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今日は一年に一度の、大っぴらにウソを吐いても罪に問われないし罪悪感にも囚われない日だと、朝起き抜けにリオンが言い放った為、リオンの好物であるスクランブルエッグを用意していたウーヴェが苦笑しつつフライパンの先を向けて早く座れと無言で促す。
「どんなウソが良いと思う、オーヴェ?」
「どんなって……俺を相手にするウソならどんな類のウソでも却下だな」
当然ながらウソを吐かれるのはたとえエイプリルフールでも気持ちよいものではないと肩を竦めると、年に一度の恒例行事なんだ楽しまなければ損だと返されてウソを吐かれて何の得があると返し、朝食を食べる為に自らも腰を下ろす。
「どうぞ召し上がれ」
「ダンケ、オーヴェ!」
二人で食事をする時には決まってこの言葉を交わすのだが、一体いつからこうなったのかを思い出そうとしたウーヴェはその記憶が遠い昔に存在するような気がして頭を振り、いつからであろうがいつまでもこうして何気ない言葉を交していたいと胸の奥で呟き、隣でがっつく勢いの食べっぷりに呆れと感心の入り交じった表情を浮かべてしまう。
「どーした?」
「……スクランブルエッグの出来はどうだ?」
「んー……これはこれで美味しいんだろうけどさ……何か舌がおかしくなったのかな?」
「?」
味が薄かったかと問いかけながら一口食べるものの味付けはいつもとほぼ同じで首を傾げつつリオンの横顔を覗き込むと、蒼い瞳がやけに真剣な色を帯びていて、思わずウーヴェも似たような顔で声を顰める。
「リオン、調子が悪いのか?」
「へ? いや?」
全然いつものように元気だと笑い、きっと寝起きで味覚がぼけているんだろうと笑ってそれでもすべてを平らげたリオンは、ウーヴェの手が止まってしまっていることに気付いて肩を竦め、心配そうな頬にキスをする。
「大丈夫だって、オーヴェ」
何も心配しないで早く食べないと遅刻するぞといつもの腹癒せのように言い放つリオンに苦笑し、確かに遅刻してはいけないと気を取り直したウーヴェも何となく急いで食べ終えると、一足先にキッチンを出て行ったリオンの後を追いかけるのだった。
今日も一日お疲れ様でしたと仕事の疲れを労ってくれるリアに感謝の言葉を伝え、彼女が入れてくれる紅茶のカップを有り難く受け取ったウーヴェは、何故か神妙な面持ちで腰を下ろすリアに気付いて居住まいを正す。
「どうした?」
「……あのね、ウーヴェ、あなたにだけは話しておこうと思ってるんだけど……」
話を聞いて驚かないでくれと前置きをされて眼鏡の下で瞬きをしたウーヴェは、どんなことだろうかと問いかけながら最悪の予想を立ててみる。
ウーヴェにとってリアの存在は無くてはならないものになっている為、最悪の予想-つまりは彼女がこの仕事を辞めてしまうことを考え、彼女の口からどんな言葉が流れ出すかを待ち構えるが、聞かされた言葉の意味を一瞬把握できずに忙しなく瞬きを繰り返す。
「……もう一度言ってくれないか、リア?」
「驚くわよね。――私、双子のマリーとアンナと結婚の約束をしたの」
「………………上の、デンタルクリニックの、双子と?」
リアが少し頬を赤らめながら告げた言葉にすぐさま応えられなかったウーヴェだが、念を押すように彼女が言う双子が上階にある歯科医で受け付け業務をしている双子かと確認すると、リアの頭が小さく上下に揺れる。
「それは……急な話だな」
「ええ。この間、彼と別れたのよ」
その話を彼女達としていたら二人とも自分たちは同性同士の結婚についても理解があるし身内でもある彼女達のボスも大賛成してくれると笑ってくれた為、トントン拍子に話が進んでいったと苦笑され、ただぽかんと口を開くことしか出来なかった。
リアには何年か付き合っている彼がいる事は知っていたがうまくいっていない可能性にも気付いていて、なるべくその話題には触れなかったのだがついに別れてしまったのかと思案し、何気なく天井を見上げたその時、一つの言葉が脳裏で木霊する。
「アンナの好みはテディベアみたいな人だと言って無かったか?」
きみはどう見てもテディベアではなく人形遊びの人形だろうと生真面目に問いかけたウーヴェにリアが軽く目を伏せ、自分もそれが気になったが二人と一緒にいれば楽しいから結婚をOKしたと告げると、ウーヴェが口の中で何やらもごもごと言葉を転がす。
「……今まで男性ばかりだったけど、女性同士っていうのも悪くないと思うわ」
あなたと同じ道を歩むかもしれないわねと笑う彼女に苦笑し、何と言葉を返そうかと思案したウーヴェの脳裏でリアの言葉が見事に引っ掛かる。
