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バイトが終わるころには、商店街の灯りもだいぶ少なくなっていた。
店の裏口から出たらんは、肩をぐるりと回しながら欠伸をひとつ。
「……疲れた」
夜風は冷たく、少し肌に刺さる。
早く帰って風呂に入って寝たい。
そう思って歩き出した――その時だった。
「……ッ、にゃ……」
掠れたような細い声が、静かな路地に落ちる。
らんは足を止める。
無視できる性格ではない。むしろ、余計なものを拾ってしまいがちである。
声の方へ顔を向けると、薄暗い街灯の下。
コンビニの側道に置かれたダンボールが、小さく揺れた。
箱の隙間から覗いたそれは、
――暗い紫みたいな、不思議な毛色。
――夜の中でもよく光る、金色の瞳。
「……お前、変わった色してんな」
そう呟いた瞬間。
「――シャッ!!」
牙が見えた。
背中の毛を逆立て、体を膨らませ、精一杯の威嚇。
小さいくせに、必死に強く見せようとしている。
「こわ……いや、まあ、お前も怖いよな」
らんは苦笑する。
濡れたダンボール。
震える体。
なのにまだ睨む強い目。
弱いくせに、負けたくない顔。
放っておけるわけがない。
「悪いな。俺、こういうの見過ごせねぇんだわ」
そっと手を伸ばすが、猫は再び牙を剥く。
らんは大きく息を吐き、無理やりつかむことはしなかった。
かわりに、ダンボールごと抱き上げる。
「病院、行くぞ。嫌でも我慢しろ」
猫は箱の中で身を丸めたまま、なおも睨み続けた。
夜間もやっている動物病院。
診察台の上でも、その猫は目を離さない。
先生が触ろうとするたび、鋭い声が響いた。
「ッシャアア!!」
「なかなか気の強い子ですねえ……」
「すみません、押さえます」
らんがそっと両手で体を支え、動かないように守る。
それでも猫の体はずっと緊張していて、注射針が刺さる瞬間まで、金色の瞳は鋭いままだった。
けれど――
終わって、包帯を巻かれ、タオルで包まれたあと。
少しだけ、ほんの少しだけ。
その瞳から刺々しさが消えたように見えた。
「偉いな。ちゃんと耐えたじゃねぇか」
らんが低く優しく言うと、猫はわずかに視線を逸らす。
負けたくない子供みたいで、それが不思議と、らんには愛しく思えた。
「今日から、うち来い。……嫌なら噛んで逃げてもいいけどな」
返事はもちろんない。
じっと睨まれている。
「名前……」
少し考えて、ぽつりと呟く。
強くて、鋭くて、でも守ってやりたくなるような名前。
口にした瞬間、しっくりきた。
「いるま」
猫は視線だけを動かし、らんを見た。
それだけで、らんは満足したのであった。
問題はここからだった。
皿に餌を盛り、そっと近くに置く。
けれど、いるまはピクリとも動かない。
じっとらんを睨んだまま、体を動かさない。
「……食えよ。腹減ってんだろ」
返事は沈黙。
威嚇もしない。
ただ、相手をずっと警戒してる目。
らんは不器用に頭を掻いた。
「信用ねぇよな。……まあ、いいや」
自分のベッドに横になりながら、 ちらちらと猫の方を気にしてしまう。
しばらくして。
部屋の灯りだけが静かに落ちた頃。
らんが寝息を立て始めていた。
布の擦れる音、そして――小さな、かすかな食べる音。
かり、かり、かり
いるまは、らんの寝顔を確認しながら、
恐る恐る皿へ近づき、ようやく餌に口を付けていた。
誰も見ていないと分かったときだけ、 少しだけ心を解いたみたいに。
その様子を、寝返りを打ったらんが一瞬だけ薄目で見ていた。
「……食ってんじゃねぇか。かわいいやつ……」
そして部屋には、 新しい静かな夜が訪れていた。