カイランが王都に戻り私はハンクとゾルダーク領の敷地を散策する。ハンクの操る馬に乗り、昨日訪れた花畑のさらに奥へと向かった。高い木の間から落ちる日差しは美しく、ハンクの指差す方を見るとリスやウサギを見つけて楽しい時を過ごした。
「綺麗な場所ね」
「そうか」
邸に置いてあったハンクの子供の時のトラウザーズを借りて馬に乗っている。腰には後ろから回されたハンクの腕が私の体を支え不安はない。
「変わりないか」
ええ、後ろを振り向き答える。滅多に邸から出ないから体が長旅に驚いたのよ。緑の匂いも心地いい。
「似合うぞ」
この格好?少年みたいだと思ったのだけど。
「ハンクのなんですって。オットーが貸してくれたのよ」
直ぐに大きくなって新しい服が必要になったと楽しそうに教えてくれたわ。
「綺麗にとってあるのね。レオンにも着せたいわ」
巻き付く太い腕に力が入る。
「寂しいか?」
レオンと離れてしまって?正直寂しいわね。赤子は可愛いもの。
「ええ、そうね。でも同じ紺色がここにいるわ。約束を守ってくれて嬉しいのよ」
手を伸ばして硬い頬を撫でる。
「ありがとうハンク」
ハンクと共にいる時は大切にしたいの。閉じ込められてるなんて思ってないわ。自由なんていらないのよ。ハンクに縛られているのが心地いいの。満たされるのよ。
「ああ」
今は邸の敷地内、ダントルもつけず二人だけ。獣道のように細い道を馬は進む。少し登っているようだわ。木の間を抜けると草原が広がる丘に出る。視界の向こうは広いゾルダーク領が広がる。先に下りたハンクの手を借りて馬から下りる。
「敷地の端だ」
ハンクと手を繋ぎ端まで歩く。下を覗くと崖のような急斜面になっている、風が少し怖い。
街を見下ろせる。広場や民家、遠くには田畑も見える。
「広いのね」
「行きたいか?」
…行きたいとは思わないわ。首を横に振り答える。ここで見ることができて満足よ。
「この一望できる丘にはまた来たいわ」
「そうか」
頷いて街を見下ろす。ハンクはここを治めているのね。忙しいはずよ、こんなに広いんだもの。
ハンクは指笛で馬を呼び、くくりつけた荷物をほどく。草原に布を敷いて料理番に作らせた軽食を広げる。
「こい」
伸ばされた手を掴み靴を脱いで胡座をかくハンクの膝に座る。
「なんの荷物か知らなかったわ」
「陽が強い、つらいか?」
「いいえ」
そう言っても大きな体が日陰になるよう動き私を気遣うハンクの優しさが嬉しい。
水筒を手に持って、器をハンクに渡して注ぐ。一つしかないから二人で使うのね。ハンクは私の口許に器を近づける。一口飲むと冷たい果実水が喉を通る。美味しい。
「ありがとう」
残りはハンクが一口で飲んだ。パンに具を挟んだものを私に手渡す。こういう風に食べるのは初めてだわ。
「美味しい」
穏やかに時は流れる。いつものようにハンクは食べるのが早い。一つに纏めた私の髪を指に巻きつけ口につけたり遊んでいる。
「またくる」
「ええ」
「これも幸せだろ」
「そうね」
口の中にあるパンを飲み込み、冷たい果実水を飲む。広い胸に凭れ鼓動を聞く。これが失くなってしまっても私は生きられる?無理よね。生きられる気がしないわ。直ぐに追える薬を持っているかしら。
「幸せを感じてる?」
「お前がいれば常にな」
「そうなの?」
「ああ」
「私と同じね」
ハンクの笑いで体が揺れる。
夜中に王宮を飛び出したジェイドのことは近衛から報告されて知っていたが、まさかハンクから呼び出されるとは…本当にハンクか?老公爵が死んだと聞いたがもう帰ったのか。
ジェイドの自室に勝手に入りソファに座って帰りを待っていると従者の開けた扉から待ち人が入ってきた。
「おかえり」
「父上!勝手に入らないでくれ」
国王だぞ、どこだって入れるさ。
「ハンクじゃないだろ」
「知ってたんですか?」
ハンクじゃなかったか、ならカイランか。アンダルが泣きついたか、リリアンが泣きついたか。面倒だからこちらに処分を任せると思っていたが、何故ジェイドを呼ぶかな。
「俺はなんでも知ってるからさ」
微笑む俺にばつの悪そうな顔を向ける。何かやらかしたのか。
「ゾルダークが馬鹿女を捕まえていました」
男爵領から出たら消すと宣言しておいてこれだもんな。監視をさせていた者は厳罰だな。
「なんでハンクの名を使ったんだ?」
カイランの名より効果はあるがリリアンを捕まえた報せなら急いで行くんだ、ハンクの名を使う意味がわからん。
「馬鹿女は脚の腱を切って男爵領に戻します」
「何度も捕まえては戻したのを甘いとお前が言ったんだぞ?髪色まで変えて逃げ出したんだろ。殺した方がいい」
ジェイドの様子がおかしいなぁ。そんなの一つしか思い付かないんだよな。カイランに知られてしまったか、どこから何故今なんだ?アンダルは?