同じ道を歩むかもしれない、そう彼女は言ったのだが、それはウーヴェが過去に付き合ってきたのが女性ばかりで男と付き合うのはリオンが初めてだと言う事を示しているが、彼女が言う通り双子達と結婚するかもしれないのならばそんな不確定な未来予想図を連想させる単語を口にするだろうか。
それに、そもそも双子と結婚する事になったと言うが、双子のどちらと結婚するのか。
同性同士の結婚は認められていても重婚は認められているのだろうかと考えた瞬間、ウーヴェのターコイズ色の双眸が見開かれ、対照的にリアのグリーンの瞳が茶目っ気たっぷりに細められる。
「……危うく引っ掛かる所だったな」
「……もうばれてしまった?」
つまらないわと笑うリアに笑いかけたウーヴェは、今日はエイプリルフールだからなぁと呟いてリアの前の器からビスケットを一枚奪い取る。
「あっ……」
「ふっくらしているリアからは魅力が半減するからこれは食べてあげよう」
「ちょっと、どういう意味よ、ウーヴェ!」
それ、私のビスケットとリアが目と口を丸くする前で彼女のビスケットを口に放り込んで片目を閉じたウーヴェは、今日はエイプリルフールなんだろうと笑ってビスケットをもう一枚手に摘むと、リアはふっくらしていてもスレンダーでも魅力的だと笑う。
ビスケット一枚で体重が増減した所でたかが知れているし、病的に痩せていたり太っていない限りウーヴェは女性の体型については個々人の魅力になると思っている為、たとえもしもリアがお菓子の食べ過ぎで太ったとしても前言のように魅力がないなどとは絶対に思わなかった。
エイプリルフールのウソだとフォローもするウーヴェを恨みがましい目で見つめたリアだったが、少しでも引っ掛かってくれた事が嬉しいと笑い、自らが入れた紅茶を飲んで満足そうに溜息を吐く。
だが、そんな彼女とは対照的に今度はウーヴェが少しだけ心配そうな顔で溜息を吐いた為、リアが首を傾げてウーヴェに先を促す。
「ああ……」
ウーヴェが不安を感じつつ言葉にしたのは今朝のリオンとのやり取りで、いつもと同じ味付けをしたし自分には同じように感じたのにリオンはそうではなかったと告げて肩を竦めた為、リアが顎に指を当てて考え込む。
「あなたと一緒に暮らしていて栄養のバランスが崩れるような食事をしているなんて考えにくいわ。どうしたのかしら。調子が悪かったの?」
「いや、本人に聞いても全然問題は無いそうだ」
自覚症状がないのが一番怖いと肩を竦めるウーヴェにリアも頷き、本当に調子が悪いのならば他の事でも察せられるだろうから、注意深く観察していた方が良いわねと言われて頷き返した時、診察室のドアが激しくノックされる。
その聞き覚えのある音に二人同時に溜息を吐いてどちらが出迎えの声を出すのかを探り合うが、瞬時にリアが立ち上がって彼女がドアを開くと、何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべた金色の嵐が飛び込んでくる。
「ハロ、リア。俺の愛するオーヴェは?」
「…………そこにいるでしょう?」
リオンの言葉にただ溜息を吐いたリアだが、ウーヴェも似たような顔で額を押さえていて、二人の様子にリオンが目を丸くする。
「どうした?」
「……何でもない。もう仕事は終わったのか?」
「うん。今日は暇だったぜー」
世の中エイプリルフールだからか通報があっても他愛のないものばかりで平和だったと笑い、ウーヴェの横のチェアに腰を下ろしたリオンは、あまりに平和だから署内で事件を起こしてやったと笑い二人を絶句させる。
「……何をやったんだ」
「ボスが隠し持ってるチョコを全部他の場所に隠して、それをしたのはコニーだって密告してやった」
その時のヒンケルの顔がおかしくて今思い出しても笑えると肩を揺らすリオンに呆れたウーヴェは、リオンの悪戯に巻き込まれて被害を被った二人の人間とその余波を間違いなく喰らっている他の同僚達への同情を禁じ得ず、深々と溜息を吐いてしまう。
「で、その密告は信じて貰えたの?」
「信じて貰えたと思うけど、コニーは多分それどころじゃ無かったしなぁ」
「どういうこと?」
「コニー愛用のマグカップを隠して、それをしたのはダニエラだーって。あ、ダニエラはデスクに飾ってる彼氏の写真を隠されたんだけど、それをしたのがマックスだって」
「ちょっと待て、リオン、お前まさか……」
リオンの口から次から次へと出てくる言葉が恐ろしく、思わず手を挙げてリオンの言葉を遮ったウーヴェは、良いところなのにどうして遮るんだと不満を訴える蒼い瞳を見つめ、まさかとは思うが同僚全員にウソをついて回ったのかと問いかけ、けろっとした顔で頷かれて頭を抱えてしまう。
「うん、そう。楽しかったぜー」
