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リビングに漂う紅茶の香りが
場に仄かな安らぎを与えていた。
それでも尚
会話の中に潜む〝棘〟は
まるで鋭利な銀の針のように
互いの胸の奥を穿っていく。
アラインが
ふとカップの縁を指でなぞりながら
含み笑いを漏らす。
「ふふ。
ねぇ、ボクさ、思ったんだけど⋯⋯
なんだか、黙示録みたいじゃないかい?」
その言葉に
紅茶を口に運ぼうとした時也の手が
わずかに止まる。
鳶色の瞳がカップ越しに揺れ
静かにアラインを見据えた。
「黙示録⋯⋯ですか?」
「そうさ。
虫といえば、イナゴの大量発生で
飢饉を招いた歴史もあるわけだし⋯⋯
疫病だって、菌でしょ?
当てはまると思わない?
〝四騎士〟ってやつにさ」
アラインのアースブルーの瞳が
冗談めかして細められる。
しかしその奥底には
遊びを装った〝選別〟の意図が隠されていた
その横で
アビゲイルがはっとして息を呑む。
「飢饉⋯⋯黒い馬の騎士。
疫病⋯⋯青ざめた馬の騎士。
そして──戦争、赤い馬の騎士」
視線を向けられたソーレンが
露骨に顔をしかめた。
「おい、なんで俺が⋯⋯
そんなクソみたいな
例えにされなきゃなんねぇんだよ」
「ふふ、だって似合うじゃないか。
キミは戦いの象徴。暴力の具現。
赤く染まった空を背負って
破壊の先頭に立つ⋯⋯ね?」
アラインの声音はあくまで軽やかだが
その視線は獣のように鋭い。
ソーレンは苛立ちを押し殺しながらも
時也の反応を待つように目を逸らした。
時也は、少しだけ口元を歪めて笑うと
淡く言葉を重ねた。
「なら、貴方は⋯⋯
白い馬の騎士ですね、アラインさん?」
その言葉に
アラインの指がカップを止める。
視線が横滑りに動き
やや芝居がかった間を置いてから
笑みを深める。
「⋯⋯へぇ?偽りの平和、ねぇ?」
「ええ。
冠を被って弓を持ち
平和の顔で侵略を繰り返す。
──真っ先に神に遣わされた存在。
四騎士の先鋒」
「⋯⋯褒め言葉として、受け取っておくよ」
アラインの口元に張りつく笑みはそのままに
声の温度だけが少し下がる。
そして、ふと顎を傾けながら
時也に向かって言葉を投げた。
「なら、キミは何になる?
⋯⋯まさか、子羊かい?」
一瞬、空気が静かに沈んだ。
時也はすぐに答えず、わずかに目を伏せ
ゆっくりとティーカップに口をつける。
琥珀色の液面が、静かに揺れた。
「僕は──
そんな無垢で綺麗な存在ではありませんよ」
その返答は
どこまでも穏やかで、澄んでいた。
だが、その中にあるものは
〝否定〟ではなく
〝受け入れの拒絶〟だった。
誰かの象徴になるには
己は穢れすぎている。
それを理解した者の、静かな意志の声。
その時。
(ボクが言ってるのは
自らをも削るその自己犠牲的な献身を
言ってるんだけどねぇ⋯⋯?
ま、この天使は解ってないか)
アラインは、心の中でのみ呟いた。
その言葉が、時也に届いている様子はない。
彼はただ、思索の海に沈むように
伏せた目元の奥で、何かを見つめていた。
その姿に気付かれぬよう
アラインの唇がごく僅かに持ち上がる。
それは讃美か、諦めか。
あるいは──
天使の堕ちゆく先を、愛おしむ悪魔の微笑み。
「ボクはね⋯⋯
たぶん、〝子羊〟ってやつが
一番怖いと思ってるんだよ」
呟くようなその声は
まるで誰にも届かなくていいと願う
独白のようでもあった。
それでも、テーブルに座る者たちの誰もが
わずかに呼吸を止める。
「子羊は、黙って見てる。
血塗れの剣を振るうわけでも
雷鳴を轟かせるわけでもなく。
ただ、ただ⋯⋯目を伏せて、祈っている。
その祈りが
誰かの破滅を引き寄せてるって
気付きもしないまま」
カップの中で揺れる紅茶に
アラインの目が落ちる。
「──でもね。
黙して祈るだけの子羊が
世界を終わらせるんだ。
黙示録に記された〝七つの封印〟を解くのは
剣でも、疫病でもなく⋯⋯彼なんだから」
それは、まるで確信のような口ぶりだった。
そして、アラインは静かに顔を上げる。
その先には──
まだ何も答えていない時也がいた。
微動だにせず、けれど確かに
彼の言葉のすべてを受け止めた者。
「キミが〝子羊〟じゃないっていうなら
それでもいいよ。
だけどさ
もし本当に違うって言い切れるなら──
どうして、ここに
〝封印の器〟ばかりが
集まってるんだろうね?」
その言葉に、空気が僅かに震える。
ソーレンが眉を顰め
アビゲイルの肩がわずかに揺れる。
「命を司る神である不死鳥
擬態の魔女、重力の騎士、植物の策士
加護と守護、腐敗と虫──
今やこの喫茶は
黙示録の台座みたいじゃないか。
あとは⋯⋯笛と雷と、星の落下を待つだけ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
時也は何も言わなかった。
けれど──
その沈黙は、拒絶ではなかった。
「だから、見届けたいんだよね、ボクは。
この場所で
最後の封印がどうやって解かれるのか。
その時〝子羊じゃない〟って言ったキミが
どう振る舞うのかを」
そう言って
アラインはゆっくりと席を立つ。
椅子が音もなく引かれ
黒いロングコートが微かに揺れた。
「⋯⋯ああ、それと一つ、伝えておくよ」
振り返らずに、足元に視線を落としながら
彼はまるで
舞台の幕引きを告げる俳優のように
声を落とす。
「〝封印〟は、いつだって
誰かの涙で解かれるものさ」
そのまま、音もなくリビングを後にする。
開け放たれた扉の隙間から流れ込む夜風が
桜の花弁を一枚だけ運んできた。
──それは
天使の目を伏せる瞬間に、静かに落ちた。