「アンダルはゾルダークに来ていたのか?」
頷くが立ち竦んだまま動かない。
「会ったのか?」
黙ったまま答えないなら会っていないか。会えなかったか?会いたくなかったか。
「元気にしてたか?」
会ってなかったらわからんだろうが、どう反応するか…俯いてしまったか。おいおい、何をしてるんだよ。
「アンダルは俺を憎みます」
あいつが?何故。アンダルは憎むなんて感情を持ってたか、頭に花を咲かせた王族らしくない思考の奴だぞ。
「あいつの不幸の始まりは俺だから」
「何を言ってる。アンダルは幸せだろ?あの女は死なない」
そこでつらそうな顔をする意味はなんだ。始まりって、おいこら、まさかジェイド…お前のせいなのか?
「アンダルに何を言った?」
姑息な真似をする奴とは思っていたが、アンダルは弟だぞ。
「ジェイド…もういい。国王になるお前が過去を悩むな」
国王が一人の女に執着するのは手に入らなければいい結末にはならないな。もっと早く俺に言えよな、そうしたら動いていたのにさ。
「悔やんだんだろ?忘れろ。記憶から消せ」
無理だろうが、そうしてくれなければ困る。
「カイランに脅されたか?」
そりゃあ使うよな。俺だって使う。
「密約を…」
待てよ!待て待て…二番煎じのカイランめ。老公爵に聞いたのかよ。なかなかいやらしい密約をまんまか?
「どんな?」
「俺が国王に…」
「不当な不敬罪に王命か?」
驚いた顔をするな、国王はなんでも知ってるんだよ。
一度も話には出てこないあの密約が続くわけか。カイランめ。独創性のない奴だ。
「気にするな、出番はない」
といいな。ジェイドはミカエラが関わるとおかしくなるからな、いつかそのせいで痛い目に遭わなきゃいいが。
「父上が公爵に甘いのは同じ密約が?」
んーハンクは知ってんのかな。どっちでもあのままな気もするんだよな。
「甘いわけじゃない。あいつは面白いからさ。好きなんだよ」
あと羨ましい…カイランだけ王都に帰らせたのか、ゾルダーク領にはあの子と…羨ましい。何してんだろうなぁ。あそこは森があるからなぁ。外で…いいなぁ。
「密約は仕舞っておけ。カイランは放っておくんだ」
ハンクはまだ知らないだろうな、なんて言うかな。落ち着いたら忍んでいくか。まだハンクの子を見てないしな。
「頑張ってマイラと子を作れよ」
返事をしろよ。最低男児を二人だぞ。
「滾らせる薬なら持ってるからな。心配するな」
王太子なんてなりたくなかったよな。好いてもない女を抱かなきゃならんのは貴族なら仕方ないが、臣下のように愛人は作れないからな。
「好む女がいたら側妃にしたらいい」
マイラは頷くしかないんだ。未婚に限るけどな。最悪平民でもどっかに養子縁組させれば通る話だ。
「好む女は盗られた!」
あーあ、拗らせまくってるな。国のために毒でも盛っとけばよかったよ。いなければ諦めるもんなぁ。
「マルタンは女児の出産率が高い」
だからなんだと言いたそうな顔をするなぁ。お前に希望を与えて前を向いてほしいんだよ。ミカエラはもうテレンスと閨を共にしてるんだ。無理なんだよ。
「早く子が誕生するといいな」
「父上、何を…」
俺の頭を疑ってるか?正気だぞ。ハンクとあの子を見てるからな。ありなんじゃないかと思うんだ。
「きっと欲しくなる」
上手く立ち回れば手に入るさ。出会う前から生まれる前から計画を練るんだ。楽しみがあるなら今を耐えられる。
「ベンジャミンとテレンスを抑えれば手に入るだろ。想像しろ、きっと愛しい」
ミカエラに似ていたら御の字。まさか、そっちを狙うなど思わないだろ。想像したかな?顔色がよくなってるぞ。
「上手く動けなければよせ、国が乱れるからな」
ハンクとあの子より年が離れるな。無理かなぁ、これだけしつこい奴なら叶えそうな気もする。目的ができれば踏ん切れるだろ。
「国王なんて面倒ばかりだ。欲しいものを一つ手に入れたって構わんさ」
お前にはミカエラが欲しいという明確な道標がある。俺は羨ましいよ、俺もそういうのが欲しかった。俺も心から欲する何かに出会いたいなぁ。いいなぁハンク…何してるんだろ…見てみたい。俺と同じで寂しい孤独な奴だったのに、四十で出会うんだもんなぁ。俺だって…諦めないぞ。
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