コニー愛用のマグカップを隠し、次いでダニエラの写真立て、マックスは後生大事にしている革の手帳、ヴェルナーは先日手に入れたらしい超常現象ばかりを集めたDVDをそれぞれ隠したリオンは、ヒンケルが真っ先にリオンに騙されたと気付くまで同僚達の狼狽える姿を見て腹を抱えていたのだが、お前自身は被害を受けなかったのかと問われ、首を捻って顎に手を宛がう。
「ん、そうだ! オーヴェ、ベルトランがオーヴェに告白したって本当か?」
リオンが思い出したと叫んでその勢いで言い放った言葉はウーヴェを脱力させる力を持っていて、リオンにどうなんだと詰め寄られても最早何も言い返すだけの力は無かった。
「なあ、オーヴェ、どうなんだって! ベルトランと一緒に田舎でクリニックとレストランをすれば、ドクの人柄の良さとベルトランの料理の腕がたちまち評判になり十分にやっていけるだけ稼げるだろうってボスが言ってた! どうなんだよ!!」
「……バートが俺に告白をした……?」
「そう! ワガママでうるさい俺なんか捨てて、料理も上手くてお前のことなら何でも知ってるベルトランに田舎に行こうって誘われてたって……!」
ヒンケルが言い放った様子を再現するリオンにただ溜息を吐いたウーヴェは、リアがくすくすと笑いだしたことに気付いて視線だけを向ける。
「リア?」
「ベルトランに聞かせればどんな顔をするんでしょうね」
想像するだけでおかしいわと笑う彼女にリオンが笑い事ではないと言い募るが、ウーヴェがいい加減にしろと呟いてリオンの後ろ髪を引っ張った為、首の骨が不気味な音を立ててリオンの口から悲鳴が零れる。
「んぎゃ!」
「どうして俺がバートと田舎に行くんだ。少し考えればウソだと分かるだろう?」
「………………」
ウーヴェの至極もっともな指摘に返事が出来なかったリオンは斜め上を見つめて何やらごにょごにょと口の中で言葉を転がすが、だってボスが言っていたとやけ気味に言い放った為、ウーヴェが向き直って鼻を摘むと青い眼が左右に泳ぐ。
「リーオ」
そんなにお前の恋人が信じられないかと多少のイジワルを込めて囁くと、リオンの両手が肩の高さにまで上がり降参だと呟く。
「ごめーん」
「まったく」
反省しているのかどうかも怪しい態度の恋人に何度目かの溜息を吐いたウーヴェはつい先程までリアと話していたことを思い出し、己の不安を押し隠しながら体調に変化はないのかと問いかけると、リオンの目が再度丸くなる。
「体調に変化は無いけどさ、聞いてくれよ、オーヴェ」
リオンが身を乗り出すようにウーヴェと顔を寄せた為、様々な事を一瞬のうちに考え込んだウーヴェが身構えるようにリオンと向き合うと、咄嗟に意味の理解出来ないことを言われて瞬きで返す。
「今朝食ったスクランブルエッグ、いつも以上に美味かったんだ」
「………………は?」
「だーかーら。スクランブルエッグ、マジ美味かった。お代わりしてぇって思ったぐらいに美味かった」
だから体調不良など考えなくても良いと白い歯を見せたリオンにウーヴェが恐る恐る問いかけるが、返ってくるのは今日も元気だメシが美味かったと呆れるような一言だった。
「……リオン……」
「オーヴェ、今日は何の日だ?」
リオンが笑いながらウーヴェの鼻の頭を指先で弾いた為、痛みとその驚きに目を丸くするウーヴェとそんな彼を見守っていて同じく驚いた顔をしているリアを交互に見たリオンが肩を竦めながらエイプリルフールの他愛もないウソだと告げると、二人の口から同時に短い悲鳴のような言葉がこぼれ落ちる。
「……!!」
「腹減ったからさ、帰りにゲートルートでメシ食って帰ろうぜ」
こんなにも自分は健康だと証明するように笑うリオンにウーヴェが呆気に取られるが、今朝の様子がウソだった安堵と騙された悔しさに思わず握り拳を小刻みに震わせてしまう。
この悔しさはどこで晴らすべきだろうと思案し、自宅に帰ってから覚えていろよと声を低くすると、リオンが意味ありげに目を細めて口笛を吹き、男前のダーリン愛してると囁いてウーヴェの鼻先に小さな音を立ててキスをするのだった。
結局、ゲートルートで食事をしテイクアウトでリンゴのタルトを注文したウーヴェは、そのデザートの支払いをリオンの財布から済ませ、俺は一切れも食べられないのに支払わされるのかと睨まれるが、エイプリルフールでつまらないウソを吐くからだと言い放ち、帰ったら覚えていろとリオンが吼える。
そしてその言葉通り、家に帰った二人は夜も遅いからとシャワーも浴びずにそのままベッドルームに転がり込み、逃げを打つウーヴェをベッドに拘束したリオンが満足するまで高い声を挙げさせ、予想通り一切れも食べさせてもらえないリンゴのタルトの支払いをさせられたことへの留飲を下げるのだった。