「オリオンさまが……、ロザリーの婚約者?」
ルイスの心音がバクバクと鳴っている。
やはり、聞き覚えのある貴族の名が出て、しかも恋敵であると告げられたら動揺もするだろう。絶望したかもしれない。
「あなたが仕えていた、あの”オリオン”さまよ」
私は再度オリオンの名を出した。
ルイスは動揺を落ち着けようと、首を横に振り、現実逃避をしていた。
「ライドエクス侯爵家なら、ロザリーを託せる。そうお前の親父は判断したんだな」
「うん」
ライドエクス侯爵家のことは私よりもルイスの方がよく知っている。
当主であるカズンに、ルイスはとても気に入られている。
現に、士官学校の授業料や生活費を支援して貰っているし、時折、共に食事をしているとか。
「広間でオリオンさまに会ったわ」
「まさか、婚約のことは発表されてないよな!?」
「それは私が先延ばしにしたわ。安心して」
「ロザリー、正直に話してほしい。お前、オリオンさまに何もされてねえよな? そ、その……、抱きしめられたり、き、キスされたり――」
「一曲ダンスをしただけよ」
「だ、ダンスか……。お披露目パーティだもんな。社交ダンスはあるか」
私の回答を聞き、ルイスはほっとしていた。
心音も落ち着いてきている。
「私は、ルイスと踊りたいなって思ってた」
「お前が望むなら、何度でも相手をしてやる」
ルイスは私から離れ、ソファから立った。
そして、部屋に飾られている緑色のドレスに近づく。
「これを着て、オリオンさまと踊ったのか?」
「うん。綺麗なドレスよね」
「ああ」
ルイスはぐるりとドレスを観察した。
その間、私はドレスを脱いだことを後悔していた。
ここまでルイスが関心を持つのならば、着替えるのを少し我慢していればよかった。
「二つ目の問題は……、婚約者のこと」
「オリオンさまはお前のこと、どう思っているんだ?」
「私のこと……、好きなんだと思う。幼いころから私の存在を教えられて育ったらしいから。憧れも入っているかもね」
「俺の想いはそれよりも強いぞ。六年ものだからな」
私もソファから立ち、ルイスに近づく。
ルイスは私を抱きしめ、頭を優しく撫でてくれた。
「お父様の口から婚約者の存在を告げられたら、もう覆すことはできない。そうなったら私は身分を捨てるしか、ルイスと一緒に居られる方法はないわ」
「……それは最後の手段だよな」
「お父様は私を失うことを一番に恐れている。今だって、血眼になって私の行方を追っているだろうし、主犯であるグレンを恨んでいると思うわ」
「駆け落ちするとなったら、もうメヘロディ王国にはいられないな」
「私は、それよりも失敗することが怖い」
私は顔を上げ、ルイスを見つめる。
グレンはカルスーン王国の第五王子のため、私が誠意をもってアンドレスに謝れば、謝罪文の一つだけで収まるだろう。
しかし、ルイスの場合はそうはいかない。
捕まったら即刻、死刑だろう。
「なら、俺はこの一年、何をすればいいんだ?」
「騎士になってほしいの」
「それだけでいいのか?」
「うん」
ルイスは私と一緒になる方法を訊ねてきた。
二つの問題を伝えた私は、彼にその方法を伝える。
「大事なのはそのあとだから」
「俺が騎士になった後……、フォルテウス城で騎士勲章授与式があって――」
「そのあとの夜会で、私がルイスのパートナーとして出るの。それで、皆の前で私が『ルイスと結婚する』と発表するだけ」
「……それで上手くいくのか?」
「民衆に聞こえればいいの。授与式の夜会は平民の参加者もいる。その人の耳に入れば、私とルイスの関係は一気に世間に広まる」
私は、アンドレアスでもなく、他の貴族でもなく、民衆を頼ることにした。
彼らは貴族関連のゴシップが大好きだ。
