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春の陽気に包まれた庭は
鮮やかな花々が咲き誇り
柔らかな日差しが降り注いでいた。
「お父様! 見てください!」
「お母様! お花がいっぱいですよ!」
幼い双子の声が
弾むように響く。
エリスとルナリアは
無邪気に庭を駆け回っていた。
ルナリアは笑いながら
小さな手を花びらに伸ばし
エリスは蝶を追いかけて
草の中を飛び跳ねる。
その姿を
縁側から時也とアリアが
寄り添いながら静かに見守っていた。
「⋯⋯楽しそうですね」
時也は穏やかに微笑み
隣のアリアに声を掛ける。
アリアは無言のまま
双子の姿をじっと見つめていた。
しかし⋯⋯
その平穏は
次の瞬間に音もなく
崩れ始めた。
——空気が変わった。
「⋯⋯?」
時也は違和感を覚え
視線を上げる。
双子が遊ぶその場の空気が
じわりと冷え始めていた。
「⋯⋯おかしい⋯ですね」
春の暖かさとは対照的に
双子の周りに
ひんやりとした冷気が漂っている。
「⋯⋯アリアさん」
時也が呼び掛けると
アリアはすでに立ち上がり
険しい目で双子を見つめていた。
——それは、始まりだった。
⸻
「お父様っ!」
「お母様⋯!」
エリスとルナリアの声が
突如悲鳴に変わった。
「「助けてぇ⋯っ!!」」
ルナリアの周囲の草花が
白く染まり
みるみる霜が降りていく。
淡い桜色の花々が凍え
透き通る氷の粒が
葉先に張り付いていた。
さらに
エリスの身体には
蒼い炎が揺らめき
燃え上がった。
しかし
その炎は熱ではなく
周囲の温度をさらに奪い
氷の結晶を広げていく。
ー不死鳥が与えた呪いが
牙を剥いたのだー
「エリスさん! ルナリアさん!」
時也は立ち上がり
叫びながら駆け出した。
その背後で
アリアも無言のまま走り出していた。
「待っててください⋯っ! 今⋯⋯!」
必死に手を伸ばし
氷の広がる地面を踏みしめる。
——が、次の瞬間。
バキッ⋯!
「⋯⋯っ!」
地面が瞬く間に氷に覆われ
時也の足が
縫い付けられたように止まった。
「くっ⋯⋯」
時也は力を込めて
足を引き抜こうとしたが
氷は足首を噛み締めるように
さらに固く絡みついてくる。
時也は植物の根を顕現させ
まだ凍ってはいるものの
地面から足を剥がす。
そのまま双子の所へと
蔓や根を伸ばそうとするも
顕現した瞬間に
それらは全て凍らされ
枯れて朽ちてしまった。
「お父様ぁっ!」
「お母様っ!」
泣き叫ぶ双子の声が、胸を引き裂いた。
アリアも紅蓮の炎で
凍った身体を解き放とうとするが
彼女の炎ですら
悲しく押し戻されていく。
(⋯⋯アリアさんの炎ですら⋯⋯っ)
とうとうアリアの
横たわった身体の殆どが
氷に包まれていった。
「アリアさんっ!」
「構うな⋯⋯行けっ!」
アリアの深紅の瞳は
双子を優先しろと
燃えるように伝えてくる。
時也は足の自由が利かないまま
両腕を地面に突いて
身を引き摺るように前へ進んだ。
「くそっ⋯⋯!」
凍りついた地面は
氷の刃のように冷たく
掌が擦り切れ
血が滲んでいくでいく。
それでも、時也は前へ進んだ。
「エリスさん⋯⋯ルナリアさん⋯っ!」
声が震え
息が白く凍りついていく。
