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「僕とセックスしてください」
教卓に座りながら、こちらのとんでもない提案に眉ひとつ動かさない咲楽先生の反応の薄さに、僕はいささか感心した。
生涯学習センターの一室。
ガラス教室が終わってからいつもの席で、スマートフォン片手に他の生徒と共に帰る純を見送ってから、第一声で解き放った。
今日は関東で開催された芸術コンクールの表彰式帰りでスーツ姿だったが、グリーンのネクタイに縁の色を合わせたメガネの下には眼帯をしていた。
ものもらいが悪化したらしい。
いつもこちらの心の奥まで読んでしまうような瞳が半減したからだろうか。
それとも初恋があまりに早く撃沈したことで自暴自棄になっていたからか。
僕は憧れの先生にとんでもない言葉を連発した。
「先生ってそっちの人なんでしょう。僕のことをそういう目で見てるなら1回抱いてくださいよ。無理矢理にでもいいですから」
彼は足を組みながら目をつむった。
「この間のキスで、ずいぶん拗らせてるみたいだね」
彼は笑いながら立ち上がると、ゆっくりと距離を縮めた。
「じゃあ問診しておこうかな。もし僕とセックスをするとして、タチとネコどっちがいい」
「は?タチ?ネコ?」
僕のすぐ前まで来ると先生は腕組みしながら笑った。
「要するに入れる側と入れられる側という意味だよ」
いきなり飛び出すリアルな言葉に嫌なのに赤面してしまう。
「まあ抱いてくださいって言うくらいだから」
腕を引かれ浮いた腰にすばやく手を入れられる。尻を鷲掴みにされ、長い指がジーンズの上から肛門をなぞる。
「こっちに欲しいのかな」
「やっ」自分の声に戸惑いながらも先生の肩に抱きついてしまう。その顎を2週間前と同じように掴み、自分の口に持っていく。
クチュクチュと卑猥な音が教室に響く。
上顎が熱い舌で擦られるたび、先生の長い指が尻を撫でるたび、僕の薄っぺらい虚勢はみるみる剥がされていく。
日曜日から今日まで、僕は絶望の縁にいた。
もうなんなら死んでもよかった。
思考は崩壊し、キスごときであんなに心配してくれた純は、もっとひどいことをされたら、また僕のもとに戻ってきてくれるんじゃないかという安易な考えに行き着いた。
そもそも流されやすい僕のことだ。
咲楽先生に抱かれれば、それはそれで純を忘れられて、はっぴーえんどだ。
そんなろくでもない決心をして今日は教室に来た。
ラブホにも入れるよう、わざわざ私服に着替えて、浅知恵で腸内洗浄もしてきた。
でもいざとなると怖い。咲楽先生が相手でも怖い。
無意識にカタカタと足を震わせた僕を離し、先生は笑った。
「冗談だよ。あまりにつまらないこと抜かすから、いじめてやりたくなっちゃったんだ。ごめん。だけど」
そう言って眼鏡をはずし、片方の目で僕を覗きこむ。
「僕は生徒を抱くことはしない。無理矢理になんて死んでもしない」
足の力が抜けストンとまたもとの席に座った。
拍子抜けするとともに激しい怒りが湧いてきた。
「なんだよそれ。なら、2週間前のあれはなんだったんですか」
「あー。あれか。悪かった。考え事をしていて、つい」
「なんだそれ。ふざけんなよ、マジで!ちゃんと準備だってしてきたのに!」
「準備?」もう腹を抱えて笑いださんばかりの顔で言う。
「うるせーよ!あんたのせいで、僕も周りもぐちゃぐちゃだ」
「青山のことか?」
顔がカッと熱くなる。なんでこの人ーーー。
思わず立ち上がった僕を先生は静かに見ていた。
「いいよ、あんたにその気がないなら、他を当たるんで」
勢いに任せて教室を出る。
背中で先生の声がしたようだったが、怒りで聞こえなかった。
スマートフォンや原付の鍵が入ったフリースを教室に忘れたが、取りにもどれるはずもなく、そのまま当てもなく土手を歩き、商店街を抜け、気が付くと、飲み屋街の一角に来ていた。
