テラーノベル
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「おはよう。」
「おはよ。」
「おはよ~。」
3月に入って、やっと少しずつ春らしくなってきた今日この頃。
それでも朝は少し冷え込み、まだ暖房が必要な日が続いていた。
「涼ちゃん、暖房つけてえ。」
「は~い。」
そう言って、涼ちゃんは抱き着いていたぼくの腕から片方だけ手を離してリモコンを手探りで探し、ピッとボタンを押した。
「今日なにするー?」
ぼくの首元に顔を埋めていた若井が顔を上げて、そう聞いてくる。
若井の唇がちょうど耳に触れるくらい近くて、寝起きの低く落ちる声と温かい息が、ぼくの心臓を容赦なく跳ねさせた。
「二人ともなにも予定ないなら、デートしない~?」
涼ちゃんはそう言いながらリモコンを置くと、また布団の中に腕を戻し、今度はぼくの指をそっと絡め取った。
あまりにも自然なその仕草に、反射的に握り返すと、涼ちゃんが目を細めて微笑む。
「いいね、行こうよ。デート。 」
若井も、涼ちゃんの提案に柔らかく笑った。
今日も朝から二人にはドキドキさせられっぱなしだけど、二人の温度と笑顔に包まれて、心までぽかぽかになり、
“デート”という三文字が、まるで小さな春みたいに胸に咲いていく。
「デート…したいっ。」
そう口にした瞬間、頬がじんわり熱くなって、ぼくも自然と笑顔が溢れた。
・・・
「どっか行きたいとこあるー?」
若井が、たっぷりとバターが塗られたトーストをかじりながら、ぼくと涼ちゃんを交互に見た。
ぼくはその問いかけに少し焦げてるスクランブルエッグをつつきながら『うーん。』と悩んでいると、涼ちゃんがマグカップに入った温かいスープを一口飲んでから、口を開いた。
「ぼく、観たい映画があるんだよねぇ。」
そう言って、涼ちゃんはスマホを軽くタップして、映画のポスターの画像をぼくたちに見せてきた。
それは、最近テレビCMで流れていた、話題の作品だった。
「え、観たい!」
実はぼくも気になっていたので、直ぐに食いつくと、若井も『いいね!おれも観たいと思ってた。』と言ってニカッと笑った。
こうして、ぼく達の記念すべき初めての“デート”は映画に決定した。
・・・
朝ご飯を食べた後、若井がネットで席を取ってくれて、ぼく達は上映時間に間に合うようにして、出掛ける準備を始めた。
──数十分後。
「…いってきます。」
玄関で若井が、手のひらを軽く合わせる。
涼ちゃんがそれを見て、くすっと笑った。
「若井、旅行から帰ってきてから、それやり始めたよね~。」
「あ、それ。ぼくも思ってた。」
ぼくが家を出る時にやってる、手を合わせる習慣を、 どんな心境の変化があったのか、若井も最近こっそりやり始めていた。
気が付いてはいたけど、(若井もやり始めたんだー)くらいにしか思っていなかった。
だけど、今日初めてそれを涼ちゃんにつっこまれて、若井は少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
「い、いいじゃん。別にっ…」
若井はそう呟くと、ぼく達の視線から逃げるように、さっさと外に出ていった。
「ふふっ。僕達も行こっか。」
「ふふっ。そうだね。」
「「いってきます。」」
ぼくと涼ちゃんは顔を見合わせ、小さく笑うと、二人一緒に手を合わせてから玄関を開けた。
家の門の所で石ころを蹴飛ばしていた若井と目が合う。
鍵の施錠は涼ちゃんにお任せして、ぼくは駆け足で若井に近付くと、若井の腕にぎゅっとしがみついた。
「へへっ、なんか嬉しい! 」
思わず声が弾んでしまう。
若井は一瞬きょとんとして、それからまた頬を赤くした。
「…なんかってなんだよ。」
「分かんない!でも、なんか嬉しいのっ。ね?涼ちゃん。」
「うん、なんか嬉しいよねぇ。」
“なんか”がなにかって聞かれても、分からないのだけど、胸の奥でぽかぽかする感覚が確かにある。
言葉には出来ないけど、嬉しくて、涼ちゃんに同意を求めると、涼ちゃんも同じ言葉を笑いながら返してくれた。
そんなぼく達を見て、若井は『なにそれ。』と言ったけど、結局若井もつられて笑顔になっていた。
「さっ、行こ行こ~!せっかく席取れたのに、時間間に合わなくなっちゃうよ。」
