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ラップのかかった夜。

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ラップのかかった夜。

1 - ラップのかかった夜。

♥

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2025年10月05日

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日付をまたぎ、深夜の街を抜けて帰宅した。

最近涼しくなってきたからか、玄関の鍵を回す手が、少しだけ震える。


「…ただいま」

「おかえり」


一瞬固まる。期待していなかった言葉が、返ってきたからだ。

靴を雑に脱ぎ、歩を早め、リビングに進むと、ソファに座る兄貴が顔を上げた。

キョトンとした顔で何を言うでもなく俺を見つめる兄貴。

それが、今の自分には十分すぎることだった。


「ただいま」

「ん。」


別にそれ以外なにかする訳でもなく、脱いだコートをソファにかけ、ネクタイを緩める。背伸びをすると、無駄に気張っていた全身の力がすっと抜けた。


横をむくと、ダイニングテーブルに目が止まる。ラップに包まれた夕食と二つの取り皿。


「…待っててくれたん?」

軽く呟くと、兄貴は手元のスマホを覗きながらノールックで答える。


「ん?うん。」

「お腹減っとらん?」

「昼遅かったから。」


そっかと一言発し、踵を返す。首をコキコキと鳴らしながら、台所で手を洗う。

水音の間、目を細める自分。視線の先には、静かに座る彼の姿。

言葉は少なくても、その存在が己の全てを満たしてくれているのを感じる。


時計が静かに時を刻む。

別になんてことのない時間なのに、どうしようもなく愛おしい。

ここにいるだけで、心の痼のような物がゆっくりと溶けていくようだった。


手に残った水滴を散らしながらリビングに戻る。

そこにはもちろん彼がいて、どうしようもない安堵が身体中を巡る。


「…今日も長かった」


自然に漏れた愚痴に、兄貴は肩越しにちらりと視線を向ける。


「相変わらず大変そうで。デカい企業だからって、待遇がいいってのもお門違いやな」


からかうような口調。でも、その奥にほんのり滲む気遣いが心をくすぐる。


「ねぇ」


疲れ切った体のせいか、声が沈む。呼びかけるだけで胸が詰まる。

そんな俺に手をちょいちょいと動かして、こちらに来いと合図する兄貴。

素直にソファに腰掛けると、隣から体温がゆっくりと伝わってきた。


「兄貴」

「ん?」

「…兄貴」

「…お疲れさん」


ふわりと向けられる笑顔に胸がきゅとしまった。


「…今日、なんか変なことあった?」


何か話したい。その一心でポロッと漏れた言葉に兄貴の眉が少し上がる。


「変なこと?…まあ、今日は特別なんかあったってのはないな。」

「そっか…」


聞いといてアレだが、別に内容はどうでもいい。ただ、彼の声が聞けるだけで嬉しい。


「まろは?」

「俺?…あ、でも、上司には通常運転でイラっとした」

「あー、例のな」

「アイツが紙で用意せいって言うから態々やってやったんに。いざ出来たら資源がどうたらって。」

「はー?なんそれ」

「後から聞いたら、俺が出てったあと部長になんか言われたらしい。で、俺になすり付けたわけ。」

「くはは、そら災難やな」

「笑い事ちゃうわー…」

「ははは」


ケタケタと笑う兄貴。そんだけで今日の理不尽も全てが正当化されていく。すべてがどうでも良くなる。

何も言わず、じっと顔を見つめている俺に何か思ったのか、にこりと微笑んでくれる。


「…お前はえらいよ」

「うん…」


短くても確実に伝わる言葉。

いつもみんなに向けている優しさを、今は自分が独占している。

なんて贅沢で、なんて幸せなんだろう。


確かめるように、ほんの少しだけ体を寄せる。

袖が擦れる音、指先が触れる感覚、肩が触れ合うだけで胸の奥がじんわり熱くなる。

視線の端で互いの微妙な動きや呼吸を意識しながら、ゆっくりと時間が流れていく。


「…兄貴、ぃ」

「はいはい」

「…んー」


ただ隣にいるだけで、心の奥の緊張も、肩の張りも、ゆっくりと解けていく。



「飯、食うか?」


兄貴の声に、俺は答えない。


「今日は魚に、…したん、やけど」


視線を絡める。

言葉を使わず、ただ目で訴える。

それだけで、兄貴は小さく眉を動かし、次の言葉を呑み込んだ。


ゆっくりと手を伸ばし、その指を取る。

軽く握るだけ。けれど離さない。

返事代わりに、指先がわずかに震えて俺の手を受け止める。

肩に額を預ける。

できるだけ、わざとらしくないように。

兄貴はあざといの、苦手だから。

大人の男がするには少し不格好かもしれない仕草だが、気にしない。


「……」


兄貴はただされるがまま、体温を許してくれる。

その無抵抗さが、欲を煽る。


顔を上げ、視線を絡ませたまま、ゆっくりと唇を近づける。

声もなく、理由もなく。

ただ「欲しい」という感情だけで。


触れた瞬間、兄貴の肩がかすかに揺れた。

それでも拒まない。拒まないで居てくれる。

俺の手に絡め取られるまま、瞼を伏せて受け入れる。


唇が重なるたび、静かな熱がじわじわと広がっていく。

それの感覚が愛おしすぎて、さらに深く口付ける。


「…兄貴」

呼ぶ声が、自分でも驚くほど甘く響いた。

その声だけで、兄貴の指が小さく動く。

手の中の温度が、じわりと上がる。


「…なに?飯いらん?」

「……あとで。」


囁くように答え、もう片方の手で兄貴の頬に触れた。

顔を近づけ、額を合わせる。

それだけで息が詰まるほど、空気が熱い。

求めるでも、拒むでもなく、ただ静かに、互いの存在を確かめるように。


「……悠祐」

「……ん。」


小さく応える声が、やけに遠く聞こえた。


「……ベット、いこ?」

「……あぁ。」


短い返事。

それだけで…十分。


立ち上がり、手を取る。

横目で兄貴を見ると、恥ずかしそうに目をそらす。

いつも男らしいのに、こういう時だけ初心で。

こういうの…慣れてる、だろうに。


「(…やめやめ。なんか気分落ちる)」

「まろ?」

「っ!」


いつの間にかぼーっとしてたのか、気づくと寝室の前で突っ立ってしまっている。


「え、?ん?」

「…早く行こや。」


丸くて大きい、可愛らしい瞳を潤ませ、見上げてくる。


あぁ…なんて。なんて…幸せ…


「うん、おいで…」


そのままパタリと寝室のドアが閉まった。



テーブルの上、ラップのかかった夕食が月明かりに反射していた。

温もりをまだ残したまま、ふたりの背中を見送っている。





静かな夜の中で、誰かの「おかえり」がどれほどの救いになるかを書きたくて描きました。

読んでくれて、ありがとうございました

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