テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
朝、目を覚ました瞬間、違和感があった。
頭が、妙に重い。
手を伸ばして触れると、指先に伝わるのは温かい感触。
しかも、微かにぴくりと動いた気がした。
嫌な予感を覚えつつ、鉄板を磨いて作った即席の鏡を覗き込む。
そこに映っていたのは頭に、はっきりと生えた猫の耳だった。
思考が止まり、声も出ない。
見間違いではない。触れば動くし、感覚もある。
前例がない症状は、薬も作りようがない。
薬師としては興味深いが、この姿で人前に出るのは気が進まなかった。
とはいえ、直せない以上どうしようもない。
気づけば時間は過ぎ、慌てて着替え、翡翠宮へ向かう。
玉葉妃の前で挨拶をすると、彼女は一瞬目を見開き、すぐにこちらへ歩み寄ってきた。
そして、何の躊躇もなく耳に触れる。
「……っ」
触れられた瞬間、背筋を震えが走った。
頭だけでなく、身体の奥まで感覚が伝わり、思わず声が漏れる。
玉葉妃はすぐに手を離し、はっとしたように表情を曇らせた。
「大丈夫? 痛かったかしら?」
どうやら、苦痛の声だと思われたらしい。
それならそれで都合がいい。
「大丈夫です。不適切な声を出してしまい、申し訳ありません」
深く頭を下げる。
この後宮で、誤解から首が飛ぶのは御免だった。
そのまま部屋を辞し、侍女たちのもとへ向かうが、反応は同じ。
ああ、耳の存在を忘れていた。
触られる前に医局へ逃げ込む。
やぶ医者は驚いていたが、玉葉妃ほどではない。
「まあ、そういうこともあるだろう」とでも言いたげな顔だった。
いつものように薬研を回していると、聞き慣れた声が背後から降ってくる。
蜂蜜のように甘く、艶のある中性的な声。
振り向くと、壬氏が手を振りながら、天女のような笑みを浮かべていた。
そして、遅れて異変に気づいたのか、目を見開く。
「何だ、その耳は!」
答えようにも、こちらも何も分からない。
沈黙していると、壬氏は当然のように近づき、耳に触れた。
瞬間、全身が跳ねる。
先ほどとは比べものにならないほど、感覚が鋭く伝わる。
声が漏れそうになり、慌てて口を押さえる。
壬氏は不思議そうに覗き込んできた。
「どうした? 体調でも悪いのか?」
「だい……じょうぶ、です」
限界が近い。
背中に嫌な汗が滲む。
「本当か?」
「……はい」
心配する素振りを見せながらも、壬氏の手は離れない。
感触が気に入ったのだろう。
背後で高順が、いつも以上に深く眉間に皺を寄せているのが見えた。
次の瞬間、ついに堪えきれず、声が漏れた。
押さえた手のせいで、くぐもった音になる。
それに驚いた壬氏は、ようやく耳から手を離した。
「……すまない。触りすぎたな」
その言葉とは裏腹に、猫猫は耳まで真っ赤に染め、浅く息をついていた。
頭が熱い。鼓動が、やけにうるさい。
壬氏はその様子を見て、思わず一歩踏み出しかけ、すぐに踏みとどまった。
ふと背後に気配がないことに気づき、振り返る。
高順の姿は、いつの間にか消えていた。
相変わらず、空気を読むのがうまい。
そう思った次の瞬間、唇に柔らかな感触が触れた。
驚いて顔を上げると、そこには壬氏の顔があった。
どうやら、理性が追いつかなかったらしい。
猫猫自身も、耳に残る感覚のせいで判断が鈍っていた。
ほんの一瞬の迷いの後、背伸びをして、今度は自分から唇を重ねる。
――ガシャン。
背後で、何かが落ちる音がした。
振り返ると、やぶ医者が盆と、その上に載せた茶菓子と茶を床に落として立ち尽くしていた。
猫猫と壬氏の姿が、よほど衝撃だったのだろう。
口元を動かしながら、慌てて落としたものを拾い始める。
壬氏は名残惜しそうに視線を逸らし、どこか残念そうな表情を浮かべた。
「壬氏さま。……場所を移しませんか?」
一度では足りなかったのか、猫猫は静かにそう告げた。
その言葉を聞いた瞬間、壬氏の表情が分かりやすく変わる。
まるでどこかの駄犬のように、大型犬が尻尾を振っているかのようだった。
「……そうだな。そうしよう」
床に散らばったものを拾うやぶ医者を気に留めることなく、二人は部屋を後にした。
別室に入ると、壬氏は再び猫猫の耳に手を伸ばす。
突然だったため驚いたが、不思議と嫌ではない。
玉葉妃に触れられた時とは、明らかに違う感覚だった。
心地よさに戸惑いながらも、長く続けば自分がおかしくなりそうで、少し怖い。
好奇心旺盛な猫猫でさえ、そんなことを考えてしまう。
「……壬氏さま」
物足りなさを含んだ声で名を呼ぶと、壬氏は一瞬猫猫の顔を見つめ、そっと距離を詰めた。
再び唇が重なった瞬間、猫猫の思考は静かに溶けていった。
抑えきれないほどの心地よさに、身体が小さく痙攣する。