呼吸する度に
肺が軋み、痛みが広がる。
その中でも
時也は懸命に手を伸ばし続けた。
「⋯⋯父が、今⋯⋯助けます⋯⋯!」
指先が、赤く染まった。
凍てついた氷に触れ続けた所為で
時也の指先は感覚を失い
爪が割れて血が滲んでいた。
それでも、彼は手を止めなかった。
「くそっ⋯⋯動け⋯動いてくれ⋯⋯っ!」
心の奥で
不死鳥の嗤う声が木霊する。
——もっと、もっと絶望せよ——
「⋯⋯っ、させるか⋯⋯!」
氷が太腿にまで達し
膝が冷たく痺れ始める。
それでも、時也は諦めなかった。
「エリス⋯⋯ルナリア⋯っっ!」
涙で滲む視界の中
双子が凍りついた瞳で
助けを求めているのが見えた。
「直ぐ⋯⋯行きますから⋯っ!」
その声は、もはや掠れていた。
氷に縛られた手を
最後の力を振り絞って
前に突き出す。
割れた指先から血が滴り落ち
それが凍り付いて
紅い氷となっていく。
赤い跡を地面に残しながら
それでも必死に前に進む。
「⋯⋯がんばれ⋯動けっ⋯⋯!」
自らに言い聞かせるように
声を震わせる。
目の前に——
もうすぐ
双子の小さな手が届きそうだった。
「⋯⋯あと少し⋯⋯」
指先が
ルナリアの手の直ぐ傍に触れた。
「⋯⋯届く⋯⋯!」
だが、その瞬間——
ザクッ
指先がさらに凍りつき
氷の棘が手の甲を貫いた。
「⋯⋯ぐ、ぁっ⋯⋯!」
指先の感覚が失われ、動かなくなる。
「⋯⋯くそっ⋯⋯!」
それでも、もう片方の手で
再び腕を伸ばした。
「お嬢様っ!!」
その時——
鋭い声が響き
青龍が双子の傍に飛び込む。
小さな身体で
青龍はルナリアとエリスを抱きしめ
そのまま宥めるように
何度も声をかけた。
水と風を司る青龍には
まだ氷に耐性があるようだった。
「⋯⋯大丈夫です
大丈夫ですからね⋯⋯っ!」
青龍の腕の中で
エリスとルナリアの
嗚咽が落ち着いていき
やがて蒼い炎も
冷たい冷気も次第に消えていった。
氷が溶けるように
時也の手が解放され
凍えた指先が
再び血の気を取り戻していく。
「⋯⋯はぁ⋯はぁ⋯⋯っ」
時也はその場に崩れ落ち
痺れの残る指で地面を掻きむしった。
「⋯⋯良かった⋯⋯」
安堵の吐息と共に
時也の瞳から静かに涙が零れた。
その夜——。
月は雲に隠れ
辺りは深い闇に包まれていた。
静寂が支配する屋敷の中
青龍はゆっくりと立ち上がった。
隣の部屋からは
時也とアリアの
静かな寝息が聞こえていた。
どちらも
心身の疲労から
深い眠りに落ちている。
青龍は、一度だけ
時也の顔を覗き込んだ。
血の気が薄いその顔は
痛々しい程に憔悴しきっていた。
布団の上に出された手は
凍傷でズタズタだった。
「⋯⋯申し訳ございません」
小さく
誰にも聞こえぬ程の声で呟くと
青龍はその小さな体を翻した。
双子の眠る部屋へと
足を踏み入れる。
月明かりすら届かない闇の中で
エリスとルナリアは
隣り合わせに眠っていた。
柔らかな寝息と
布団から覗く幼い顔が
あまりに無防備で儚く見えた。
青龍は
その小さな手を
そっと二人に添えた。
「⋯⋯お嬢様方」
青龍は双子を、優しく抱きかかえた。
「⋯⋯申し訳ございません
時也様⋯⋯アリア様⋯⋯」
青龍はそう呟きながら
双子を胸に抱き
そっと部屋を後にした。
踏みしめる足音すら立てぬように
