コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それから二十分が経過して、時計の針が八時を指した頃、ようやく須藤さんと彼の同僚二人がやって来た。
「お疲れさま」
須藤さんはとっても魅力的な微笑みでそう言ったんだけれど。三十分以上待たされ、すっかり機嫌を損ねてしまった沙希と美野里はしらけた視線で彼らを迎えた。
「お疲れさまです。すみません先にドリンクと軽いおつまみ注文しちゃいました。予約から大幅に時間が過ぎてしまっていてお店にも悪いと思ったので」
沙希がテーブルの上の三つのドリンクとチーズ盛り合わせに目を向けながら言ったんだけど……怒りが滲んだ結構棘の有る発言に私はハラハラするのを止められない。
まだ始まってもいないのに、和やかさとは程遠いこのムードは辛すぎる。
確かに大分待たされたけど……連絡も無かったから心配したけど……不安になったけど。
散々待たせたところに、悪びれずにやって来て一言の謝罪も無いのもどうかと思うけど。
沙希と美野里が怒るのはとっても良く分かるけど、どうか水に流して欲しい。
先週の大樹達との飲み会みたいに、楽しい雰囲気で過ごしたい。
どうなるかと不安でいっぱいだったけれど、須藤さんは沙希の嫌味に気付かなかったのか、何事も無かった様に空いていた真ん中の席に座り、さっとメニューに手を伸ばした。
さらっと素早く内容を確認した須藤さんは、その整った顔を曇らせ、ハアとため息を吐いた。
「やっぱり日本の店はどこも同じ様なものだよな」
がっかりしたその様子に私の隣に座る沙希がピクリと反応する。
「何か問題ですか?」
沙希が冷ややかに須藤さんに問いかける。須藤さんは苦笑いを浮かべた。
「問題って訳じゃないけど俺の満足する内容じゃないな。まあ日本じゃこれが普通みたいだけど」
……俺の満足する内容ってどういったものなんだろう? それにさっきから“日本じゃ……”って言ってるのは?
須藤さんは何年かアメリカ支社に居たから、アメリカのお店と比べてるのかな?
私は自分の手元のメニューをぺらっと捲った。
温野菜、魚料理、肉料理。それぞれ10種類は有り、他に主食系のメニューも有る。
お酒もワインから、カクテルまでズラッと豪華に揃っていて、凄く充実した内容だと思うんだけどな。
私はアメリカのお店に詳しくないけど、がっかりする程差が有るとは思えないんだけど……。
須藤さんは不満そうにしながらも同僚の二人と一緒にオーダーを決めて行く。
私達も須藤さん達が来る前に三人で相談していたものを注文する。
須藤さん達のお酒が届き乾杯し、ようやく私が最高に楽しみにしていた飲み会が始まった。
私はちらりと須藤さんに目を向ける。
ワイングラスを口に運ぶ姿。よく煮込まれたビーフシチューを味わった後、満足そうに頷く姿。
隣に座る同僚に何か話しかけられ軽く笑う姿。
ああ……何をしていてもカッコイイ。
大人の男の魅力をひしひしと感じる。
うっとりしていると、右隣に座っている沙希がこっそり耳打ちしてきた。
「見とれてる場合じゃないよ。話しかけなよ」
そ、そうだった。沙希に現実に戻して貰った私は、かなりドキドキしながら須藤さんに声をかけた。
「須藤さん」
隣の同僚に向いていた須藤さんの視線がゆっくりと私に向く。
まともに目が合い、身体中の熱が一気に集まったっていう位、カーッと顔が熱くなった。
これは間違いなく真っ赤になっている。良かった、お店が暗くって!
二十五歳にもなって会話くらいで真っ赤になるなんて、逆にひかれてしまいそうだものね。
心の中でこの店を選んでくれた沙希に感謝しながら、私は須藤さんに絶対言おうって決めていた言葉を口にした。
「須藤さん、この前はありがとうございました。大事な電話だったので助かりました」
須藤さんが私宛の電話を取ってくれた時、緊張のあまり愛想の無い態度を取ってしまったのを後悔していたから、あの時の事を仕切りなおすべく、頭の中で何度も練習して来た台詞だった。
きっと須藤さんは優しく笑って「どういたしまして」と言ってくれると思う。
そうしたら、もっと会話を広げて、だんだんとプライベートな話題に移って……そんな期待をして返事を待っている私に須藤さんが見せたのは、怪訝な顔だった。
この人何言ってるの?って感じで、とても「どういたしまして」なんて台詞が出て来る気配が無いような……。
少しの沈黙の後、須藤さんが苦笑いになった。
「ごめん。何の話だっけ」
「えっ?」
私は思わず馬鹿みたいにポカンと口を開けた。
こ、これは予想外。
まさかこの前の会話をすっかり忘れられているなんて。
ど、どうしよう……この場合なんて返せばいいの?