昨日ネットで検索した俗にいうハッテン場が近くにあるらしい。
アナル処女とかいう何も価値のないものを捨てやれば何か吹っ切れるかもしれない。
飲み屋街から一本、裏道に入っていった突き当りから二番目の3階建てのビル。名前はOCEAN。僕は本気だった。
意外にもすんなり受付を通過できた。ドアを開けると、コンビニくらいの広さのロビーに二人掛けソファーが8つ置いてある。そこに二組の男たちが、雑談していた。
見回すと、壁にカーテンがかけられている部屋があり、その奥は三畳ほどの部屋になっていた。 誰もいないのを確認してから中にうけ入ると、奥に二人掛けソファが置いてある。
「ねえ君さ」
驚いて振り返ると、細身の男が立っていた。
「ここ、初めてでしょ」
近づくにつれて、間接照明に照らされた顔があらわになる。
「キョロキョロしてるから」
年の功は30代前半、といったところだろうか。スーツを着て、会社帰りという出で立ちだ。
手が頬に伸び、顔が迫ってくる。反射的によけると笑った。
「もしかして、男も初めてなのかな」
答えられずにいると、
「大丈夫。やるだけが目的じゃないから、ここは。話したりするだけでも楽しいでしょ。俺たちみたいな社会のはぐれ者はさ、集まって傷を舐めあう時間が必要だよね」
そういうものなのか。少し緊張が解けて話しかけてみた。
「お仕事帰りですか」
「そうだよ。今日は早番でね。君は?もしかして学生?」
「はい。一応」
「そうなんだ。込み入ったこと聞くけど、男との経験は?」
「ない、です」
「でも男には興味がある?」
「・・・というか。好きになった人が男の人で」
「なるほど。そうだよね、初めの気づきってそこだよね。俺の時もそうだったな。
なんか同級生の男が妙に気になってさ。あのときは焦ったなー」
男が目を細めると、どこか純に似ている気がした。
「でもさ、初恋って実らないよね」
悲しそうに振り向いた顔を見て、一気に親近感が湧いた。
「あの、なんて呼べばいいですか」
「アキラって呼んで。君は?なんて呼べばいいの」
「え、あ、じゃあじゅ・・・ジュンで」
咄嗟に純の名前が出てしまう。
「ありがとう、ジュン君。よかったら3階に行ってみない?個人ブースになってて、人に聞かれたくないような話もできるからさ」
どうしようかな。個人ブースってことは、もしかしたらカーテンじゃなくて、ドアで仕切られているのかもしれない。
つまり、本番用の部屋。
大丈夫かな。いや、なんだ、大丈夫かなって。もともとそのつもりで来たんじゃないか。
そう自分に言い聞かせながらアキラについていくと、三階は廊下が続き、ホテルの部屋のように左右にドアがあった。
カラオケルームのように空いている部屋のドアは開かれているらしい。
その一室に慣れた様子でアキラが入っていく。相変わらず廊下も室内も暗いが、奥にベッドがあるのは見えた。
入った瞬間、首筋にビリッと悪寒が走った。
まずいと感じたときには遅かった。
背後でドアが閉まる。その瞬間、腕を強く引かれ、男が間髪入れずに覆いかぶさってきた。ベッドの安いスプリングが悲鳴を上げた。
細く見えた身体は意外に重く、息ができなかった。
「待って、話をするんじゃ・・・」
「野暮なこと言うなよ」
首元に熱い息がかかる。
「そういうつもりでここに来たんだろうが」
ああ、やっぱり違う。この人は純じゃない。純はこんな埃と汗の混じった匂いなんかしない。
「アキラさん、やっぱり僕、無理。やめて」
「あれ、怖気づいちゃった?」アキラが両手を掴んだまま笑う。
咄嗟にドアを見る。
「鍵、ついてないよね」
心を見透かしたようにアキラが言った。
「逃げられるよ。あそこまで行ければの話だけど」