一瞬、ふんわりとした空気が漂ってきたけど、急かすような涼ちゃんの声がそれをかき消していく。
「席取ったのおれだけどねー。」
涼ちゃんの言葉に、少し意地悪そうな笑みを浮かべて歩き始める若井。
「あはっ、そうだった~。若井ありがとぉ。」
そんな若井に、へらっと笑いながら着いていく涼ちゃん。
“友達”から“恋人”に変わった今も、若井と涼ちゃんが前と変わりなく笑いあってるのが、ぼくは嬉しくて二人の少し後ろを眺めながら歩く。
二人で、ああだこうだと話しながら楽しげに歩いていたと思ったら、しばらくして、二人同時にくるっとこちらを振り返った。
「元貴なにしてんのー?置いてくよ?」
「早くおいでぇ。」
二人の笑顔が、お日様の光に溶けるようにまぶしかった。
「…うんっ。」
ぼくは思わず駆け足で、その温かい輪の中に飛び込んだ──
・・・
映画館の1番後ろの席。
上映期間が終わりかけだからなのか、お客さんは疎らで、ぼく達の周りに、他のお客さんは座っていなかった。
売店で買ってきたLサイズのポップコーンは、真ん中に座ったぼくの前に置かれ、それぞれコーラは肘掛のドリンクホルダーに収まっている。
少し小声で『楽しみだね』と笑い合いながらポップコーンをつまんでいると、館内がすっと暗くなり、スクリーンの光だけがぼんやりとぼく達の横顔を照らした。
映画が始まってしばらく。
右手を伸ばしてポップコーンを取ろうとした瞬間、隣の涼ちゃんの手とぶつかった。
『あっ。』と反射的に引っ込めようとするより早く、その指を涼ちゃんが絡め取って、肘掛けの上でそっと握る。
心臓が跳ね上がり、慌てて涼ちゃんを見るけど、彼はまるで何事もなかったかのように前を向いたままだ。
声を出すのも憚られる静かな館内で、“離して”と視線で訴えても、涼ちゃんの指先はほんの少し強くぼくの手を握り返すだけ。
離してくれそうにない涼ちゃんに、小さく息を吐き、今度は左手でポップコーンを掴もうと動かしたその時──
こてん、とぼくの左肩に若井の頭が寄りかかってきた。
まだ映画の序盤にも関わらず、寝てしまったのかと慌てて若井の顔をちらりと見るけど、その目はしっかり開いていてスクリーンを捉えている。
(なんなの?!二人とも…!)
右からは涼ちゃんの温もり、左からは若井の体温。
スクリーンの音が遠くなるくらい、ぼくの鼓動だけがやけに大きく響いていた。
涼ちゃんの指先が、握った手の中でゆっくりと動く。
なぞるように、撫でるように──その度に、掌から腕へと熱が広がっていく。
映画の音楽なんてもう耳に入らない。
さらに追い打ちをかけるように、若井が肩に預けてきた頭の重みが、じわりと近づく。
耳元にかかる息がくすぐったくて、思わず首をすくめると、今度は若井の低い声が囁いた。
「……いい匂い。」
背筋を、静かな波が駆け上がる。
その動揺を隠すように、ポップコーンをつかんで自分の口に運ぼうとした瞬間──
左から伸びてきた若井の手が、ぼくの手首をふわりと捕まえる。
そのまま引き寄せられ、ポップコーンごとぼくの指先が若井の唇に触れた。
「…っ……」
一瞬だけ触れた温もりに、呼吸が止まる。
若井は何事もなかったかのように前を向き、もぐもぐとポップコーンを噛みしめる。
なのに、ぼくの指先にはまだ、熱が残っていた。
横を見ると、涼ちゃんは涼しい顔でスクリーンを眺めている。
けれど握った手の中では、さっきよりも少しだけ強く、指先を絡めてきた。
映画を観に来たはずなのに──
映っている物語より、隣の二人の方がずっと近くて、甘くて、ぼくの心を占めて離さなかった。
・・・
「すっごく面白かったねぇ。」
「ね!あそこで主人公がさ──…」
「分かる分かる!あそこヤバかったよねぇ……って、元貴どうしたの?」
映画が終わり、内容について盛り上がっている二人。
そんな二人をぼくはキッと後ろで睨みつけていると、涼ちゃんが振り返って、わざとらしくぼくに話し掛けてきた。
「…もうっ、二人と映画観に来ない!」
そう言って頬を膨らませるぼくを見て、二人は『ごめんごめん』と言うけど、本心では“ごめん”なんて思ってない事はバレバレだ。
「絶対ごめんなんて思ってないでしょ?!」
「いや、思ってるよ~?思ってるけど、元貴の反応が可愛くてさぁ。」
「そうそう。」
「そうそうじゃなーい!特に若井!若井のせいでポップコーン全然食べれなかったしさあ!」
