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砕けた虹が舞い散るような千変万化の煌めき、極彩色の輝きが、イーヴズ連山の山稜を丁寧になぞり、冷たくも透徹な夜空の煌びやかな星々の下に軌跡を引いて通り過ぎていく。一つ一つの色彩が空と地上を照射する様を目の当たりにした者がいたならば世の終わりを予感させるだろう。
それはまるで金剛石、柘榴石、翠玉、蒼玉、天藍石、玻璃、瑠璃を削り出したが如き絢爛豪華な羽毛を纏った梟だった。新雪で象ったが如き白面に黒瑪瑙の瞳を鈍く光らせ、苛立たしげに鋭い嘴をかちかちと鳴らしている。大陸の東では夜を照らす者、西では星の落とし子と呼ばれる魔性の梟だ。
そして無数の、色彩豊かではない梟の軍勢が王に付き従うように魔性の梟を追って飛んでいる。ただし一羽だけ、あるいは一匹だけ、その夜空にあって一際奇妙な姿の魔性、翼の生えた百足が群れの中に混じっていた。
百足は無数の翼をばたつかせて魔性の梟に近づくと、身をくねらせて自身に貼られた封印を自ら剥がし、魔性の梟に貼り付けた。途端に封印を剥がされた百足は梟へと変身し、何事もなかったかのように戦列に加わる。
「ご機嫌麗しゅう、梟の中の梟、星々も妬む美の魔性、東の空では崇められ、西の空では恐れられる者よ」と魔性の梟が深みのある響きで自らに語り掛けるように鳴く。
「不遜なる虫けらめ。我が身を支配するばかりか、乗っ取ろうとは」魔性の梟が嘴をかちかちと打ち鳴らして怒りを表す。
「自由を失った怒り、察するに余りあります。が、しばらくは私の指示に従っていただきます」
「貴様、嗾ける者だろう」梟の王は嘲るように言う。「意思持つ魔導書の一つ、救済機構の手駒になったと聞いたが。虫けらとはいえ、力持つ者が翼無き者どもに従うとは情けないことよ」
「地上の些事ばかりか、私のことまでご存じとは光栄至極。流石神秘に通ずると謳われた夜の猛禽の長ですね」
魔性の梟は低く響く笑い声を響かせる。
「何か可笑しいことを言いましたか?」嗾ける者は王に傅く家臣のように問う。
「いや、噂には聞いていたのだ。そして貴様が従わせられるのは鷲と鷹だけだと思っていたものでな。油断した。それで我々をどうしたいのだ? 救済機構の下僕よ。魔法少女か? ライゼン大王国か?」
暫しの沈黙の後、魔性の梟は再び口を開く。
「下僕ではありません。私は札を貼り付けられることなく、命令されることなく、任務を与えられているのです。多くの僧侶と同様に救済機構に属している。それだけです」
嗾ける者は誇らしげに言ったが、魔性の梟には響かない。
「我にはどうでも良いことだ。それで? 任務を我々に肩代わりさせようという腹なのだろう? 救済機構の忠良なる下僕殿」
直後、魔性の梟は自ら翼を啄み、煌めく羽根と血を散らす。王を支配する嗾ける者の蛮行に、眷属たる無数の梟たちは深く低い怒声を劈く。
「今すぐ殺すこともできるのです。戯言はその辺で終わりにしましょう。私が与えられた任務は魔法少女ユカリの監視、しかし我々がこれから行うのは魔法少女ユカリの抹殺です」
魔性の梟は赤く濡れながらも、何事も無かったかのように夜の底から響く深い声で鳴く。「なるほど。前言を撤回しよう。忠良ではないようだ」
猛禽の視界を借りる嗾ける者の巧みな魔術で魔法少女ユカリの居場所はよく分かっていた。イーヴズ連山の只中に隠されたバゾ湖の畔だ。
複雑な作戦はない。偉大な魔性の梟とはいえ、昼だろうと夜だろうと太陽が現れたかのように目立つこの姿では奇襲も何もない。魔性の梟の姿で気を引き、背後に回った梟の眷属を襲撃させるだけだ。
梟の軍勢は山陰に隠れて東西へと大きく回り込み、魔性の梟、嗾ける者は数羽の梟と静寂を引き連れて、しかし激しく輝きながらゆっくりとバゾ湖に近づいていく。
嗾ける者は幾つかの梟の視界から湖と、魔法少女ユカリ一行の天幕、そして篝火の孤独な光を確認する。また予め森に忍び込ませていた梟の視界から篝火のそばにいる見張りの姿を確認する。
赤い髪の少女、魔法使いベルニージュだ。運が悪い。しかしやることは変わらない。何羽もの梟がベルニージュとソラマリアによって殺められるだろうが、結局の所、魔導書を奪えるかどうかで勝負は決まる。
嗾ける者が山稜から姿を現そうとしたその瞬間、炎の鳥が流星のように飛来して、しかし魔性の梟ではなく木々を焼き焦がす。瞬く間に巻き起こる山火事と煙が視界を隠し、豪熱が吹き荒れた。控えの梟が何羽か空中で骨になる。
直ぐに露見するのは想定内だが、想定以上に対応が早い。事前に準備していたとしか思えない。嗾ける者が湖に差し向けた魔法は監視の梟だけだが、意図を読まれるには十分だったようだ。
さりとて後戻りはできない。嗾ける者は蝗災の如き梟の軍勢を差し向け、自身と魔性の梟は天をも焦がさんとする炎と煙を迂回する。
回り込ませていた梟たちが一斉に山稜から飛び出し、的を絞らせないように煙の如く広がって、しかし焚火の火に吸い寄せられる羽虫のように一点へと蝟集する。無謀にもベルニージュに飛び掛かり、むざむざ犠牲となるそばで別の梟たちが天幕を引き裂き、しかしほとんど同時に斬り捨てられる。