「須藤さんが花乃宛の電話の伝言をしてくれた事ですよ」
口ごもる私を見かねたのか、美野里が助け舟を出してくれるた。
須藤さんは少し考えたあとに「ああ」と納得顔で頷いた。
良かった、思い出してくれた。
そう思った私は、続いた須藤さんの言葉に再び固まってしまった。
「あの客……若生屋だっけ? 大した売上額でも無いのにやたら手がかかって面倒な客だよな」
「……え?」
「青山さんも大変だろ?うるさく文句ばっかり言われて。その割には実績に結びつかないし、馬鹿馬鹿しくなるだろ? だいたいさ~」
「あ、あの……」
延々と続く須藤さんの話を私は思わず遮ってしまった。
「何?」
須藤さんが私をじっと見つめている。憧れの人に正面から見つめられて動揺してしまう。
でも、それだけじゃなくて、私は須藤さんの発言にもかなり衝撃を受けていた。
「あ、あの若生屋さんは確かに細かい顧客なんですけど、その分もう何年もうちの商品を注文してくれているし、融通を利かせてくれることも時々は有るんですよ。確かに売上高は顧客の中で上位じゃ有りませんけど、そんなに悪いお客さんじゃないと思うんです……」
あれ? 私、どうして須藤さんに反論してるの?
しかも、こんな時に必死に仕事の話なんてしちゃってるの?
発言した途端にしまったと思ったけれど、どうしても黙っていられなかった。
若生屋さんは私が入社した頃から担当している。
大切な仕事だと、今まで自分なりに一生懸命取り組んでいたからか、馬鹿馬鹿しいって言われてしまいショックだった。
それに、須藤さんってそんな発言をする人だって思ってなかったし。
彼はうちの部署のメイン顧客の案件をいくつも抱えているけれど、小さな仕事も馬鹿にしないで全力で向き合う。そんな人だと思っていたから。
「どうしたの? ムキになっちゃって」
須藤さんが苦笑いを浮かべて言う。
「あ、すみません……本当、何、ムキになってるんですかね、私」
ハハッって笑って誤魔化したけど、何だか胸がモヤモヤとして、その次の楽しい会話が口から出て来なくなってしまった。
それから会話上手の沙希がそつなく話題をふり、須藤さんと彼の同期の男性達も口数が多くなり、そこそこ盛り上がっては来た。
でも……私はなかなか会話に入り込めなくてちょっとアウェーな気分。
美野里が時々私に話を振ってくれてその度に頑張って発言はするんだけど、私の話は須藤さんの心に響かないのか、薄い反応しか見せてくれないし、酷いとスルーされてしまう。
私って、須藤さんと相性悪いのかな?
私の話が洗練されてなくてつまらないってだけじゃなく、私自身が須藤さんの話にちょっとついていけないと感じるところが有る。
「加藤って本当につかえなくてさ」
少し酔いが回って来たのか、須藤さんが愚痴を言いだした。
ちなみに加藤さんとは、須藤さんのアシスタントの女性だ。
目立つ人じゃないけど、コツコツと慎重に仕事をする真面目な人なんだけどな……使えないって言い方は酷すぎないかな?
須藤さんの愚痴を聞いているのが辛くて、私は小さな溜息を吐いた。
私……須藤さんと初めてまともに話をしてみて、自分が抱いていた彼のイメージと、現実の姿のギャップに戸惑ってしまっている。
須藤さんだって人間なんだから愚痴を言うのは当たり前だ。
でも私の頭の中の理想化した須藤さんは顔を歪めて人の悪口を言うことなんて決して無いから、その落差についていけないんだ。
こんなの私の我が侭だって分かってる。
勝手に理想を作り上げて、実際は違うからってがっかりしてるなんて。
……このままじゃいけない!
悶々と悩んでいても仕方無いし、一度席を外して気分転換して来よう。
ちょっと時間が経ってから戻れば些細なことなんて気にならなくなるかもしれない。
せっかくの須藤さんとの飲み会は楽しく終らせたい。
私はそっと席を立ち、お店の端に有る化粧室へ向かった。