そこに私とルイスの関係を流したら、アンドレウスが箝口令を敷く前に情報が一気に広まり大騒ぎとなるだろう。
そうなれば、アンドレウスも私とルイスの結婚を認めてくれるはず。
私の結婚相手が貴族オリオンではなく平民のルイスであると意思表示すれば、権力を自分から捨てるのだと周辺貴族に認識され、彼らから命を狙われると怯えることなく生活できるだろう。
「王妃様だったら、許してくれないだろうけど、それ以外は一方の派閥に力が偏ることが気に食わないだけ。ライドエクス侯爵家は騎士の家系で、軍備を取りまとめているでしょう?」
「カズンさま、食事を摂りながら、芸術ではなく軍備に力を入れるべきだと俺に思想を押し付けるくらいだからな。もっと推し進めたいんだと思うぜ」
「それが私とオリオンさまの結婚で叶うの。逆にそうならなかったら叶わない」
現状、タッカード公爵家を筆頭とする保守派の法案が多く通っている。
軍備に力を入れたいライドエクス侯爵家は不満に思っているだろう。
「そう考えたら、ロザリーを暗殺しようとしているのは、保守派の方だよな」
「……そうなんだけど、主犯格はタッカード公爵家ではないと思うの」
もし、主犯格がタッカード公爵家であれば、私はとうにこの世にはいない。
クラッセル子爵家とタッカード公爵家には”故クラッセル夫人”という繋がりがあるからだ。
縁は切れているとマリアンヌは言っていたが、クラッセル子爵が首都の演奏会に呼ばれたり、複数の裕福な家庭の生徒を持てるのはタッカード公爵家の援助があるからではないかと私は思っている。
タッカード公爵家であれば、私の存在は耳に入っていただろうし、クラッセル子爵家の養子になった時点で、何らかの形で暗殺されていただろう。
だったら、誰が私の命を狙っているのか……、犯人の検討もつかない。
「よし、決めた」
ルイスは私の両肩に手を置き、向き合う形で立った。
「俺、一年間、ロザリーを殺そうとしている犯人を探ってみる」
「だめよっ! ルイスの身に危険が――」
「自分の身は自分で護れる。剣も体術もカズンさまに仕込まれてるし、毒物だって耐性がある。致死量飲まなければ、死ぬことはない」
「でも……」
ルイスは強い。
背も高く、体格にも恵まれている。
並みの大人はすぐに倒してしまうだろう。
剣技については、実際に見たことがないから分からないが、ライドエクス侯爵家の当主が気に入るくらいには強いのだと思う。
まさか、日頃から少量の毒物を摂取し、耐性をつけているとは思わなかったけど。
ルイスであれば、多少の危険は一人で乗り超えられるかもしれない。
「ロザリーが俺のことを心配してくれる、それだけで嬉しいよ」
「……私が何を言っても無駄ね」
「ああ。一年間、ただ待っているのは嫌だ」
ルイスの唇が私のそれに触れる。
初めは優しく、次は強く。
呼吸をするごとに、ルイスは私を求めるような激しいキスをした。
「本当は、このまま攫ってしまいたい。二人でトキゴウ村に帰って、あの小屋でのんびり暮らしたい」
ルイスと唇を重ねる度に、私の頭には彼と共に暮らす妄想が浮かぶ。
寝食を共にして、左の薬指には揃いの指輪を付けて、幸せに過ごすのだ。
「ルイス……」
いつの間にか、ルイスは私を幸せにしてくれる大切な存在になっていた。
名前を口にするだけで、胸が張り裂けそうになる。
キスをするだけで、自分がメヘロディ王国の王女だということ、命を狙われていること、オリオンという婚約者がいるという不安や心配も吹き飛んでしまう。
「俺の”ロザリー”だ。お前の命を狙う奴は絶対に許さねえし、相手がオリオンさまであろうと、絶対に渡さない」
ルイスは私を強く抱きしめ、決意を口にした。
私は彼の胸の中、それを聞く。