アリアも——
そして
産まれたばかりの娘達も——
誰一人として
不死鳥の呪縛からは
逃れられないのか。
胸に
重い鉛が沈み込むような感覚が
時也の心を支配していた。
(⋯⋯なんて、ことだ⋯⋯)
時也は必死に、否定しようとした。
だが
アリアの心を通して
不死鳥の嗤う声が
耳の奥で不快に響いていた。
冷たく、耳障りな音だった。
《クク⋯⋯ギギャギャ⋯⋯》
その声が
時也の鼓膜を揺さぶる度
胸の奥が鈍く痛む。
「⋯⋯っ」
目を閉じ
こめかみを押さえながら
時也はゆっくりと息を吐いた。
胸の痛みは
先ほどから続いている。
刺すような痛みではなく
重く圧迫されるような苦しさ。
(⋯⋯もしや
これも不死鳥の仕業、か⋯⋯?)
考えが頭を過ぎる。
不死鳥が
アリアの絶望を糧とするならば——
その絶望を引き起こす為に
自分が標的になっている可能性は高い。
ー時也が死ねば
アリアはどれほど悲しむだろうー
不死鳥がそう考えていても
何らおかしくはなかった。
——だが、今は。
今はその事を
アリアに悟らせる訳にはいかない。
彼女は今
不死の呪縛からも逃れられず
産まれたばかりの娘達が
〝呪われた〟と知ったばかりだ。
これ以上
彼女を絶望させてはならない。
その絶望こそが
不死鳥の力となるのだから——。
時也は
自らの胸に疼く痛みを
息と共に吐き出すように誤魔化した。
ー恐怖を、見せるなー
彼は顔を上げ
できる限り穏やかな笑みを作り
アリアの横顔に声をかけた。
「アリアさん
どうか⋯どうか、今は⋯⋯
休んでください」
アリアは動かなかった。
項垂れるように座り込み
深紅の瞳は焦点を失っていた。
時也はその手にそっと触れ
静かに指を絡める。
「焦っても
何も解決しませんよ⋯⋯ね?」
優しく、柔らかく。
けれど、彼の声の奥には
張り詰めた緊張が隠れていた。
「⋯⋯落ち着く香でも、焚きましょう」
時也は
そっとアリアの肩を押し
横になるよう促した。
アリアは抵抗するでもなく
されるがままに身体を横たえた。
彼女の睫毛は静かに震え
僅かに唇が動いた。
「⋯⋯時也⋯⋯」
その声は
消え入る程に小さかった。
まるで
今にも崩れ落ちそうな
細い糸のようだった。
「⋯⋯大丈夫です。僕がいますから」
時也はそう答え
アリアの髪をそっと撫でた。
⸻
時也は
双子の産着を丁寧に整え直した。
布がずれないように
そっと掌で撫でながら
ふたつの小さな顔を交互に見つめる。
赤子達は
どちらも静かに眠っていた。
呼吸は浅く
時折唇をちゅくちゅくと動かす。
「⋯⋯アリアさんが
命懸けで守ってくれた命です」
時也は
まるで宝物を抱くように
双子をそっと抱き上げた。
「さぁ。
向こうで父が
貴女達に名を差し上げましょう」
時也は、柔らかく赤子達に話しかける。
(——その名が
どうかこの子達を護ってくれますように)
強く、そう願いながら
時也は双子を抱いたまま立ち上がる。
「青龍」
「はい」
声に応じて
青龍が静かに部屋の扉を開いた。
時也は
アリアに穏やかな笑顔を残すと
部屋を出ていく。
その背には
アリアの眠りに落ちる寸前の
細い吐息が聞こえていた。
⸻
廊下に出ると
時也は息を詰めるように
胸に堪えていた感情を
ゆっくり吐息に混ぜるように
吐き出した。
「⋯⋯はぁ⋯⋯」
胸の痛みは、やはり治まっていない。
焼けるような鈍い痛みが
じわりじわりと
身体を蝕んでいた。
(⋯⋯このまま
僕が、どうにかなってしまったら⋯⋯)
その考えが頭を過ぎった瞬間
腕の中の双子の温もりが
時也の胸の奥に染み込んだ。
(⋯⋯だめだ⋯⋯)
「アリアさんを、娘を
僕が守らないと⋯⋯っ!」
時也はもう一度
双子をしっかりと腕に抱き直した。
——彼は
この小さな命と共に
不死鳥が仕組んだ哀しみと絶望に
立ち向かう覚悟を決めていた。
「⋯⋯時也様」
青龍の声が震えていた。
その声には
張り詰めた悲痛な響きがあった。
廊下を共に歩く青龍は
時也の背中を見つめながら
ぎゅっと小さな拳を握り締めていた。
「⋯⋯何をしているのですか。
そんな顔をして⋯⋯」
時也は
青龍に振り返ると
苦笑を浮かべた。
「赤子に最初に見せる顔が
そんな顔でどうする!と
僕を叱ったのは貴方でしょう?青龍」
青龍の頭にそっと手を置き、軽く撫でる。
「ほら、しっかりなさい」
その声は、冗談めいていた。
けれど
その背には確かな覚悟が
刻まれていた。
(⋯⋯不死鳥に負けている暇なんて