「そんな怒るなって。ほら、ポップコーンならまだ残ってるじゃん。」
若井がそう言って、ポップコーンをひとつつまむと、今度はぼくの口元に持ってくる。
『あーん』なんて小声で囁かれて、周りに人がいるのに顔が一気に熱くなる。
「…っ、自分で食べられる!」
そう言いつつも、差し出されたポップコーンをつい口にしてしまうと、若井は満足げに笑う。
「はいは〜い、僕もぉ。」
涼ちゃんも同じようにぼくの口元へポップコーンを差し出してきて、二人の視線に挟まれて心臓がまた落ち着かなくなる。
「……やっぱり、二人とは映画観ない。」
そう呟いて前を向くと、背後からくすくす笑い声が追いかけてくる。
まるで、次はどこで捕まえられるのか分からないみたいに、今日は二人にからかわれ続けられる予感しかしなかった…
その後、ぼくの希望でお昼はパスタを食べて、ほんの少しだけ気分がよくなったぼくは、そのまま近くのショッピングモールに三人でやってきた。
洋服を見たり、靴を見たり、アクセサリーを見たり…
何か買う訳ではないけど、ショップに入ってはお互い似合うのを探したり、気に入った物を合わせて笑い合ったりして、ゆっくりと楽しい時間を過ごしていた。
いくつかお店を回ったあと、ふと雑貨屋の棚の前で足が止まる。
そこにあったのは、3つセットで一つの形になるシンプルなシルバーのキーホルダーだった。
「なんかいいのあった?」
背後から若井の声がして、ぼくの視線を追った彼が『お』と小さく声を上げた。
そして、少し離れたところに居た涼ちゃんを呼ぶ。
「なになに〜?」
「これ、可愛くない?」
「え〜、可愛い!3つで1つなんだ〜。僕達みたいだねぇ。」
若井が指差した先を見て、涼ちゃんは嬉しそうにそれを手に取る。
『ねっ』と笑ってぼくに向けられた瞳がまっすぐで、思わず視線をそらしてしまう。
それでも小さく『うん』と頷くと、若井がさらっと口を開いた。
「じゃあさ、おれと涼ちゃんから、これプレゼントするよ。」
「え。」
「いいねぇ。初デート記念って事でね。」
「…あと、映画邪魔しちゃったお詫び。」
「…いいの?」
「元貴、ちょっと待ってて。」
「いってくるねぇ。」
若井と涼ちゃんはそう言うと、そのキーホルダーを持ってお店のレジへ向かっていった。
「はいっ、どうぞ~。」
「…あ、ありがと…!」
数分後、お会計を済ませた二人が戻ってきて、差し出されたのは、3つセットのうちの真ん中のキーホルダー。
若井は『じゃあ、おれは左のかなー』、涼ちゃんは『僕は右のね〜』と自然に分け合い、二人とも目を細めて笑う。
「…付けてもいい?」
ぼくが少し遠慮がちにそう言うと、二人は『もちろん!』『付けよ付けよ!』と声を揃えた。
そして三人で近くのベンチに座りながら、それぞれのカバンにお揃いのキーホルダーを取り付ける。
カチリと小さな音がした瞬間、まるで三人の距離までぴたりと繋がったような気がして、胸の奥がじんわりと温かくなった。
三人でカバンにキーホルダーを付け終えると、ぼくは自然とその銀色の輝きを何度も見てしまった。
一つだけだと歪で何の形か分からないのに、左右の二つがぴたりと寄り添えば、ちゃんとひとつの形になる。
──さっき涼ちゃんが言った通り、まるでぼくらみたいだ。
「おそろいって、なんかいいね〜。」
涼ちゃんがそう呟くと、若井がにやっと笑って『無くすなよ?』とぼくを見た。
「…無くさないよ。」
ちょっとむくれた声で返したつもりが、二人ともくすっと笑った。
その後もモールの中を歩きながら、ガラスに映る自分のカバンをちらちらと確認してしまう。
小さなキーホルダーなのに、付いているだけで胸の奥がふわっとあたたかくなる。
多分それは、この銀色のせいじゃなくて──
ぼくの両隣で、当たり前みたいに歩く二人のせいなんだと思う。
やがて外に出ると、夕方のオレンジ色の光が差し込んできた。
キーホルダーがその光を受けてきらりと光る。
ぼくは、ほんの少しだけ歩調をゆるめて、二人の背中を並べて眺めた。
「…ねぇ、また来ようね。」
声に出したら、二人ともすぐに振り返って笑った。
「もちろん!」
「約束ね~!」
夕陽に照らされた三人の影が、ぴったりとくっついて伸びていった──
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