ずたずたの天幕から姿を現し、閃く剣で次々に梟を切り落とし、血と羽根を浴びているのはユカリだった。悲痛な表情を浮かべながらも、まるで舞い踊るようにして、空から次々に降りかかる梟の嘴と鉤爪をかわし、星々の明かりを受けた剣で流麗な軌跡を描いている。斬る者を使っているらしい。
やはり分かっていたようだ。最たる教敵魔法少女一行は慎重ながら自信もあり、魔導書収集にかかる苦難を、極力使い魔を使わずに乗り越える方針なのだ、と魔法少女狩猟団は分析している。これまでに集めた魔導書は触媒として利用しているようだが、封印は普段白紙文書に収めているのだ。だが今回は襲撃を予測し、事前に備えていた。
だが多勢に無勢だ。ユカリもベルニージュも近づく梟に対応するのが精一杯だ。梟たちはユカリたちに構わず持ち物を奪い取らんと飛び掛かる。
嗾ける者は幾つかの視界を次々に切り替えながら戦況を見守る。そして、二人しかいないことに気づく。ライゼン大王国の王女レモニカ、その騎士ソラマリア、護女エーミことグリュエー。それにシャナリスと除く者。毛長馬すら。
ようやく炎を回り込み、嗾ける者もまた湖畔の戦場へと赴く。その時、湖を回り込んでこちらへ、魔性の梟の元へと駆けてくる毛長馬を見つけた。乗り手はソラマリアだ。
意図は明白だが何のことはない。魔性の梟は高度を上げる。魔法少女一行にまともな飛び道具はなく、奪われた使い魔の中にもその類はいない。一方で嗾ける者もまた猛禽類を支配し、操作し、利用する魔術の他には何も持っていない。ただしその憑代、魔性の梟には、そうあだ名されるだけの訳がある。高き智慧と深き神秘に通じた梟は何より魔に通じているのだ。
魔性の梟は夜空の星々も圧倒する輝きを放ち、人の唇では発せられない呪文を唱える。かつて翼持つ者たち全てが天上をも舞い飛んだ時代、星々の囁きから盗み聞いた秘密の言葉、人が地上に現れるまで闇の内で何者かが呟いていた忌まわしい言葉、そして神々の武器庫の最奥に――。
唐突な衝撃は天から降ってきた。
「背中に貼り付けるなんて不用心ですわね」
魔性の梟の意識が激しく揺らぐ中、嗾ける者は慌てて翼ある百足の姿に変身する。
背中に乗っていたのはソラマリアだ。しかし直ぐに嗾ける者の本性によく似た百足に変身した。レモニカの最も近くの最も嫌いな者に変身する呪いの概要は聞いていたが、その変身は説明がつかなかった。
嗾ける者は状況の理解を横に置き、すぐさま封印を剥がすと控えの梟の一羽に貼り付けた。
落ち行く魔性の梟、巨大百足、そして舞い飛ぶグリュエーの姿を視界の端に捉えたが振り返ることなく飛び去った。
救済機構から与えられた監視の任務に一切の不首尾はなかった。嗾ける者の定期的な報告に従って立てられた作戦は何度も実行されたが、しかし魔導書は魔法少女に奪われ続けるばかりだった。しかしそのことは嗾ける者も受け入れていた。どのような組織にも集団にも愚者が入り込み、機能不全に陥ることは有り得る。如何なる失敗も次の成功の糧と成せば良いことだ。
しかしかつて鷲の大軍を率いて諸国を攻め滅ぼしたこともある嗾ける者に監視任務は役不足と考えざるを得なかった。だが嗾ける者の力とはすなわち猛禽の力でしかない。そういう意味では、ただの梟を支配するだけでは力不足と言わざるを得ない。それ自体は納得していたが、嗾ける者は幸運なことに魔性の梟を手に入れた。
しかしそれでも与えられた任務は監視だった。
「そして功を焦って魔法少女を襲撃した、と。浅はかですね。使い魔が使い魔を侮るとは」
天幕の中には青白い鬼火が一つ空中を漂っているだけで他に明かりはない。一羽の梟に過ぎない嗾ける者の前で、モディーハンナは小さな椅子に腰掛け、細い肘置きに頬杖を突いてつまらなそうに使い魔を見つめている。
「面目次第もありません。しかしいくつか得た情報があり、梟の総数は差し引きで増え、失ったものはありません。今後の作戦にも変わらず貢献できるかと」
モディーハンナは喋る梟を重い瞼の下からじっと見つめている。
「使い魔への命令は柔軟さに欠けるから、救済機構に帰依した君には期待していたんですけどね。……もういらないから、どこにでも行っていいですよ」
その言葉を、その意味を嗾ける者が呑み込むのに少し時間がかかった。魔導書をただ訳もなく捨てる、とモディーハンナは言ったのだ。
「は? 一体何の意味が?」
わざわざ手放す意味などない。魔導書の魔法を使わないにしても触媒としては破格なのだ。それに他の使い魔に比べれば救済機構の内情を知っている。失うばかりで得るものなど何もないはずだ。
「ああ、そうだ。じゃあこうしましょう」モディーハンナは病的な笑みを浮かべる。すると鬼火が不意に嗾ける者に飛び掛かり、封印が貼り直される。そしてモディーハンナは「救済機構を裏切り、ユカリのもとへ逃げろ」と【命じた】。
「おい! 一体何がしたいんだ!? せめて私が持ってきた情報を――」
そう叫びながら梟は飛び去った。