剣持side
” 追想 ”
人間としての僕が、どんな時代に生きどんな死に方をしたのか今となっては、よく覚えていない
生涯のほとんどを病床に伏していると世間の変化なんて蚊帳の外の話で
いつだって表舞台を眺めるだけの傍観者だった
ただ
僕を取り巻く環境は、さほど悪くなかったように思う
なぜなら、衣食住に困った記憶もなければ教育だってしっかり受けさせてもらえていたからだ
裕福な家庭に生まれ、教養もしっかり身に着けられた男子
さぞ期待も大きかっただろう
体が弱くなければ
大きな和風のお屋敷に住んでいたみたいだけど、僕は病気がちだったから小さな離れで過ごす事が多かった
そこには身の回りの世話をしてくれる女中さんや、お医者さんも居てなんとなく皆優しかった気がする
病体の僕を遠ざけるでもなく、いつも笑顔を絶やさない優しい大人達
病状が悪化して落ち込む僕に寄り添ってくれた事もあった
いっそ本物の家族より僕を気遣い
そんな彼らに心を寄せるのは、必然だろう
『あの…お母様とお父様は、どうしてる?』
『旦那様と奥様は、朝からご予定が入っておりまして出掛けておられます』
『そう…』
『お話があるようでしたら、お伝えしましょうか?』
『いや、いいよ。忙しいみたいだし』
『刀也様、もう少し我儘になってもよろしいんですよ?でないとお体に障ります』
『ふふ、僕は我儘だよ?皆が甘やかしてくれるからね』
『刀也様…』
そうだよ
こんなに恵まれた環境にいて、これ以上何を望んでいるんだろう
ザアアア
激しい音で目が覚める
開け放たれた縁側から見える坪庭が雨に打たれて幻想的だった
『あ、天気雨…』
雨が降っているのに雲間から光が差して雫がキラキラと輝いている
こんな時は
『おー!狐の嫁入りか〜、何処の幸せもんだぁ?』
元気で明るい声とともに、トントンと軽い足音が近付く
『ガクくん?』
『よぉ刀也さん遊びに来たぜ』
慣れた様子で部屋に入ると横になっている僕の顔を覗き込み可愛いらしい獣のつぶらな瞳が笑うように細められた
視線を返しながら僕は、ぶっきらぼうに言う
『ガクくんて暇なの?』
『なんだとー!わざわざ多忙のスケジュールの中、見舞いに来てやってるのに!』
『多忙って…会社の社長さんじゃあるまいし』
一瞬で陰気な空気は、吹き飛びカラッとしたガクくんの笑い声が部屋に満ちていく
彼の、この明るさに何度助けられたか
『嘘だよ、ありがとう』
素直に礼を言うと彼は、目を見開いて意外なものを見たという顔をした
『なにか?』
『…いつもそう素直なら可愛いのにな?』
『…うるさいな』
あまり口にしないと自覚している感謝の言葉を言っても、からかわれては次が言い難くなる
そこは、さらりと流して欲しかった
イヒヒ、と笑い声を出して僕の頭の横で丸くなるガクくん
微かにフワフワの毛が頬に当たって気持ちがいい
外を見れば未だ雨が降っているのに彼からは、爽やかな太陽の香りがした
数分で、すーすーと寝息が聞こえてきて結局昼寝しにきただけなのかよと苦笑する
『……。』
幸せで穏やかな時間。
僕はガクくんが眠っているのを何度か確認すると静かに語りかけた
『これでも本当に感謝してるんですよ』
この歳になって知識は増えど家から出られないせいで人生経験は、ゼロに等しい
僕の世界は灰色一色
そんな面白みのない世界に色んな色を持ち込んでくれたのは、ガクくんだ
彼の慎重なのか破天荒なのかわからない経験談や教科書には載ってない血肉の通った、この国の歴史話まで
多岐に渡る話題は、僕を惹きつけてやまない
いつしか、それが
もっと聞きたい、見たい、感じたい
死にたくない、に変わるくらいに
本人にその気はなくとも、僕は生まれて初めて生きる事を望んだ
『あなたのお陰ですガクくん…。でもだからこそ最初に会った時の貴方の顔が…忘れられません』
“ 貴方の名前は? “
何気なしに言った僕の一言に一瞬ひどく傷付いた表情を見せた、あの日
すぐに明るく自己紹介するガクくんの笑顔が寂しそうに見えたのは、見間違いではなかった
何か引っかかる
小骨が刺さっているようなそんな気持ち、けれど正体に気付けないまま時は流れた
一緒に過ごすうち彼は自身の大事な話もポツリポツリと教えてくれるようになった
本来、神社などにいる狐の神様だが僕の魂が昔からお気に入りで会いにきている事
特別な力が使えて人間の姿にもなれる事
人間とは時間の流れが違って、余程の出来事がない限り死なない事
普通に生きている人間には知り得ない話は、それだけで僕という存在に価値があると言われているようで嬉しかった
『人間は肉体の死を迎えた後、次の人生の為に浄化され記憶を失う。ずいぶん後に貴方からそれを聞いた時…血の気が引いたんです』
明るい気持ちを沢山貰っている貴方に、あんな顔をさせたのは自分だった
認めたくない事実に呆然とする
そして
更に恐ろしいのは、このままいけば
確実にまた同じ思いをさせる事だ
『そんなの嫌です、僕にだって守らせてほしい』
ちっぽけな人間に何が出来るというのか
わかっている
だから、せめて心だけでも
決めた
『僕が死んだらガクくんが迎えに来てください』
次に目が覚めたら
はじめましてでは、なく
貴方の名前を呼んでみせる。
つづく
実は相当、昔の人間だったりする剣持
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