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「月見里さん、日本文化が大好きなんですね。でも壁ドンは漫画の中だけで許されることであって現実にされたらドン引きです」
「ああ、そうか。ごめん」
彼は素直にそう言って私から離れてくれた。
本当に今まで出会ったことのない人種で、いちいちドキドキしてしまう(深い意味ではない)
彼は特に表情を変えることもなく冷静だ。
「いっそこの部屋で暮らせばいいのに」
「え……?」
「そうすれば月に10万の貯金ができるよ」
「いいえ、そこまでお世話になるわけにはいきませんし、一緒に暮らすなら当然家賃と光熱費の負担はしますし、それに私たちが一緒に暮らす意味もよくわかりませんけど」
「大丈夫だよ。表向きは俺の彼女だから」
忘れていた。私、いつの間にか月見里さんの彼女になっていたんだ。
「もういっそ付き合ってもいいけど」
「え? 軽っ……!」
こんな簡単に付き合っちゃうの? この人。
それに、私はまだ完全に優斗と縁が切れたわけじゃないからもし付き合うならちゃんとそっちを清算してからじゃないと。
って、私も何を期待しているんだ!!!
「月見里さん、まるで遊び人みたいな発言ですよ。そんな簡単に……」
「そんなことないよ。俺、付き合っているときはひとりしか相手にしないよ」
「それフツーですから!」
あ、でもそれができない人もいるんだから、フツーなんて言っちゃいけないのかもしれない。
突如、私のバッグの中でスマホが鳴った。
また優斗かもしれないと思ったけど一応確認してみる。
しかし、なんと『優斗の母』だった。
思わず「うわっ」と声を上げてしまった。
電話に出ようか迷っていると、留守電に切り替わった。
結構長いあいだしゃべっているようだ。
「彼?」
「の母親です。毎日電話が来るんです。はぁ、憂鬱……」
やっと電話が切れたようなので、嫌だけど留守電に入ったメッセージを確認することにした。
「スピーカーにして再生して」
月見里さんがそう言うので、私はその通りにした。
すると、いつもよりうるさい金切り声が響き渡った。
『紗那さん、あなた優斗を残して出ていったんですってね?』
出ていったというか、別れたんですけど。
これはきちんと私から説明しなきゃいけないやつかな。
きっと優斗はすべて私が悪いということにしているだろうから。
優斗の母のメッセージはまだ続いた。
『かわいそうにあの子何も食べていなかったわよ。私がおかずを持っていったけど、最近ずっと仕事でストレスが溜まっていたみたいよ。あなた、気づかなかったの? それでも女なの? 女ならいつでも男の体調を確認して、体に合う食事を用意しなきゃいけないでしょ。あなたはしっかりしているから大丈夫だと思ったのに、結婚前からこれじゃ、先が思いやられるわ。とにかく、一度うちへ来なさい。話し合いが必要だわ。それと、優斗が浮気したですって? それが何だというの? 浮気なんて男なら誰でもするわよ。結婚前なんだからそんなささいなことでうるさく言わないの。蚊にかまれたとでも思いなさい。どうせ妻が一番なんだから。ああ、そうそう。このあいだ友人の旦那が引っ越しするときトラックを出してくれると言っていたわ。ありがたいわよね。やっぱり持つべきものは信頼できる友人よ。あなたもこんなことでぐちぐち言ってないで、もっと人との信頼関係を築いたほうがいいわよ。優斗のためにもしっかりしてね。それじゃ、早めに連絡してちょうだいよ』
ぶつっとメッセージが途絶えた。
私はもうどこから突っ込めばいいかわからなくて、放心状態だった。
月見里さんが腕組みをして真剣な表情で話す。
「なかなか面白いことを言う母親だな」
「どこに面白い要素が?」
「浮気は蚊にかまれたと」
「頭おかしすぎてツッコミが追いつかないレベルです」
月見里さんは横目でちらりと私を見る。
「君は本当に苦労したんだね」
「ええ。もう、毎朝6時からこんな調子で電話してくるので困りました」
「めずらしいタイプだよね。そういうのは結婚まで本性隠すんだけど、彼も母親も正直すぎるというか」
まあ、たしかに。
本性が知れたおかげで結婚を逃れることができたのはありがたい。
「月見里さんのお知り合いの方もそんな相手だったんですか?」
「そうだね。もう結婚していたから別れるのに苦労したみたいだよ」
「そうですか」
月見里さんに出会わなければ、私もなんだかんだ我慢して別れられなかったかもしれない。
あのまま結婚していたら、本当に逃げ道がなくなっていた。
もしかして、最初にバーで会ったときに私がそんな話をしたから助けてくれたのかな?
「とりあえず、その留守電も消さないでおこう。完全に縁が切れるまではね」
「はい、そうします。いろいろありがとうございます。おかげで、少し気持ちが楽になりました」
ひとりでこんな攻撃をまともに食らっていたら、きっと心が潰れていたかもしれない。
「よかった。君はそんなところにいていい人間じゃないよ」
「……はい?」
月見里さんはずいぶん私のことを知っているような口ぶりだけど、私たちまだ数回しか会っていないよね?
「買い物を済ませたら今夜は何食べる?」
「え? いや、あの……」
「美味い店をいろいろ知っているから大丈夫」
そういうことじゃないんだけど。
何さらっとデートの約束しようとしているの?
これも元気づけてくれているのだろうか。
にっこり笑ってそんなことを言う彼に、これ以上返す言葉が見つからなかった。
月見里さんが次々とツッコミの追いつかないことをしてくれるので、私は悩んだり悲しんだりする暇がなかった。
このままスムーズに事が進んでいくような気がしたけれど。
それは甘かった。