とピアノは一体であるかのように自由自在な音色であった。
曲は、ラストスパートに入る。怒涛の技術力とセンスが、俺のプライドをぐちゃぐちゃにしていく。俺と妹は違う。ギフテッドの妹と持たざる者の俺には、どうしても超えることの出来ない壁があった。
ピアノの音色が、いつの間にか不協和音となり耳を圧迫している。歓声がピアノと重なって俺を押し潰してくる。
「ああ、あぁぁぁあぁあ!!!!!」
うずくまり、耳を塞いで発狂する。耐えられない、聞きたくない、見たくない。頭が割れる。
目を開けると、視界は懐かしい実家の部屋の中だった。
「何してるの、早く来なさい」
扉をあけて、母が急かしてきた。あれ。何故だろう、母の顔のところが、ぼやけてはっきり見えない。目を擦るが、変わらない。
「何してるの?」
不審に思われたのか、顔をのぞきこんできた。
「何も。今から行くよ」
「そう、早くしなさい、先に食べてますからね」
そう言うと母は扉の向こうに行ってしまった。
程なくして、ゴトンと大きな音が階段の方から響き渡った。
「ぅわっ!!… …なんだ、夢か…。」
思わず布団を放り投げて飛び起きた。ふるふると頭を振って覚醒する。あの後スーパーの前を通り過ぎた俺は、家に帰った途端に布団に飛び込んだのだった。何か嫌な夢を見た気がする。
放り投げていたであろうカロリーメイトを取りに立ち上がった、その時だった。
「お邪魔してます」
全身、総毛立った。後ろから声をかけられたのだ。気配は全く感じなかった、空き巣?窃盗…?俺は一人暮らしで、鍵も窓も施錠していた。俺以外にこの部屋に人間がいてはいけないのだ。恐る恐る、後ろを振り返る。足が強ばって動かない、かろうじて首を後ろに回した。
そこには、こちらを向いてニコリと微笑んでいる青年が壁によりかかっていた。
「驚かしてすみません、僕はあなたの死神。貴方の魂を回収しに来た者です。」
「………は?」