その微かな変化に気づいたのか、壬氏は猫猫を抱き寄せ、
近くにあった座布団付きの長椅子へと、慎重に腰を下ろさせた。
猫猫は一瞬の出来事に驚いたものの、壬氏を信頼していたため、抵抗することなく身体を委ねた。
壬氏は猫猫に食らいつくように、次々と服を脱がせていく。
身体のあちこちを触れられ、猫猫の感覚は次第に曖昧になっていった。
事前の準備を終え、壬氏が挿れようとしたその瞬間、彼の表情がはっと変わる。
事前の準備で何度も達していることは分かっていたが、先程の接吻の時点から、猫猫が甘くイッていたことに気づいたのだろう。
プチッ、と理性が切れる音がした。
猫猫がそれを察したときには、すでに遅かった。
壬氏は勢いよく、猫猫を貫いていた。
猫猫は今までにないほど大きな、甘い声を漏らす。
激しく腰を動かされ、思わず身体が浮いてしまった。
声が部屋の外に漏れてしまうことを恐れ、慌てて口を押さえる。
しかし壬氏は、その手をそっと外した。
「もっと、猫猫の声を聴かせてくれ」
壬氏も息を切らし、余裕のない声でそう言う。
柔らかい座布団が敷いてあっても、これほど激しく動かされれば腰に痛みが走る。
それに気づいた壬氏は、猫猫を抱え上げ、自分の方へと引き寄せた。
この体勢は、今までで一番深く入る。
強い快感と同時に、少しの恐怖も込み上げてくる。
それを承知の上で、壬氏はこの体勢を選んだのだろう。
再び激しく腰を動かされ、猫猫はまた甘い声を漏らしてしまう。
これまで、いったい何度達したのだろう。
とても、短い一日だった。
行為を終え、部屋を出ると、高順が廊下で待っていた。
猫猫は一気に現実へ引き戻され、恥ずかしさと申し訳なさが同時に込み上げ、頭がいっぱいになる。
一方の壬氏は、まるで全身が光っているかのように晴れやかな顔をしていた。
それほど満足したのだろう。
その様子を見た高順は、これまで見たことがないほど深く眉間に皺を寄せる。
猫猫は自分の腰のことも少しは気遣ってほしいと思ったが、口には出さなかった。
その時、背後から足音が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは玉葉妃だった。
いつもの柔らかな雰囲気はなく、はっきりとした怒りが滲んでいる。
その視線は、猫猫ではなく壬氏に向けられていた。
「……こちらへ」
短くそう告げると、玉葉妃は壬氏を連れて去っていく。
相当こっぴどく叱られるのだろう。
後ろで紅娘が、やれやれと言いたげに肩をすくめていた。
それから約二週間後。
猫猫の月のものが止まり、妊娠の可能性が浮上した。
まだ周期が不安定な時期ではあるが、猫猫はほぼ確信していた。
あの一夜を思い返せば、可能性は高い。
壬氏には、まだ伝えていない。
心配をかけたくないし、騒ぎにしたくもなかった。
水連には話してある。
仕事に支障が出る可能性を考えてのことだ。
最初は刺される覚悟をしたが、意外にも彼女は静かに受け止めてくれた。
さらに一週間後。
正式に妊娠が確認された。
出産は十か月先だというのに、壬氏はまるで今この場で生まれたかのように喜んだ。
最初は渋い顔をしていた羅漢も、事実を知ると態度を改め、素直に祝福してくれた。
そして十か月後。
元気な男の子が誕生した。
壬氏は妊娠が分かった時以上に喜び、猫猫も思わず涙をこぼす。
胸の奥から込み上げる感情に、言葉は必要なかった。
時が流れ、成長した子どもに、二人は馴れ初めを語っていた。
ふと、子どもが首をかしげて尋ねる。
「ねえ、妈妈。耳はどうなったの?」
「耳はね、一日経ったら消えていたんだよ」
不思議なことに、あの耳は翌日には跡形もなく消えていた。
調べられる限り調べたが、原因は分からなかった。
ただ一つ、有力だと言われた情報がある。
――二月二十二日、猫の日だったということ。
そんな馬鹿な話があるはずもないが、それ以外に説明はつかなかった。
「何の話をしているんだ?」
背後から聞き慣れた声がして振り返ると、そこには壬氏が立っていた。
仕事帰りなのだろう。
今では二人は婚約し、共に暮らしている。
「私たちの、これまでの話です」
猫猫はそう答え、穏やかに微笑んだ。
「そうか……これまで、本当にいろいろなことがあったな」
壬氏はそう言って、猫猫に穏やかな微笑みを返した。
「ええ。でも、今こうして平和に暮らせている。それが何より嬉しいです」
猫猫はそう答え、我が子の頭を優しく撫でる。
子どももそれが嬉しいのか、壬氏と猫猫を見上げて、にこりと笑った。
この穏やかな日々が、これからも続いていくように。
同じ想いを胸に抱きながら、壬氏と猫猫は今日という一日を静かに過ごしていった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!