抑えられた手もびくともしない。六年間美術部だった身体は大抵の男に敵わない。
「俺、初めての奴を無理やりするのが好きなんだ」
そう囁いた男は、純とは似ても似つかない下衆い笑顔だった。
熱い唇が押し当てられ、蛭のような舌が絡み付いてくる。
気持ち悪い。吐き気が込み上げてくる。
だめだ。涙が溢れてきた。なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。
僕は、純じゃないとダメなんだ。
「色白いね。君、僕が好きな男の子のアイドルに似てるよ。知らない?ロンドってユニットの真ん中の子」
すごい力でズボンとトランクスを一気に引き下げられる。
「やめろ!大声出すぞ!」
「出してみなよ。三階に上がったら、自己責任なんだよ。誰か入ってくるとは思えないけど」
「そんな・・・」
Gパンの上から股間を握られる。
「縮み上がっちゃってかわいいな。まずはこっちで一回イッとく?そうしたらその気になるかもよ」
するりとパンツの中に汗ばんだ手が入ってくる。
「や、やだ、」
恐怖と痛みで声が震える。
手が早くなる。
だめだ。もう逃げられない。
「盛り上がってるところ悪いけど」
荒い息遣いの向こうで、懐かしい声がした。
「その子、僕のツレだからさ、返してくれないかな」
幻じゃない。
アキラの向こう側に、確かに咲楽先生が立っていた。
「なんだ、個室は立ち入り禁止だよ」
覆い被さったままアキラが睨みつける。
「それにあんたのツレとやらは自分の意思でついてきたんだ。話があるなら事が終わってからにしてもらおう。
なんならそこで見てても構わないぜ」
ため息をつきながら、先生がスーツのボタンを外す。
「お、なんだ、やるのか?少々腕っぷしには自信があるんでね、あんたぐらいならつまみ出せるよ」アキラが凄む。
「いや、遠慮しておくよ」
先生は眼鏡を外し、胸ポケットにいれながらゆっくり近づく。
「お互い面倒ごとは御免だろう」
内ポケットから茶封筒を取り出した。
「今日のところは、これで許してくれよ」
バスンと音がして、ベッドに落とされた。
アキラの身体が離れ、封筒を手に立ち上がる。中身をチラリと見て、僕たち二人を交互にガンつけると、
「気持ちわりーな、あんたら」アキラは部屋を後にした。
飲み屋街の一角に無防備に鍵を差したままで置かれていたアウディーに僕を乗せると、先生は無言のまま発進させた。
「なんであそこに?」
おずおずと話しかける。
「会員なんですか?あそこの」
「君はバカだな。あんなところ出入りしてたら、とっくにマスコミに撮られてるよ」
吐き捨てるように言い、また黙ってしまう。
車は国立公園の駐車場に入った。池に囲まれた城跡が白くライトアップされている。
「君が忘れていった上着から着信音がして、家についた君からかと出ようとしたら切れて。折り返そうといじってたらとんでもない検索履歴が出てきたから、気になって、界隈のハッテン場やゲイバーや出会い喫茶はすべて電話しておいた。
未成年の新参者が来たら、追い返さずに教えてくれ、情報料は払うからと」
だからすんなり通れたのか。受付の首に鎖のタトゥーが入った男を思い出す。
「すみません。本当に」
「いいさ、別に。元はと言えば僕が悪いんだし」言いながら先生は先ほどしまった眼鏡を取り出し、ウェスで磨きだした。
「あれ、運転のときかけてませんでしたよね」思わず言うと、
「伊達だからね」
間髪いれずに答えが返ってきた。
「さっきは殴られる可能性もあったから外したんだ。眼鏡をかけた状態で殴られると思いの外ひどい目に遭うと、最近学ぶ機会があったんでね」
言いながら眼帯を外す。ものもらいだと言っていた目は、青黒く腫れ上がり、目の下には切り傷のあとが痛々しく残っていた。
「どうしたんですか、それ」
「先週、君の親友に殴られた」
純に?先週?