僕にはないんです⋯⋯)
⸻
時也は部屋に戻ると
畳の上に腰を下ろし
胡座の膝の上に
双子をそっと乗せた。
まだ赤みの残る柔らかな肌は
どちらもほんのりと温かかった。
呼吸は浅く
すうすうと穏やかに眠る様子は
まるで天からの使いのように
愛らしかった。
「⋯⋯⋯⋯」
時也は
静かに目を閉じ、深く息を吐いた。
この子達には
どんな運命が待っているのだろう。
双子に流れる〝不死の血〟
その宿命の重さが
胸を締めつける。
——それでも。
「⋯⋯負けるものか」
時也は静かに筆を取った。
(この子達が、運命に打ち勝つように)
時也は筆を硯に浸し
静かに紙に滑らせていく。
「⋯⋯ごほっ⋯⋯!」
突如、鋭い咳が喉を突き上げた。
「⋯⋯ぐ⋯っ」
時也は唇を押さえた。
唇の間から
濃く、どろりとした血が漏れ
畳にぽたりと滴った。
「⋯⋯くそ⋯っ」
時也は片袖で唇を乱暴に拭い
震える指で再び筆を握った。
(こんな事で、負けてたまるか⋯⋯っ)
吐血しても
胸が軋んでも
時也は筆を走らせ続けた。
「⋯⋯っ、できました!」
時也の目の前には
二枚の紙が広げられていた。
「エリス」
紙の上に記されたその名には
時也の願いが込められていた。
アリアと同じ
黄金の髪を持つ子には
「エリス」と名付けよう。
彼女がその名を持ち
優しくも芯の強い女性に育つように。
「ルナリア」
もう一人の
黒褐色の髪を持つ子には
「ルナリア」と名付けよう。
彼女が月の光のように静かに
けれど確かに
道を照らす存在であれるように。
筆を置き
時也は二人の顔を見つめる。
「ふむ⋯⋯良い名ですね」
絞り出すような声だったが
時也の顔には笑みが浮かんでいた。
「⋯⋯我ながら
良い名を考える事ができましたよ」
時也は
膝の上の双子に優しく微笑みかけた。
「エリス⋯⋯ルナリア⋯⋯」
どちらも
厳しい運命にも負けない強さを——
この名が
娘達を支えてくれるように。
⸻
その時、扉が静かに開く音がした。
「⋯⋯アリア様
もうお加減は良いのですか?」
青龍が
散らばった紙を
手早くまとめながら問いかける。
時也の書き損じた紙で
畳に落ちた血を
隠すように拭いながら⋯⋯
扉の前に立つアリアは
部屋の様子と
振り返る時也の笑顔を見て
名付けが終わったのだと悟った。
アリアの目が
膝の上で静かに眠る
双子へと向けられる。
「⋯⋯⋯」
その瞬間、ルナリアが突然泣き出した。
「おやおや⋯⋯」
時也が戸惑う様子を見せると
アリアは静かに隣に座り
双子を抱き上げた。
「⋯⋯アリアさん」
時也が声を掛けると
アリアは言葉を発さず
ただ小さく頷いた。
そして
ルナリアを腕に抱いたまま
着物の胸元を、静かに開いた。
——母としての、当然の行為だった。
けれど
その姿はあまりに美しく
時也の鳶色の瞳に焼き付く。
僅かに乱れたままの金髪が
さらりと流れ
まだ体力の戻らぬ身体で
娘に乳を与える姿——。
ふとこの世界で見た
聖女の像が
時也の脳裏に浮かんだ。
その姿は
まさにその像そのものだった。
「⋯⋯⋯」
時也は黙ったまま
その光景を見つめ続けた。
ルナリアに続いて
エリスも乳を与えられ
双子は再び
穏やかな寝息を立て始める。
母と父に抱かれた双子は
何の不安もないかのように
安らかな寝顔だった。
⸻
時也は、静かに双子の名を告げた。
「エリス・ミッシェリーナ
ルナリア・ミッシェリーナ
⋯⋯如何でしょうか?」
アリアは目を伏せ
ゆっくりと首を振った。
そして
無言で筆を取り上げると
紙に静かに名を記した。
「エリス・櫻塚」
「ルナリア・櫻塚」
その筆跡は、美しく力強かった。
「アリアさん⋯⋯っ」
まさか
アリアが時也の姓を娘に与えるとは
思っていなかった。
誇り高き魔女一族である
ミッシェリーナの姓ではなく
愛する夫の姓を——。
驚いた時也は
気が付けば
泣きそうな顔で笑っていた。
「では⋯⋯アリアさんも⋯⋯
アリア・櫻塚、ですか?」
アリアは、黙って頷いた。
その瞳には
言葉にしなくとも伝わる
確かな想いが宿っていた。
「⋯⋯僕達で
運命にも負けぬ子に、育てましょうね」
時也は
穏やかに微笑みながら
家族を抱きしめる。
彼の胸の奥に、痛みはあった。
けれど
その痛みも、死さえも
守るべき存在を思えば
ちっぽけな事のように思えた。
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