息を殺し、静かに屋敷の外へと向かう。
「⋯⋯出過ぎた真似を⋯お許しください」
暗闇に紛れ
青龍と双子は闇の中へと消えていった。
⸻
「⋯⋯青龍?」
時也は、薄明かりの中で目を覚ました。
室内は静かで
どこか張り詰めた空気が漂っていた。
「⋯⋯青龍」
寝ぼけた意識のまま
呼びかけるが返事はない。
ふと、嫌な胸騒ぎが広がった。
「まさか⋯⋯」
跳ね起きた時也は
双子の部屋へと駆け込んだ。
「⋯⋯エリスさん? ルナリアさん?」
布団が乱れ
其処にあった筈の小さな姿は
どこにもなかった。
「⋯⋯い、ない⋯⋯」
血の気が引くのを感じた。
「⋯⋯青龍?」
言葉を発した瞬間
時也は膝をつき、床に拳を突いた。
「⋯⋯くそ⋯っ!」
静かな闇の中
時也は自らの不甲斐なさを噛みしめた。
「⋯⋯青龍⋯っ」
彼の声が、ふと青龍の心に届いた。
——それは
主と式神の間に結ばれた
意志の繋がりだった。
「⋯⋯青龍⋯何を、している⋯⋯っ」
時也の心の声は
怒りと悲しみに満ちていた。
——その声に、青龍が応えた。
《時也様⋯⋯申し訳ございません》
「何処にいるんです⋯⋯っ!」
時也は、掠れた声で問いかける。
《⋯⋯私が、お嬢様方を
お守りいたします》
「青龍⋯⋯」
《時也様とアリア様と⋯⋯
お嬢様方が、共に在ることは
今は⋯⋯叶いません⋯⋯》
「駄目だ、青龍⋯⋯戻ってこい⋯っ」
《⋯⋯できませぬ》
その言葉と共に
青龍の心が時也に流れ込む。
ー不死鳥の意思が
双子に与えた異能ー
アリアと時也——
その能力と正反対の異能を
双子に宿らせることで
親子が共に生きることを
阻もうとしている。
「⋯⋯そ、んな⋯⋯」
青龍の声が続く。
《⋯⋯共にいれば
いずれアリア様も、時也様も
氷に蝕まれ⋯⋯》
青龍の言葉が苦しげに途切れた。
「⋯⋯だから、お前は⋯⋯」
《私は⋯⋯貴方様に
生きていて⋯欲しいのです。
初めて、命に背く事を⋯⋯
お許しください》
時也は膝をつき、頭を垂れた。
—自分が、もっと強ければ。
—自分が、もっと早く
不死鳥の思惑に気付けていれば。
「⋯⋯すみません⋯アリアさん⋯⋯」
時也は
床に擦りつけるほど
深く頭を下げた。
「⋯⋯俺が⋯不甲斐ない⋯ばかりに⋯っ!」
静かな部屋の中
畳に擦れた額から
じわりと血が滲んだ。
(⋯⋯俺が、もっと⋯⋯俺がぁ⋯っ!!)
拳を握りしめ、時也は心の奥底で叫んだ。
「不死鳥ぉ⋯⋯っ!」
声が震え、怒りが胸を焦がす。
「どれだけ⋯⋯
どれだけ、アリアさんを苦しめたら⋯⋯」
声は次第に
怒りと悔しさに満ちた
叫びへと変わった。
「お前は気が済むのか⋯⋯っ!!」
握りしめた拳が
畳を突き破るように叩きつけられた。
その拳からは、血が滲んでいた。
—今、娘達は青龍と共にいる。
青龍ならば
きっと守ってくれる。
だが、時也の胸を焼くのは
娘達の無事だけではなかった。
「⋯⋯アリアさん⋯⋯っ!」
彼女が
きっとこの現実を知ったら——
絶望するだろう。
ーその絶望こそが、不死鳥の糧になるー
「⋯⋯くそ⋯くそっ⋯!」
悔しさが
どうしようもなく
胸の奥を締めつける。
その胸の痛みは
心臓を蝕む不死鳥の呪いなのか
ただの苦しみなのか——
今の時也には
もう分からなかった。