「大丈夫なのか? あの男、花乃ちゃんに言いたい放題だったけど」
そう言えば、井口君にもあの時の惨めな場面を見られちゃってたんだ。
「免疫が出来たから何か言われてもあの時みたいに落ち込まないと思うけど……でも正直関わりたくないよね、仕事だから仕方無いけど」
そう嫌でも仕事だから仕方無い。
溜息を吐きつつ、カシスソーダをゴクリと飲む。その時、
「もうさ、仕事辞めて大樹と結婚しちゃえば?」
井口君がまさかの発言をしてうっかりお酒を噴出しそうになってしまった。
「な、何で結婚? しかも大樹と?」
咽ながら言うと井口君が不思議そうな顔をする。
「だって大樹と付き合ってるんだろ? あいつ収入いいから専業主婦でいいんじゃない?」
「え?」
付き合ってる?
私と大樹が?
「むしろあいつこそ結婚したがってるんじゃないか? あれだけ嫉妬深いんだからな。花乃ちゃんを閉じ込めてどこにも出したくないんじゃないか?」
井口君は可笑しそうにククッと笑う。
私は首を傾げつつ、なぜか誤解をしている井口君を眺める。
どこで勘違いしたんだろう。
戸惑う私の視線に気付いたのか、井口君も怪訝な顔になる。
そのとき沙希がサラッと言った。
「健、花乃と神楽君は付き合ってないよ」
「はっ? 嘘だろ?」
井口君が驚きの声を上げる。
大げさな反応にちょっと引き気味の私に、井口君が問い詰める。
「何で付き合わないの?」
「な、何でって言われても……」
「大樹に付き合おうって言われただろ?」
「言われてないけど?」
「は? 何で?」
井口君はさっき以上に驚愕した顔をする。
そんな顔をされると不安になり、私は大樹とのやり取りを思い返した。
私……付き合おうなんて言われてないよね?
好きだとは何度か言われたけど……付き合おうなんて台詞は無かったよね?
丁寧に慎重に思い返す。
うん、やっぱり言われてない。
黙り込む私に、井口君がしみじみと言う。
「あいつなんで言わないんだろうな」
「……私に聞かれても」
「花乃ちゃんは大樹をどう思ってる?」
「えっ?」
「大樹と付き合ってもいいと思ってる?」
そ、そんなのいきなり真顔で聞かれても困ってしまう。
「あの……分からない。大樹に付き合おうなんて言われて無いし、考えたことなかったから」
「でもあいつの気持ちは知ってるだろ?」
「それは……」
好きだとは言われたけど。
「毎朝花乃ちゃんの家まで迎えにも行ってるみたいだし、態度からも本気って分かると思うけど」
「迎えに行くって言うか隣だからね」
駅に行く途中なだけだし。毎朝私より先に外に出て待ってくれているのは事実だけど。
「健、もう止めなよ。私達が口出し過ぎたら花乃が混乱するだけだよ」
「だけど、まさか何の進展もしてないとは思わないだろ?」
「もどかしいのは同意だけど、花乃のペースって物が有るから」
ふたりは私の存在を忘れたかのように激論してる。
私が呆気に取られている内に、最終的に井口君が沙希に言い負かされたようだ。
「いい? 花乃に変なプレッシャー与えないでよ?」
満足した沙希がそう言いながら席を外すと、井口君が独り言の様につぶやいた。
「それにしてもあの大樹がこんなに時間かけてるなんて信じられないな」
「どういう意味?」
なんとなく引っかかったので聞いてみる。
あの大樹って、どんな大樹?
「大樹ってさ、今まで狙った女は即効で確実に堕として来たんだよ。それなのに花乃ちゃんには大分てこずってるだろ? 意外だよな」
「え……」
狙った女は確実に落す?
あの大樹が?
「大樹ってそんなに慣れてるの? 今まで彼女沢山いたの?」
「まああの外見だし女には困ってなかったよな。長続きはしなかったけど常に誰か居たな。仕事も完璧だし社内にも大樹狙いの女が結構いるしその気になれば直ぐ落とせるんじゃない? 多分、競争率相当高いよ」
「……なんだ」
大樹って私の事ずっと好きだったって言っていた割にそんなに盛んな恋愛暦を持ってたんだ。
経験値最高レベルなんだ……私と違って。
「花乃ちゃん、どうかした?」
井口君が不思議そうな顔をする。
「何でもないよ?」
笑顔を作って答えたけど、胸の中はモヤモヤして仕方なかった。
他に好きな女はいないとか言ってたけど、実は沢山いたんじゃない。
考えてみれば今までコロコロ彼女変えてる所、私も目撃してたしね。
最近の大樹の態度でつい忘れてしまっていたけど。
しかも今だって社内で彼女候補がいっぱいいるだなんて。
なんだかとっても楽しそうじゃない?
……だったら私なんかに構わなければいいのに。
ああ、気分が悪くなって来た。なんだかとてもイライラする。
「もしかして、大樹の過去の女を気にしてる?」
表には出していないつもりだけれど、私の態度の変化に井口君が気付いたみたいだ。
「別に……気にしてないよ」
大樹が誰と付き合おうが、大樹の自由……なんだから。
「じゃあ、社内の大樹のファンの女の方? どっちにしろ気にしないで大丈夫。花乃ちゃんは大樹にとって特別だから」
「何で特別なの?」
私と他の子と変わりなんて無いと思うけど。
「詳しい事情は知らないけど、大樹は花乃ちゃんに負い目が有るんだろ? あいつちゃんと責任とって償うって言ってたから、花乃ちゃんを蔑ろにしないよ」
「負い目……」
それは中学時代の件だよね?
責任は、私が恋愛苦手になってしまったこと?
大樹……そんな風に思ってたんだ。
私はあの真実を聞いて謝って貰った日に過去にしたつもりだったけど、大樹の中では終わってなかったのかな?
だから、私にいつも優しいし、気を使ってくれてるのかな?罪悪感からの行動なのかな?
……なんか、苦しい。嫌な感じだ。気分が沈んで浮上出来ない。
沙希が戻って来たので私はゆっくりと席を立った。
「そろそろ帰るね」
「え? 花乃?」
何か言い足そうな沙希と井口君を残して、私は一人で店を出た。
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