時を一年ほど遡る。
青の花びらを見下ろし佇む青年は、周囲の視線を集めていた。
柔らかそうな薄茶色の髪、細身の体躯。
整った容貌は、通りすがる人が思わず振り返ってしまうほどである。
しかし薄い色合いの双眸は無感動に花を映すだけ。
「小野、ごめんごめん」
そう、これは一年前の小野梗一郎である。
名を呼ばれたからか、その目がちらりと動いた。
向こうから駆けてきたのは学ラン姿の青年だ。
いかにも高校生と分かる愛嬌と、それからわずかな緊張感を身にまとっている。
「中島、なんで制服?」
今にも雨が振り出しそうな空の下。
オープンキャンパスという看板の横でちゃっかり自撮りをしている友人を見やり、梗一郎は顔をしかめた。
学校見学のため、登成野学園大学の校門前で待ち合わせていたのだが、朝寝坊常習犯の友人はきっちり十分遅れてきたのだ。
ごめんという一言ですませると、むしろ友人は信じられないという目線で梗一郎を見やる。
Tシャツとチノパンという梗一郎のラフな格好に、彼は呆れている様子だ。
もしかしたら合否判定をする偉い人がこっそり見てるかもしれないだろ、なんてことを小声で囁いてくる。
「そんなわけないだろ。第一、ここは滑り止めって言ってたじゃないか」
「まぁ、そうなんだけど。でも万一ってことがあるし」
どんな頭脳の持ち主でも受験すれば必ず通るといわれている大学である。
受験生の夏休みという貴重な時間を使ってわざわざオープンキャンパスに出向く意味が分からない。
一人で行くのはどうしてもイヤなんだという友人、名を中島という。
彼に付き添うかたちで、興味のない大学にこうしてやってきた自分も相当なお人好しだと梗一郎は思っていた。
「……まぁ、気晴らしも必要だし。あの家にいたら息が詰まるから」
「小野、何か言ったか?」
首を横に振りながら大学構内に足を踏み入れ、梗一郎も友人も驚いたように足を止めた。
滑り止めの底辺校という認識からは想像もつかないほど、キャンパスには人が行きかい活気づいていたのだ。
大学生と思しき男女の姿は、この曇り空の下でも何だか眩しい。
わずか数歳しか違わないはずなのに、ずいぶんと大人びて見えた。
「オレ……、うんとオシャレしてきたらよかった」
こうなると己の制服姿が恥ずかしくなったか、友人は学ランを隠すように鞄を胸の前に抱えて背を丸める。
別にうんとオシャレをする必要はあるまいが、中島の学ラン姿はたしかに浮いている。
呆れるやらおかしいやら。
笑いを噛み殺しながらも、梗一郎は募集要項の書かれたポスターを指さした。
友人の気を、少しでも逸らせてやりたいとの思いで。
「中島、何科を受けるんだっけ?」
「いやもう何科だっていいんだ。大学生になれるんなら。強いて言うなら、入ってからなるべく楽そうなのがいい」
「お前……」
「そういや知ってたか、小野。ここって来年からBL検定対策講座ってのができるらしい」
「びーえるけんてい? 何だ、それは」
「よく分かんないけど、難関資格の対策講座らしい」
「へぇ」
「うっわ、興味なさそう」
茶化すように中島が笑った。
曖昧に頷いて梗一郎も口元を歪める。
とりあえずサークル紹介コーナーを見てこようと、中島は背中を丸めたおかしな姿勢で建物の際のテントににじり寄った。
滑り止めと言っていたわりに気合十分じゃないかと呆れながら、梗一郎はその場に立ち尽くす。
案内係の学生らがこちらにチラチラと視線をくれる気配は伝わってくるものの、誰も近づいてはこない。
それもそのはずだ。
受験する予定のない大学、興味もない学科に講座。
梗一郎は無表情で俯いていたのだから。
人を寄せ付けない空気感をまとっていたとしてもおかしくはない。
自分が場違いなのは分かっていた。
周囲にいるのは一年後の自分を想像して胸躍らせる高校生たち。
そしてまさに学生生活を楽しんでいる大学生たちだ。
明るい表情と笑い声が、これほど似合う場所はない。
中島を放ってこのまま帰るか。
しかし日曜の昼という今の時間。
両親のいる家に帰っても楽しいはずがない。
ならばここで時間を潰すほうがマシか──通路脇に揺れる花を見下ろしながら、梗一郎は結論づけた。
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