カラオケボックスに行った後、純は先生に会いに行ったのか。
「もう君に手を出すなとさ」
先生が肩をすくめる。
「あのくらい大切に想われれば、その気になるよな。彼女いるくせに、残酷なやつだよ」
ため息をつき、僕の髪を撫でた。
「悪かったよ。封印するはずだったかもしれない青山への恋心を引っ張り出して、粉々にしてしまった」
見つめた僕に軽く微笑んでから、先生は正面の城に向き直った。
「だったら責任をとって抱いてくれてもいいのに」
冗談半分でいうと、急に起き上がった先生が乗っかりながら僕のリクライニングを限界まで下げた。
「まだ懲りてないらしいな」
驚いて固まった二つの手を上でまとめて体重をかけて左手で封じながら、右手を股の間に突っ込み、肛門をなぞる。
「君はさっき、準備してきたと言ったが、それはここをきれいにしてきたという解釈で合ってるかい?」
黙って頷くり
「何時にしてきた?」
「え。大体五時くらい、です」
「今は十時半。つまり五時間半も経ってる。当然穴のなかには新しく消化されたものが入っている」
一気に顔が熱くなる。
「それだけじゃない。妊娠しないからってコンドームをしなかったら、感染症のリスクもある。中で出されようもんなら、掻き出さないと腹を下す。綺麗事じゃないんだ」
一瞬力が緩まり、自由になった片手が、すぐさま先生の右手に捕まる。
「したいのか?できるのか?本当に」
何も言えなくなった僕を見て、先生はフッと笑い、また運転席に身を沈めた。
「それを判断するのは今じゃなくていい。ただもしその時が来るなら、君には愛する人と清潔なベッドの上でその瞬間を迎えてほしい。
少なくても君は、失恋して自暴自棄になるほど、人を愛することができる人間なんだから」
細く長い息を吐いたあと、ゆっくりと口を開いた。
「君の淡い恋心を汚してしまったお詫びに、つまらない昔話をしてあげよう。それで許してくれるかい」
先生は弱々しく笑いながら、独り言のように話はじめた。
「僕は学生の時分、今以上に華奢で目立たない生徒だった。近しい友達もいなくて、厳格な両親から逃げるように、誰もいない美術室でひたすらに絵を描いてすごしていた。
そんな僕の絵に興味を持ってくれた人がいたんだ。なんとなく、その人といる時間が長くなって、だんだん打ち解け始めたある日の放課後、西日の当たる教室で、僕は突然犯された」
誰にとは聞けなかった。
ーー僕は自分の生徒を抱くことはしない。無理矢理など死んでもしない。
「僕の日常は地獄と化した。
逃げても隠れても、彼は僕を見つけ出した。
どんなに泣き叫んでも、情に訴えてもけして止めてくれなかった。
本気で殺し方を考えたよ」
いや、冗談じゃなくて。そういって先生は自虐的に笑った。
「初めに関係を持った中2の夏から、3年生の終わり近くまでその関係は続いた。
解放されると安堵した卒業間近の頃、彼から言われたよ。
これからも定期的に会おう。もし拒んだら、お前の写真をばらまくぞと。
写真を撮られた覚えはなかったけど、撮られていないという確証もなかった。
僕はこんな地獄が一生続くならと、自殺した。
意味がわからないと思うが、僕は確かに、あのとき心を殺した。
自分で死んだんだ。
救世主が現れるとも知らずにね」
「救世主?」
「僕らの関係に勘づいたのか、はたまた偶然見かけたのかはわからないが、殴りかかって止めに入ってくれて。
これ以上続けるなら訴えると脅してくれたんだ。幸いにして気が小さかった教師はそれ以降、手を出すことも連絡してくることも一度もなかった」
長い人差し指が僕の胸を突いた。
「ただし失われたものが戻ってきたわけではない。
僕の心は死んだまま、二度と生き返ることはない。
事情を話し、病院に付き添ってくれた母も、世間体を気にする父に逆らえずに、結局教育費を渡されて勘当された。
こうして僕は公私共に廃人に成り下がった」
何も言えずに黙っていると、先生が起き上がり僕の肩を掴んだ。
「でも、君は僕じゃない。青山に恋をしたように、誰かを愛することができる人間だ。
幸せになれる人間なんだよ」
そういうとフッと笑い、池の向こうに見える城を見た。
「ちょっと寒いけど出てみるか」
ドアを開ける。僕もそれに習った。と、後部座席から何かをとりだし投げてきた。
「あげるよ。それ」
手の中にあったのは、先日、デパートで見たばかりのラベンダーだった。
「展示会を終えて、先程手元に戻ってきたんだ」
「こんな高価なものもらえません!」
「高価って」
先生が笑う。
「誰が決めたんだい。
僕はどこかの金持ちのガラスケースの片隅に置かれるより、若き才能の刺激に触ってもらった方が有意義だと思ったまでさ」
ラベンダーは展示会で出会ったときと変わらず、圧倒的な存在感を放ちながら僕の手の中で時を閉じ込めていた。
「あれ?」
確かに球体のガラスのなかに閉じ込められているはずのラベンダーと、それに向かうミツバチが動いた気がした。
僕の反応を見てにやりと笑う咲楽先生の反応を見るに、見間違いではないようだ。
「僕からの課題だよ。それがどういう仕組みで出来ているか、解明すること。同じものが作れたら合格。ね」
闇夜に輝く満月のように、白く浮かび上がる城を背景に先生は笑った。